君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

子どもには中学受験をさせるべきなの?

最近はTBSの『世界遺産』を夫婦でよく見ている。

先日はボツワナの湿地の回で、湿原をジャブジャブと歩くライオンを見ながら『ボツワナってどこだろう』と考えていた。

「家を買ったら、地球儀を買いたいね」

とわたしは大木くんに言った。リビングに地球儀を置いて、テレビや本で見た場所をふみちゃんと一緒に探す、少し先の未来を想像しながら。

日本地図も欲しいと思った。じいじとばあばの住む場所とか、旅行で行った場所にシールを貼って、ここへ行ったね、ここも行ったね、などとやりたい。

 

と言うのも、わたし自身が地理にとても疎いのだ。有名な観光地でも、どこそれ、聞いたことがない、何県?と言う感じ。要は教養がないのである。もっと教養、ほしかった。

そして自分に足りなかったものを、やはり子どもには身につけさせたいと思うものなのだ。

 

地方出身者あるあるかもしれないが、わたしは大学に入った時、それまで自分がいかに勉強しかしていなかったかを痛感したという経験がある。

入学したのは一応全国区の私立大だったが、実際には周囲の同級生たちは7割方実家暮らし、つまり東京やその近郊出身者だった。彼らはいろんなものに詳しかった。サークルの仲間たちは、わたしの知らない音楽や映画の話をしていた。海外ボランティアの仲間たちは、教科書の知識だけではない、国際関係などへの理解があり、読み書きだけではなく実際に使える英語を身に付けていた。そして何よりみんな、興味関心のあることを自分の言葉で語ることができ、また、人と議論することができていた。

 

なんだこの人たちは。

わたしは焦った。

 

わたしも別に何かが欠けた家庭で育ったわけではなく、ごく一般的な地方出身者だと思う。父と母はいずれも「家の目の前が田んぼと山」という田舎出身で、父は地方の無名大学を卒業し、中小企業で技術職として働いていた。母は、地元の短大を出て、正社員経験のないまま専業主婦になった。

2人はわたしを有名大に進学させようなどとは考えておらず、友達に感化されたわたしの方から、「塾に通ってみたい」と言い出した。塾ではそれなりの成績でいられたため、試しにトップクラスの高校を受験し、たまたま受かったので進学した。進学先では京大を目指す友人が多かったため、やはり感化されて勉強した。(なぜか東大志望者は少なかった。なんとなく、東大はいけ好かない、という雰囲気があった気がする。知らんけど。)

結局、京大には遠く及ばなかったが、一浪の末、東京に出てきた。

 

自分はこれまで、平均より勉強ができる方だった。そして勉強ができるから頭がいいのだと思っていた。しかし大学に入り、周りを見てみると、それはどうやら違ったらしいと気が付いた。「受験勉強しかしていない」というのは、圧倒的に何かが足りていないのだった。

 

 

ふみちゃんには同じように育ってほしくはないなと考えてしまう。

幅広い教養を身に付けてほしい。社会への関心をしっかり持って、論理的に思考し、人と議論できるようになってほしい。

だから自然といろいろなものを身近に感じられるように、いろんな経験をさせてあげたいし、両親が政治や社会問題なんかについて日常的に話し合っている様子も見せておきたい。

そういう話を、地球儀からの会話の流れで大木くんと話し合った。

 

 

 

しかし、わたしたちは親の価値観だけで勉強を強要することはしたくないと考えていて、少なくとも小学校までは公立に通わせ、中学も、もし本人が希望すれば私立中受験に挑戦させるかもしれないが、そうでなければ公立の中学校に行ってほしいと思っている。

なぜかと言うと、井の中の蛙になってほしくないからだ。私立中学に入れば、家に経済的余裕があって、まじめに勉強する育ちのいい子たちばかりに囲まれることになる。それが世の中の普通だと思って大人になってほしくなかった。

 

