君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

駄文の理由

パソコンを開いてじっくりゆっくり書こうと思っているといつまでもブログが書けないので、最近はスマホで通勤時間中や寝る直前布団の中などで書くようになった。

けどやはりちょっと文章を整理しながら書きたい、と思うものはパソコンを開く余裕のあるときに…なんて思って、結局書けずじまいになっていく。

 

今日も、昨日読んだ本の感想を書こうと思って電車の中でつり革にもつかまらずスマホを開いたのだけど、無理、パソコン開いたときにしよう…となってこんな駄文を書いている。

後で書こう、が溜まっていって、大事と思ってるものほど忘れていっているかもしれない。

 

これ、仕事でもそうで、日中は問い合わせがバンバン入る職場なので、ちょっと時間のかかる複雑な業務になると、ムリ、持ち帰ってやろう、とか、問い合わせの来ない昼休みにやろう、などと考えて後回しにしてしまう。本当にその日の昼休みにやるならいいのだけど、「昼休みに…」と後回しにした仕事が多すぎて休み時間中には終わらず、かと言って家でできる雑務でもなかったりして、気づいたら日数がたっていたりする。

 

子どもができる前は、定時後にじっくり、という働き方もできていたけど今はそれもできない。だから治したいのだけど、治らない。

 

ひとりで誰にも邪魔されない部屋にこもってじっくりやりたいな、と夢見てるだけで、たいしたことが何もできないまま時間が過ぎている。

 

時間は作るもの、と昔よく言われたな。受験生のころだっけ。メリハリをつけよう、みたいなこともよく言われた。成功する人、充実した人生を送れる人はそういうのが得意なのだろう。

わたしは苦手。

怠惰なので。

きょうの出来事

子どもに牛若丸とかって名前つけてた昔の人の感覚わかるよね、なんかまるって呼びたくなる。

と夕食時、大木くんが言った。

くうちゃんは病み上がりでようやくご飯が食べられるようになってきて、わたしと大木くん、交互にスプーンを渡しては、ごま塩をかけた白米をすくってくれるよう求めてきていた。

大木くんは時々、くうちゃん(仮名)の名前のうしろにまるをつけて呼んでいる。クウマル、クウマル。

「まるっとしてるもんね。」

とわたしも答えた。そういえば父方のおじいちゃんも名前に丸がついてたな。なんか船の名前みたいに。愛しさからくるネーミングだったのか。

 

一昨日熱を出したくうちゃんは日中ぐったりしていたけれど、ふみちゃんがいると急に元気になった。

わたしと二人きりのときは、0歳の赤ちゃんみたいに後追いしてずっと抱っこを求めてきていたのに、ふみちゃんが帰ってくると泣き止む、大人しく遊び始める、ハツラツとおもちゃを取りに行き、ふみちゃんと一緒になって笑う。

何なのだろうな、このきょうだいパワーは。

ちなみに、ふみちゃんに風邪がうつるといけないからとここ数日は寝室を分けているのだが、くうちゃんは別の部屋で寝るのが心の底から嫌なようですごく泣いている。体の疲れには勝てずに短時間で寝ているけど。

 

ふみちゃんは、自分がただ笑うだけでくうちゃんもつられてケラケラ笑うということを発見して、ぶえへへへへ、と、くうちゃんの前で何度もわざとらしい笑い声を立てていた。

くうちゃんの反応がいまいちのときはわたしも「はっはっはっはっはーっ」と加勢した。そういえば大学生の頃、サークルのイベントか何かで、ガヤとしての笑い声を録音しなければならなかったとき、「笑うのめちゃくちゃ下手だね」とみんなから笑われたことを思い出した。どうも棒読みになるらしい。

