5歳の娘が追い求める負けないヒーローと、AI
5歳の娘には、ここ数ヶ月ずっと続いているブームがある。 それはウルトラマンだ。しかもただの“好き”ではなく、毎日その世界にどっぷり浸かっているレベルのハマり方だ。朝起きて最初に口にするのもウルトラマン、保育園から帰ってきて語り始めるのもウルトラマン、寝る前に布団の中で考えているのもウルトラマン。親としては「そんなに好きなのか」と驚くほどだ。
その中でも、彼女が特に心を奪われているのが「ウルトラマンオメガ」。 理由を聞くと、彼女は迷いなくこう言う。
「だってオメガは最初から強いし、負けないから」*1
どうやら彼女の中では、“負けないこと”がヒーローの絶対条件らしい。 一度でも負けるシーンを見てしまうと、そのウルトラマンはもう候補から外れる。 「この人負けちゃったから、もうなりたくない」と、あっさり切り捨てる。
その価値観は、ゲームにもそのまま反映されている。 負けた瞬間、彼女の中でそのゲームは“もうやらないもの”に分類される。 悔しさをバネに再挑戦する、という発想はまだ芽生えていない。 「負ける=自分が弱い」という感覚が強いのかもしれない。
ピアノも同じだ。 最初の頃は楽しそうに鍵盤を叩いていたのに、最近は曲が難しくなってきて、練習を嫌がる日が増えた。 「もうやめたい」と言うこともある。 できないことに出会ったとき、彼女はまだその壁の越え方を知らない。 “できない自分”と向き合うのが苦手なのだ。
家では、3歳の弟に対して妙に強気になる。 正しいことを言っている時もあるが、時には自分の都合で作った“その場限りのルール”を押しつけようとする。 弟が反発すると、さらに強く出る。 自分が優位に立てる相手には強気でいたい、そんな気持ちが透けて見える。
こうして書き出してみると、彼女の中には「強くありたい」「負けたくない」という気持ちがとても強く根付いているのだと感じる。 その気持ちは決して悪いものではない。 むしろ、将来の粘り強さや挑戦心につながる可能性だってある。
ただ、親としては少しだけ心配にもなる。 もう少しおおらかに、負けても笑っていられるような子になってほしい。 完璧じゃなくてもいい、失敗してもいい、そう思える余裕を持ってほしい。 それが無理でも、せめて自分にも厳しく、負けん気を前向きな力に変えていけるように育ってほしい。
でも、5歳という年齢を考えれば、今の姿はとても自然なのかもしれない。 世界はまだ“勝ち”と“負け”の二択でできているように見えるし、できないことに出会うと不安になるのも当然だ。 弟に強く出るのも、自分の立場を確かめたい気持ちの表れだろう。
大切なのは、これからの時間の中で、彼女が少しずつ“負けても大丈夫”という感覚を身につけていくことだ。 負けても、失敗しても、挑戦し続ける姿こそが本当の強さだと、いつか気づいてくれたらいい。 そのために、親としてできることは、彼女がつまずいたときにそっと寄り添い、挑戦する勇気を支えてあげることなのだと思う。
ウルトラマンオメガのように“最初から強いヒーロー”ではなくてもいい。 むしろ、何度倒れても立ち上がるヒーローのほうが、ずっとかっこいい。 そんな価値観を、彼女が自分のペースで見つけていけるように、これからも見守っていきたい。
そしていつか、彼女自身が気づく日が来るだろう。 「負けないヒーロー」よりも、「負けても立ち上がる自分」のほうが、ずっと強いということに。
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今日の記事はAIに書いてもらっちゃった。
なんか最近全然ブログ書けてないし、ずっと書いてないと文章を書く感覚も抜けてきて書き始められないなあ。と思ってふとCopilotに聞いたら、あなたの代わりに書けるよ、と言う。
指示は次のとおりなのだけど、行間を読んでなんかいい感じな文章をよこしてきた。(すごくAI文っぽいけど)
↓
娘(5歳)の様子を記事にして。1000~3000字くらい。
・ここ4ヶ月くらいずっとウルトラマンにハマっている。
・大きくなったらウルトラマンオメガになりたい。という。なぜならオメガは最初から強くて負けないから。
・一回でも負ける戦いを見てしまうと、もうそのウルトラマンにはなりたくないらしい。
