君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

子育てをしていると夫婦の労り合いが減っていく…

この2、3年、大木くんは体調を崩しやすくなった。

以前から過敏性腸症候群なのかっていうくらいよくお腹を壊してはいたが、最近はそれに加えてよく頭がいたいと言って薬を飲んでいるし、風邪もひきやすくなった。そして治りにくい。

もうアラフォーなので加齢のせいもあるかもしれないが、ハードな子育てによりストレスや疲労が蓄積していることが原因なのではないかとわたしは見ている。

 

そこまではいいのだけど、いやよくないけど、子育てによりストレスや疲労が蓄積しているのはわたしも同じで、夜泣きにより睡眠は不足しがちだし生来の頭痛持ちに加えて、ふみちゃんにうつされ風邪もひく。

 

その結果どうなるかというと、相手が「なんか頭痛いんだよね」とか「もう1週間も咳が出てる…」とつぶやいていても

「そうか……」

とつぶやき返すくらいしかできないのだ。

「だいじょうぶ?」とか「休んでたら?」とかって言ったほうがいいんだろうということはわかっていながら、言えない。もしそれを言って「ちょっと休ませて」と言われたら困るからだ。こっちだっていっぱいいっぱいなのに。

 

もちろん、熱が高くて全身だるいとか、片頭痛で薬も効かないとかだったら休んでもらうが、そうじゃないなら体調悪いアピールされてもどうしようもないのだ。

どうしようもないのだから頭痛いとか言う前に薬飲んでくれよ、コロナでもないんだし1週間毎日欠かさず咳出てます報告いらないよ…と苛々とさえしてしまう。

 

そして当然の帰結として、わたしが体調を崩したときもほぼ同じ反応が返ってくる。そうなると、「わたしだって労ってもらえないのに大木くんばかり労ってやるもんか」の悪循環。

かなしい。

 

 

子どもが生まれる前は、体調不良というものは身体的にはつらくとも、ふたりにとってもっと甘くあたたかいものだった。

 

土曜日にわたしが片頭痛を起こして1日寝込んだときなどは、夕方に大木くんが料理をする音が寝室まで聞こえてきて、なんとも言えず安心したものだ。

秩父への日帰り旅行へ向かう電車で大木くんが「お腹痛い」と言った時は、見知らぬ駅で降りてトイレを済ませたあと、次の電車が来るまで1時間、2人でのんびり待った。その時間さえ旅行中のサプライズとして楽しんだ。

 

今じゃそうはいかない。

片頭痛だろうとインフルエンザだろうと赤ちゃんの授乳はわたしの仕事なのでずっとは寝ていられないし、特にお風呂・夕飯・寝かしつけがある夕方から夜にかけてはワンオペの負担がかなり重いので、わたしも大木くんもよっぽどの不調でない限りは育児に参加している。

子連れでのお出かけはさらに厳しい戦場で、子どもたちの授乳や昼寝のタイミングや疲れ具合に気を配りながら、上の子が予想外の行動を起こさないか常に見張り、下の子が泣いたら都度対応し、おむつ替えスペースはどこか、子連れで入れる店はあるかなど都度確認しつつ行動しなければならない。そのため大木くんがお腹の調子が悪いときは最初からおでかけを中止したりする。たぶん途中で「お腹痛いからトイレにこもってくる。子どもたち見てて」などと言って大木くんが消えてしまった日には内心激怒してしまう気がする。そこ自己管理できないのかと。いや、できないのはわかってるんですがね、理性では。

 

なんというブラック労働。

みんなこんなものなのだろうか。

世の中の夫婦はみんな、子どもが生まれたらみんなこんなふうにギスギスしてしまうものなのだろうか。

それとも、他の人たちはもっと余裕を持ってうまくやっているのか。

 

今はまだわたしが育休中のため、そう毎日しんどいわけではない。しんどいのは体調不良などで戦力が落ちたときや、普段より夜泣きが激しかった日くらいなものだ。しかし、復帰したらこのなけなしの余裕もなくなってしまう。

 

このままじゃだめな気がする…。

もっと労り合って、もっと励まし合って、もっと手を取り合って乗り越えねばならない気がする…。

 

そういう危機感を抱きつつも、「頭痛い」と言って薬箱を開ける大木くんに、「休んでなよ」のひとことが、やっぱり言えない。