くうちゃんは面白くもないけどなんか笑っとくかという感じに軽く笑っていた。

子育て中のじぶん時間

図書館で手袋を落とした。

遺失届け?みたいものを書いて出しておいたら見つかったと電話が来たので取りに行った。

取りに行った、といってもすぐには行けなかった。仕事帰りには保育園のお迎えがあるし、土日は子どもたちの面倒を見なくちゃいけない。そこはいつも行く最寄りの図書館でなく、隣の駅にある規模の大きな図書館で、貸出しをやっていないということもあり、子どもを連れて行くのも難しかった。

 

土曜日、子ども二人のお昼寝に付き添っていつものように大木くんが寝てしまい、昼食の後片付けや夕食の準備、トイレ掃除、乾燥機にかけた洗濯物をたたみ終わって、まだその日は時間があった。

大木くんにLINEだけして、3週間ぶりにようやく図書館へ向かった。

 

隣の駅だから行くのが億劫だなと思っていたが、電動アシスト自転車なら5分もかからなかった。駐輪場は図書館入口の目の前で、あっという間に着いた。

図書館に入ると併設のカフェが目に入った。

 

カフェがある、と思った。

自分の時間が持てる、家から離れたところで、と。

 

その日はもう2時半だったし図書館の人に手袋をとってきてもらうだけで結構時間がかかったのでカフェには行けなかったが、例えば夕飯の献立が鍋だったりしたらもっと時間があったはず、なんでもない休みの日にカフェに行けるんだ、というのがなんだか希望になった。

 

思えば下の子が生まれてからは、なにか用事がないかぎりいつも必ず夫婦ふたりそろって行動してきた。小さな子どもふたりを大人一人でいっぺんに見るのがわたしたちには難しかったからだ。

くうちゃんがつい最近まで、夜泣きや早朝覚醒、お昼寝のリズムも整わず、ふみちゃんと一緒に寝かせられなかったのも大きい。

 

でも最近のくうちゃんの成長は著しく、特に睡眠のリズムがふみちゃんとかなりそろってきた。

これからは、ふたりのお昼寝中に大木くんに任せて出かけることもできるんだ。

そう思うとなんだかすごいすがすがしい気分だった。

帰り道の自転車で感じる風がめちゃくちゃ気持ちよかった。

 

 

とはいえ、翌日の日曜は職場から持って帰った資料を読んだりしていて、結局時間は取れなかった。

「時短勤務のせいで勤務時間内に仕事が終わらない」が解消されるのはいつになるかな…。

寝る前のおはなし

ふみちゃんが、寝かしつけの際に「寝れない」と言う。

「じゃあ、なにかお話してあげよう」

わたしは物語りをすることにする。

昔々あるところにおじいさんとおばあさんが? いやいや、主人公はふみちゃんで。

 

ちょっと冒険っぽいものがいいかなと、こんな出だしに。

「ある日、ふみちゃんはひとりでお家を抜け出して遊びに出かけました。」

 

でも本当にひとりで出かけられたら困るな。ふみちゃんもひとりは怖いよな。お友だちと遊ぶことにしよう。

 

それで、お花畑で知らない女の子と出会い、お家に招待される展開にしてみたが、いくら相手も子どもとはいえ、見知らぬ人についていくのはだめだろう、ふみちゃんが真似したらどうなるんだ、、などと考えながら話していたら、女の子のお家で食べきれないくらい大量のお菓子でもてなされ、オバケみたいにたくさん食べた女の子はお腹が風船みたいにふくらんでいき、とうとう、パァーン! と破裂してしまう、というチャーリーとチョコレート工場みたいな展開になった。

 

やばいこれじゃホラーだ、と慌ててお花畑に戻り、お母さんとお父さんが迎えに来て、女の子の家も見えなくなった、あれは夢でした、と無理やり夢オチに持っていったけれど時すでに遅し。

おしまい、と言ってふみちゃんの顔を見ると、聞き終えるまでなんとか我慢していたふみちゃんは、こらえきれず声を上げて泣き出してしまった。

 

失敗だ。ふみちゃんはますます眠れなくなってしまった。

 