・ゲームでも、負けるともう2度とやりたがらない。
・ピアノも、最近難しくて練習を嫌がる。やめたいという。
・家では弟(3歳)にあれこれ口出しをする。それが正しい言い分の時もあれば自分都合で勝手に決めたその場限りのルールに無理やり従わせようとすることも多い。
・もうちょっとおおらかな子に育ってほしい。それが無理でも、せめて自分にも厳しく、負けん気を発揮して強く育ってほしい。
生成された記事を見て、そうそう、よくわかるね、という部分もあるし、言われてみればそうかも、となんだか感情を先読みされたかのような、本来なかった感情を勝手に作り出されたような部分もある。
機械がこれだけ書けるなら私いらんやん、とも思ったりする。
過去の自分の記事を読ませて「わたし風」の文章をまねてもらったり、生成された文章をそのまま出さずちゃんと直していけば、もう「自分で長い文章を書く」必要なんてないのかもしれない。
いや、これは趣味だから必要性とか効率化とかを考える意味はないのだけど、ないのだけど、、…。
現在わたしは、AIなんてほぼ不要の部署にいるので完全に時代に置いて行かれている真っ最中だけれど、数年後、それこそふみちゃんたちがパソコンやらスマホやらなんやらを使いこなすようになるころには、まったく、時代が変わっているのだろうな。
AIに手伝ってもらう日もあってよいとして、続けることを優先させようかな。
でもやっぱり自分でも書く楽しみを残しておかないと、人生が空っぽになってしまいそうだな。
*1:アマプラで見ていてまだ数話目なので、今のところ全部の怪獣に勝っているが、今後はやられるシーンも出てくるのかな?
ボイセンベリーのジャムとジュース
庭に植えているボイセンベリー(木苺の一種)。
6月に結構採れたうちの何割かを洗って冷凍しておいたので、いくつかのレシピを参考にしつつジャムにした。
以下、備忘録。
材料
・ボイセンベリー350g
・砂糖160g
・レモン1/4〜1/2個
道具
・深めの小さいフライパン
・目の細かいザル
・ザルを受けるボール
・木べら
・ジャム瓶 など
レシピ
①冷凍のままの木苺と砂糖をフライパンに入れ火にかける(中〜弱火)
②解凍されてきたら木べらで木苺を粗く潰す
③木苺が完全に解凍されたら火を止め、種を取るため少しずつザルに入れ濾していく(しっかり!)
④濾した木苺をフライパンに戻し、レモンを適当に搾り(小さじ1〜2くらい)ときどき混ぜながら煮詰める(中〜弱火)
⑤全体からジャバーという音とともに沸騰し、火を弱めても沸騰し続ける程度に煮詰まったらすぐに火を止める。
(この状態で数分加熱していたらちょっと固くなりすぎたので)(この段階ではまだとろとろの液体だが、冷めると固まってくる)
⑥瓶に詰め、逆さまにして冷ます。
おまけのジュース
①ザルに残った種部分に水(今回は400cc)を入れてとく
②①の水をフライパンに入れ、適当に砂糖を足し、一度沸騰させる
③冷やしたらジュースの出来上がり…だったのだが、今回はちょっと濃すぎた。味も甘さも。木苺がどろっとしていた。
水少なめ、甘さ濃いめで作ったうえで、炭酸で割れば美味しかったかも、という印象。

来年はもっとうまくやるぞ。
ジャムのほかに、アイスとかゼリーもいいかもしれない。
夏の夜のおばけ退治
もうすぐ3歳になるくぅちゃんの最近のお気に入りは、おばけの絵本だ。
うちに帰ったら「これ読んで」と持ってくるし、夜寝る前ももちろん読むし、朝起きたらすぐリビングに持っていけるようにと、読み終わっても棚に戻さず枕元に置いている。
つい最近まで乗り物図鑑一辺倒だったのに随分な変わりよう。
「まだ起きてる子をくっちまおう」などというおばけのセリフを渾身の演技で読み聞かせると「わあ!」とすごくうれしそうにする。目玉おやじみたいな声色で読むともっとよろこぶ。よろこぶのだが、寝る間際になってすごく怖がりだす。
「おばけいるよ」と言って窓を指さす。
電気を消そうとすると嫌がる(仕方ないので一番明るい常夜灯で寝ている)。
そしてなかなか寝付けない。
おばけが怖いの?と聞くと、唇をとがらせて「こわい…」と言う。
ちなみに、5歳になったばかりのふみちゃんは、はなから耳をふさいでその絵本を読もうとしない。くぅちゃん以上に怖いものが苦手である。(もとは彼女のチョイスで買った絵本だというのに…)
