君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

落ち葉を拾う仕事がしたい

他の赤ちゃんもそうだと思うが、くーちゃんは抱っこして歩いていないと泣きやんでくれないときがある。それで今日も、くーちゃんを抱っこ紐に入れて公園を散歩していた。

 

広い公園にはプラタナスの大木が何本も植わっていて、風がそよぐたびにばさばさと大きな葉っぱが際限なく降ってきていた。シルバー人材センターの登録者とおぼしき70歳くらいの男性二人が、黙々と落ち葉を集めている。

プラタナスの根本には、すでに落ち葉がパンパンにつまった袋が10袋以上積まれている。拾っても拾っても落ち葉はなくならない。けれど、やらなければどんどん積もってしまうし、ずっとやっていれば少しはきれいになる。

 

わたしも定年退職したら、ああいう仕事がしたいな。

町の公園の清掃スタッフを見るたびわたしはそう思う。老後は週二日くらい公園なんかで働くのが夢。

なにも考えずに体を動かしていればよくて、仕事に明確なゴールがなくて、広い場所で各々が自分のペースで黙々と仕事をする。給料が安い分責任も少ない。それでいて世の中のために、ちょっと役立つ。

 

それなりの大学を出たから自分は頭がいいと思っていたけれど、実際にはわたしは、その場に即して臨機応変に考えるということが苦手だ。学校の勉強は、考えることより覚えることが多かったから性に合っていたただけ。競争することは嫌いじゃないと思っていたけど、苦手なことで競争するのはしんどい。あと、普通の仕事につきもののコミュニケーションもとても苦手。

就活するとき、そんな苦手なことだらけの普通の仕事をするのが嫌で、何か伝統工芸みたいなものの職人になれないかと考えた時期があった。ひとりで黙々と、作品、というよりも商品、に向き合う。クオリティの高い、でもクリエイティブじゃない工芸品を延々作り続けられたら。

でも美大を出ているわけでもない凡人の自分が、今さらそんな世界に弟子入りして、師匠の言うことが絶対、みたいな古い価値観の中で修行期間を乗り越えられる気がせずそれは諦めた。

 

そして就職活動から逃げて逃げて、しかし働かない自由もなく、逃げ切れなくなって結局普通の仕事に就職した。苦手なことを苦手じゃないふりをしてすり切れる日々。

 

別に高齢者でなくても、公園で落ち葉を拾うような仕事はあるのだろう。老後まで待つ必要はない。

でも、それで得られる給料で安心は得られないだろうし、何より老人に混ざって単純労働をして、自尊心を保てる自信がない。

 

だから、いつか年をとって、公園の落ち葉を拾う仕事をしても許される日が来るのを待っている。

それまでどうか、全自動落ち葉拾いロボットが発明されませんように。