 

翌々日。

性懲りもなく「寝れない」「なんかお話して」というふみちゃん。

 

よし、今日こそは、とわたしも意気込んで、空を飛ぶ話にしてみた。

ふみちゃんが庭でシャボン玉を作って遊んでいるところに、大きな鳥がやってきて、「僕にもかして。シャボン玉をやらせてくれたら、一緒に空を飛んであげる」と言う。

ふたりは手を繋いで大空を飛び、海を眺めて、夕方暗くなる前に帰りましたとさ。

これなら怖くなかったろう、とふみちゃんを見ると、またもや今にも泣き出しそうに目を見開いて、眉根をしかめている。

「ええっ。怖かった? どこが?」

と聞くと

「とり!」

と怒ったように答えるふみちゃん。

鳥の妖怪に、空の果てまで連れ去られるイメージで聞いていたのかもしれなかった。

 

 

そして今日。

またもや「お話して。」。

うむむ。今日こそは怖がらせないぞ。

3度目の正直。今日はようやく「楽しかった」という感想を引き出せた。

 

結局、ふみちゃんの好きなものである恐竜を使ったのだ。

ジュラシック・パークのように、恐竜を再生させ、サファリパークが実現した世界を舞台とした。(ふみちゃんが好きな草食や魚食の恐竜しかいない世界にした。)

家族でサファリバスに乗っていろんな恐竜を見に行くお話、象使いのような職員のガイドで、ふみちゃんとわたしのふたりでトリケラトプスの背中に乗ってお散歩するお話、サファリバスの窓から餌をあげると、スティラコサウルスの親子がふみちゃんの手からゆっくりむしゃむしゃと葉っぱを食べてくれるお話、の3本立て。

 

3つとも、話し終えると「面白かった」ではなく「楽しかった」と笑ってくれたのがうれしかった。空想の中で同じ世界に来てくれて、一緒に楽しめた感じがして。

 

それにしても、3歳半。もう絵がなくても耳で聞くだけで物語が理解できるのだな、とそれも驚きだった。

暇をつぶして人生が終わる

月曜のことである。

 

土日に思いきり子どもたちと遊んでへとへとになって、だるい体で、あーよかった、仕事へ行ける、やっぱり平日より土日のほうが体は疲れるよな、なんて考えながら1日が始まった。

 

その日の午後である。

唐突に、仕事したくないなあと思った。

いや、そういうことはよくある。波のようなもので、仕事楽しいなと思える時期もあればなんの思い入れもなくなる時期もあるし、働きたくないなあと思い始める時期もある、それだけのことではある。

 

ただ、その日の午後やらなきゃいけない単純作業的な業務内容を考えて、めんどくさ、あと2時間半か、今は時短勤務だからまだ耐えられるけど、これで毎日残業だったら耐えられないつまらなさだわ。早く帰りたいなあ。

そんなふうに思ったのだ。

 

で、5時前に仕事を終えて、やったー今日も仕事が終わったぜ、時短勤務サマサマとタイムカードを押しながら、ふと思い至ったのだ。

わたしって、子育てが嫌で仕事して、仕事が嫌で子育てをしているのか? と。

 

なにもやりたいことや好きなことをやっていないのではないか?

仕事も子育ても、嫌なことから逃げるための、口実なのではないか?

人生全部が、暇つぶしでしかないんじゃないか?