寝る時にくぅちゃんが怖がっていると、自分も怖いのと姉としての責任からか「いちおうおばけに声かけといたら…」とわたしに言ってくる。
そこでわたしは、絵本のマネをして窓に向かって大きな声を出す。「おーい、おばけたち、うちにはいい子しかいないよ〜。別のおうちに行きな〜」そして子どもたちに向かって、「もう大丈夫だよ。おばけ逃げて行っちゃったから」
子どもたちも「べつのおうち、ひひひ」と面白そうに笑う。
これでふみちゃんは安心して眠れるようなのだけど、くぅちゃんはまだ眠れない。
「大丈夫だよ、もしまた来てもお母さんがやっつけるから」と言っても、神妙な顔で唇をとがらせてごろごろしている。なかなか目を瞑ってくれない。
ならもう読むなよ…と思うのだけど、なんでか、翌朝にはまた読み聞かせをせがむ。枕元に置いたはずの絵本が見当たらないと、「おばけのほんは!」と怒りだす始末。
怖いけど好き、好きだけど怖い。
複雑なお年頃。
「探せばそこそこいる」程度の少数派
東京都が保育料を全員無償化する、なんて噂をきいた。国が出産費用の無償化を目指しているというニュースも見かけた。
くそう、あと数年早くその政策が始まっていれば今頃百万円以上貯金が増えていたのに、なんて悔しい気もするけれど、すでに百合子のおかげで下の子の保育料無償化などの恩恵は十分に受けているのでまあ良いことにする。
この調子で、わたしの住んでいる自治体で給食費無償とか学童費補助とかはじまってくれないかなあ。
さて、保育園の年中さんになったうちのふみちゃんは、わたしに似て慎重派で、自己中心的で、気難しい繊細な子に育ちつつある。わたしほど臆病ではなくむしろ勝気なところもあるが、やはり遺伝子の力には勝てないんだなあとあきらめの気持ち。幼いころの自分を見ているようでいたたまれない気分になることがよくある。
うちの子たちが通う保育園は、年長、年中の2学年だけ、合同保育になる。これまで赤ちゃんの時からずっと同じメンバーで過ごしてきたのに、いきなり先輩たちのクラスに混ざって、ふみちゃんはどうもそこはかとないストレスをためている様子。先生との関わりも、1対1での信頼関係ではなく、子ども同士がそれぞれ遊んでいるのをまとめたり仲裁してくれる役と言う感じになっていて、今のふみちゃんの不安を解決してくれるような感じではない。ふみちゃんが自力で耐えるなり乗り越えるなりするしかなく、親としては見守ることしかできない。
それなりにお友達とも仲良くしているようだけれど、本当に気が合う子はいないのかもしれないなあと心配している。
いまより小さいころから、ふみちゃんは乗り物とかレゴとか、恐竜とか、男の子が好むようなものが好きで、お世話人形とか、おままごととか、プリキュアは素通りしてきている。かといって戦いごっこは好きではないし、一方でひらひらのお洋服とかハートのシールとか絵本や塗り絵(恐竜の絵本、恐竜の塗り絵が多いけど…)は好きで、男の子と女の子の中間にいるような子どもだ。
男の子とも女の子ともそれなりに仲良く遊べるけど、どちらにいても一体感みたいなものは得にくいのかも。ほかの女の子たちみたいにませた性格ではないし、他の男の子たちみたいにやんちゃする性格でもなく。
三十数年生きてきたわたしは、そういう子は少数派ではあるものの、探せばいることを知っている。だから、似たような性格の女の子が身近にいるといいんだけどなあ、そういう子に出会える習い事とかないかなあ、と思っているけれど、恐竜好きの女の子にぴったりの習い事って何だろう、っていうところでずっと止まっている。
将来のことも、一般的に女の子が就くような仕事、で選ぶのではなくて、ちゃんと彼女の適正に合った職場を選んでほしい、と、今から心配している。だってその方がストレスが少ないから。「普通」の環境を選んでしまったら、そこからは茨の道だから。そのために彼女にはいろんな選択肢を提示してあげないとと思う。
こういう話をすると、大木くんは「考えすぎ」とか「むしろキノちゃんが勝手にふみちゃんをネガティブに評価してる」みたいなことを言うけれども。
最近の家でのふみちゃんは、ピアノ絵本にハマっている。1歳の時におばあちゃんから買ってもらったもので、これまではただ音楽を流して遊んでいただけなのだけれども、最近、楽譜に振ってある「ドレミ」のとおりに鍵盤を押せば自分で音楽を奏でられるのだということが腑に落ちたようで、親にも頼らず、一人で熱心に曲を覚えている。音楽が好きと言うよりも、暗号を解くような感覚なのかなと思う。
ひらがなを覚え始めた時もそうだった。お風呂に貼ってあるあいうえお表を、親に言われたわけではないのに熱心に声に出して読んで覚えていた。こういう時のふみちゃんの集中力はすごい。
別に天才というわけではなく、「探せばそこそこいる」程度の少数派である。でも、少数派であることには違いないと思う。
なるべく歩きやすい道を、満足感を得やすい人生を、と、親としてはどうしても思ってしまう。
坂道をくだるトロッコ
はあ。
やる気が出ない。全然出ない。
今日は仕事は休みを取っている。1日を有意義に過ごすべく朝イチで歯医者の予約を取っていたが、風邪で咳がひどいのでキャンセルし、かと言って子どもたちに起こされ朝寝坊も出来なかったので、子どもたちが保育園に行ったあとはひたすらソファでごろごろしている。だらだらしすぎて頭が痛い。さっき頭痛薬を飲んだ。
なんにもやる気が起きない。何もしないまま時間だけがすぎていくのは、それはそれでしんどい。仕事してたほうがましだ。
ただこれは生理前だからだとも思う。明日か明後日、生理が来る。
やる気が起きなくて、小説すら途中で投げ出し、YouTubeもすぐ飽きた。パソコンを立ち上げてブログを書くのも億劫で、これは寝っ転がりながらスマホで書いている。
ブログを書くのは、見たくもないテレビを眺めるよりは有意義な気がする…でもほとんど誰も読まないブログを書いて有意義ってなに?
誰も読まないなら紙の日記帳でもいいよな。それなら何十年と保存できるし。実は小学生の頃買ってもらった日記帳が、あまりにサボりすぎてまだ半分くらいページが余っている。何年かに一度、思い出して書いたりする。でも前回書いたのはいつだったろう。子どもが生まれる前?
そういえば、25歳くらいのとき、35歳の自分に宛てた手紙を書いて日記帳に挟んでた気がする。20歳のときにも、30歳の自分宛でなんか書かなかったっけ。忘れていた。こんなに暇ならそれを今日開けてみてもいいな、と思いついたものの、2階の部屋まで日記帳を取りに行くのも億劫だし、若い頃のもう少し体力があった頃に書いた手紙を読むのも億劫だ。きっと無責任な願望がたくさん書かれていて落ち込むだけに違いない。あと、読んだら返事を書かねばなるまい。次はまた、10年後の自分に宛てて。それが面倒だ。
10年後の自分。
子どもたちに未来はあっても、自分の未来なんてもうほとんど消えてしまったんじゃないかと思う。
10年後、なっていてほしい自分像は少しある。でもなれないだろうなという諦めがその前に来る。もし叶えようと思ったら、頑張らなくちゃいけない。でも毎日、1日1日をこなすのに精一杯で、体力がもうない。
なりたくない自分をやっている。こんな赤の他人から借りてきたような毎日だけで人生が終わるのだと最近気づいて、こんなはずではと思うのに、坂道をくだるトロッコみたいにこの道から降りられない。たぶん子どもの未来だけは守らなくてはならないのだと思う。子どもの未来を守った分だけ自分の、未来が消えるのかもしれない。だけど子どもたちの笑い声は幸せそのもので、それを壊してまで叶えるべきものをわたしは何も持たず、やはりこのまま人生が終わるのだと思う。
そうやって育てた子どもたちが30年後、今のわたしみたいになっていなければいいな。
はあ。やる気が出ない。
生理が来て風邪が治れば少しマシになるかな…。
そうしたら元気が出るはずだから、元気が出たら、手紙の返事あらためて考えよう…
姉としての命令
くうちゃん2歳、先日から風邪をひいていて機嫌が悪く、抱っこを要求しがちな日が続いている。
ふみちゃん4歳。くうちゃんの持っているものを何でも欲しがりがち。隣の芝が青く見えるのか、近所の方からそれぞれもらったカブトムシとクワガタのおもちゃ、はじめは自分から「カブトムシがいい」と言ってそれをもらっていたのに、結局あとからくうちゃんの持っているものがうらやましくなったのか、強引にクワガタと交換していた。