 

子どもは愛しいし自分の命より大切だけれども、子育てがしたくて生きてきたわけではないし、

今の仕事は楽しいと思えることもあるけど、情熱を持って働けているわけではないし、どちらかというと就職に躓いて流れ流れて落ち着いた先であって、その中でどうにか働く意義を見つけようと努めてポジティブに思考するように気をつけているのが実態である。

 

 

わたしは何がしたいんだっけ、何が欲しかったんだっけ。

そんなありきたりな自問自答をして空虚な気分になった。

 

やりたいことはあったのだけれど、もう随分と長いこと触れてもいなくて、本当に好きだったのかどうか。時間があればYouTubeなんか見て時間を潰してしまって、仕事と家のこと以外はもう何もやる気が起きない。

だらだらと死ぬまでの時間を潰し続ける人生が続いていくだけ。

 

 

…ふとそんなことに気づいて、しかしそれで凄く落ち込んだかというと、日々仕事と育児で忙しいのもあってそうでもない。

多かれ少なかれみんなこんなものなのだろうと考えている。

子育てこそが生きがいだなんて言える人は実は少ないだろうし、仕事で自己実現ができている人、社会貢献が実感できている人も少数派だろう。

みんななんとかかんとかその時その時を「こなし」て、その合間に頭を空っぽにできるようなことをして時間を潰してるだけだよ、きっと。

きっと。

 

 

……ほんとかな?

育休から復帰しないけど給付金もらう

先日、うちのくうちゃんと同学年、生後10ヶ月の赤ちゃんのいるママとその家族とご飯を食べていて、育休からの復帰の話になった。

 

前提として、通常、育児休業給付金は子どもが1歳になるまでしかでないので、地方だと子が1歳になるタイミングで仕事復帰する人が多いらしい。都市部だと年度途中の入所が難しいので、1歳児クラスの4月から保育園に入れて仕事復帰する人が多い。保育園に申し込んだのに落ちた場合は最大2歳まで給付金が出る。給付金は雇用保険から出るので勤め先の会社が払っているわけではないし、雇用保険に入っていなかった人(扶養内でパートしてた人など)はもらえない。

 

ちなみにわたしはくうちゃんが0歳7か月になるころに保育園に入れた。家にずっといるというのが性に合わなさすぎるためだ(いやむしろ性に合いすぎるのか? とことん引きこもり怠惰に暮らしてしまうため)。

 

 

さて冒頭のママの話。

Hちゃんそろそろ1歳だよね、保育園に申し込んだの?

と聞くと、そろそろかな、と彼女。

じゃあ仕事復帰するんだ、とこちらが言うと、う~ん、どうかな、と歯切れの悪い返事。

あ、これはよく聞くアレだ、とピンときて、

「保育園に落ちて育休延長できるようにあえて落選確実な園に希望出した感じだね」

というと、ばれたか、と言いたげなバツの悪そうな顔をした。責めているわけではないので

「そういう人多いよ。というか1年以上育休取る人みんなそうじゃない?」

と付け加えると、横にいた旦那さんが、「みんな考えることは同じやな」とにやっと笑った。

 

では来年の4月から保育園に入るのか、と聞いたけれどそれもパッとしない返事だった。どうももうあまり復帰するつもりはないようだった。

 

彼女は

「復帰したら正社員からパートに雇用契約を切り替えることになってる」

「子どもが小さいうちは復帰しないでほしいと職場からも言われている(社員の突発的な欠勤に対応できる仕事ではないため)」

というようなことを言った。

 

彼女の仕事は、例えて言えば美容師みたいな仕事だ。

小さい店舗に数人のスタッフがいて、お客さんは基本的に事前予約制。朝の出勤時間は一般的な会社より遅いが、その分夜も遅い。その日出勤予定のスタッフの人数に応じて予約を取るし、指名なども入るから、急な欠勤への対応がかなり難しい。

夜働けない・子どもの病気などで突発的に休むことが多い子持ちは、社員としてあまり歓迎されないようだった。

 

たぶん彼女が産休に入ったあと人も補充(採用?)されて、戻ろうにも居場所がないのもあるだろう。

旦那さんが全国転勤前提の仕事についているため、復帰したところでいつまで今の土地にいるかもわからない、という事情もあるらしかった。

 

 

復帰の予定がないなら、子どもを産む時点で会社をやめて、育児休業給付金は受け取らない。

というのが育休の制度が想定しているところだと思うのだが、彼女はそうせず、辞める決心まではしてないけどたぶん復帰はしないだろうというグレーの状態のまま、とりあえず給付金を受け取っている状況だった。

 

 

腹は立たなかった。

けど制度の欠陥だよなとは思った。

勤め先に迷惑がかかるわけではなく、あとから返金義務が発生するわけでもないなら、そりゃもらえるもんはもらおうとなるよなと。

わたしの職場では子どもを産んだからといって辞める人なんてほぼ皆無なので、「復帰しないんだ…このまま専業主婦になるんだ…」というところに驚きはあったけれど、彼女のように「いつでも再就職できる資格を持って・子育てと相性の悪い職種で・小規模な会社で働く」人にとっては、一旦辞める、というのが最適解ぽい、という理解はできた。これはたぶんわたしの世界が狭すぎた。

そして今まで社会保険料を納めてきたのだし、いつか再就職したらまた納めるのだから、給付金はもらいたくなるよな。

 

いっそ子育てをする人みんなにお金配っちゃえばいいのにね。

たとえば、つわりが重すぎて妊娠初期に会社を辞めざるを得なかった人などは給付金がもらえないわけで。なんだかそれも不公平だよな、などと考えた。

 

 

1歳2ヶ月の意思表示能力、言葉の理解力など(備忘録)

くうちゃん1歳2ヶ月。

まだ言葉は出ないものの、意思表示が明確になってきたのでその成長を記録しておく。

 

前からそうであったが、ここひと月くらい顕著に、あれがほしい、テレビ見たい、あっちへ行きたい、などの意思を、指差しによって示してくれるようになった。

最近はこちらの言葉をある程度理解できるときもあって、以前よりわかりやすくなった。

たとえば、急に機嫌が悪くなってわーわー泣くとき。あやしても抱っこしてもだめ。

こんなときに「おなかがすいたのかな?」と尋ねると、急に泣き止み、「ん。」と言ってキッチンの方を指差す。

「ミルクがほしいのかな?」ととりあえず空の哺乳類を渡してみると、それを受け取ったうえでさらに「ん。」と戸棚を指差す。戸棚には粉ミルクが入っているのだ。ミルク作れ、の指示だろう。

かなりわかりやすい。

 

くうちゃんはどうやら、「おなかがすいた」「ミルク」「ごはん」「だっこ」「おでかけ」くらいは理解して聞き取れるようになってきたっぽい。

泣いていても、「ミルク持ってくるからね。すぐ戻るから待っててね」などと声をかければ、部屋を出てしばらく放置しても静かに待っていられるようにもなってきた。

他にもわかっているのかもしれないが、こちらから見てわかるのはそれくらい。

 

他には、普段入れない場所への扉が開いているとすぐ入ろうとするのだけど(キッチンとか)、それに気づいて親が慌てて扉を閉めるとすごい泣く。

意思表示、というか、意思が明確になってきたのだ。

やりたい!行きたい!の気持ちが明確になってきて、阻止されると「なぜだ!」と言わんばかりに泣いてしまう。

欲しいものと違うものが与えられると嫌がってそれを投げつけたりもする。

 

ここへ入っちゃだめとかこれを触っちゃだめとか、制限ばかりで嫌になるだろうな、可哀想だなとは思う。赤ちゃんはみんな好奇心旺盛だから。

休みの日はなるべく外に連れ出してあげたいと思っているが、いまだに頻繁に保育園で風邪をもらうのでそれもままならなかったりする。

お出かけできても、ふみちゃんと一緒だと、くうちゃんはベビーカーに載せて連れ歩かざるを得ないときも多い(くうちゃんを自由に遊ばせてあげられない)。

成長はうれしいが、それに見合った環境や体制を用意できないのがもどかしい。

 

くうちゃんは新生児の頃からよく笑う子で、いまも毎日本当によく笑っていてそれが救いではある。