そんなふみちゃんはお父さんにべったりのお父さん子なのだけれど、くうちゃんがわたしに抱っこされているとやはり羨ましくなるようで、「ふみちゃんもだっこ」と駄々をこね始めることが多々ある。(駅中などで2人そろって「抱っこ」「抱っこ」と泣きわめくときなどは結構地獄である。かわいいけど。がんばって2人まとめて抱っこしてみるが…それで歩けるのは十数メートルが限界だ。)
昨日、風邪っぴきの大木君が二階で寝ていて、わたしがトイレに入ったタイミングで、ふみちゃんがくうちゃんにこんなことを言っているのが聞こえてきた。
「くうちゃん、いい? お母さんに抱っこ、ふみちゃんはダメっていうのはなしだからね? お母さんが好きなのはわかるけど、くうちゃんばっかりずうっと抱っこはダメだよ? ふみちゃんもお母さんは好きなんだからね? わかった? ねえ? へんじは?」
あんまりかわいいのでわたしは黙っていた。
お父さん子のふみちゃんは、「お父さんのことはディプロドクス(25~30mの恐竜)くらい好き」「お母さんはマメンチサウルス(約25mの恐竜)くらい」「くうちゃんのことは前はトリケラトプス(6~9mの恐竜)くらい好きだったけどいまはディプロドクスくらい好き」などと言うことがあるので「母の地位低いなあ……」とがっかりすることもあるのだけれども、盗み聞きした今の言葉でまた頑張れそうである。
くうちゃんは返事をするでもなく黙りこくっているようだった。
いつものように思案顔でちょっとうつむいて黙っているのだろうなあと思うとそれもかわいらしかった。
(9月に書いてアップするのを忘れていた記事を今頃アップしてみた。このひと月ほどでなぜかふみちゃんの「おとうさんじゃないといや!」はかなり鳴りを潜めて、おかあさんといっしょがいいと言ってくれることが増えた。父と母への愛情を比べるような発言も最近はない。母はうれしいが、父はさみしがっているかもしれない。)
怖がりな4歳
4歳のふみちゃんはとても怖がりだ。トトロも序盤のまっくろくろすけが怖くて見れなかったし、2、3歳児向けであるはずのアンパンマンの番組でも、サングラスをかけたバイキンマンが登場しただけでお父さんの膝に潜り込むほど。ほかには、動画で見るのは平気でも、生きた虫や犬も怖い。人間も怖い。
保育園からの帰り道、「なんでいつも先生にさよならを言わないの?」とたずねたところ、聞こえないほど小さな声で「きんちょう……」とつぶやいていた。赤ちゃんの頃から毎日会っていて、ピンチの時には抱っこもしてくれるやさしい先生相手でも緊張してしまうらしい。
そんなふみちゃんが最近ハマっているのはバーバパパ。あのピンク色のやつ。
以前にも何度か絵本を借りてきたことはあったけれど、立川のオバケ展で見て以来ブームが再燃して、さっそく図書館で絵本を借りて毎日読んでいるし、youtubeにも古いアニメの動画が上がっているので毎日1~2話ずつ見ている。(1話は5分くらい)
バーバパパは庭から生まれたやさしいオバケ(?)で、そのお話には怖いものは何も出てこない。パパもママも、それぞれ違った性格をした子どもたちもみんなやさしく、家族は信頼しあっている。そんな家族の日常の一コマ。起伏の少ない短いストーリー。それがふみちゃんのお気に入りである。
隣で見ていて親も癒されている。
先日、くうちゃんと大木くんが風邪をひいて休んだ日に、ふみちゃんと二人で保育園まで歩いて行った。
途中でご近所さんに会って声を掛けられたとき、例のごとくふみちゃんは無言で、「ほら、挨拶して」と促しても、わたしの足にしがみついてご近所さんをにらみつけるだけだった。
思えば生後数か月の赤ちゃんの頃からそうだった。知らない人に笑いかけられても、泣くでも笑うでもなく、ただじっと睨みつけていた。知人からは「全然動じない赤ちゃんだね」と笑われていたが、たぶん緊張してひたすら相手を観察しているだけだよな、と親は感じていた。やっぱりそのとおりだった。
ご近所さんと別れたあとで、「おはようございますって言えたらよかったねえ」と歩きながら伝えると、「きんちょうするんだもん。もう、おかあさんったらあ」と変にふざけた声で言っていた。
「じゃあ次は、聞こえないくらい小さい声で言ってみるっていうのはどう?」と提案すると、
「言ったよ! こころの中で」
と言う。
こころの中でかあ。
「なら、まあいっかぁ」
心の中で言えているのなら、そのうち言うようになるでしょう。