わたしの通った中学は校区に公営団地が広がっていて、塾に通う経済的余裕のないような子が周り普通にいた。(というか、そういう家庭の子はそもそも勉強に興味がない子が多かった。)そのため、塾に通わせてもらえて、その後東京の私大に(奨学金を借りながらではあるが)通わせてもらえる自分はかなり恵まれているのだ、という自覚を体感として持つことができた。

ふみちゃんにもそういう「普通」を知っておいてほしいと思っている。およそ半数の子が大学へは進学しない、というような日本の普通を。

 

 

が。

そんな折、「中学受験は将来的に役に立つ」という内容のブログ記事を見かけた。そして読むにつれてだんだんと不安になってきてしまった。

 

その人によると、中学受験経験者は、中学受験、大学受験と何度も過酷な受験勉強を経験することによって、要領がよくなって将来の仕事の能力も上がるということだった。

それはそうかもしれない、とわたしは怖気づく。

難関中学を目指すような子たちは、9歳や10歳(あるいはもっと前?)から、わたしの高校受験とは比べ物にならないくらい勉強をするのだろう。そんな小さいころからそれだけ真剣に勉強に取り組めば、確かに何かしら生涯使える能力が身に付きそうな気はする。

わたしなんか、その年ごろにはセミ取りとザリガニ釣りばっかりしてたもんな。。。小中をそうやって能天気に過ごした子どもは、小さいころから訓練してきた子には、大人になっても太刀打ちできないのかもしれない。実際、有名な中高一貫校出身の大学の先輩は、「魔法でも使ってるのか!?」と思うくらいめちゃくちゃ頭がよかった。

 

ということは、逆に言うと、受験させないことで子どもの将来の可能性を奪うことになってしまう…?

 

はてなブックマークのコメントを読んでますます不安になる。

自身も私立中学出身なのか、中学受験、中高一貫校のメリットを書き込む人がたくさん。

幼いころに勉強の習慣がしっかり身に付く、スタートダッシュは早い方がいい、とか、人脈ができる、高いレベルの教育を中学から受けることができる、など。……総じて、「その後の人生がイージーモードになる」という意見が続々。

 

それに対して、公立中学へ行くことのメリットってなんだろうか。上記に挙げたような「普通を知る」だが、このことが何か人生の役に立つのかと言うと、たぶん何の役に持ったない。むしろ金を稼げない方向に作用してしまう。たとえば、「貧困家庭を支援するNPOに就職しよう」などと考えようものなら、十中八九ワーキングプアまっしぐらだ。

そもそも、今わたしたちが住んでいる町は、日本の「普通」がわかる地域かというとそこも微妙だ。富裕層は多くなさそうと思っていたが、今ネットで調べてみると、平均世帯年収は都内の市町村の中でも比較的高い方だった。校区内に公営住宅もない。ギャルも不良も見かけない。公立中でも生徒の同質性は高そうだ。

 

また、健康な精神の成長という面でも、もしかしたら私立の方がいいかもしれない。わたし自身の経験を振り返ると、公立中学はスクールカーストがキツかった記憶がある。偏差値の高い学校はスクールカーストがない、あるいはゆるいところが多いだろうから、頭のいい子は早く私立へ行った方が自己肯定感をはぐくみやすいだろうな、と思う。

カースト上位の子たちと渡り合うこともよい経験になるといえばなるが、その後ずっとエリートコースを歩むのであれば、その経験もやはり何の役にも立たない。

 

冒頭で書いたような幅広い教養を身に付けるのにも、親が自己流で頑張るよりも、私立の学校で質の高い教育を受け、育ちがよく教養のある同級生たちに囲まれてすごす方が断然いいだろう。

 

 

と、ここまでつらつら考えて、「やはり私立受験を親として勧めるべきなのか」などという結論にたどり着きそうになるが、しかしなんともモヤモヤしてしまう。

うちの経済状況からすると、もしふみちゃんの下にもう一人子どもをもうけた場合、二人の子どもを中学から私立へ行かせる(そのために小学校から塾へも通わせる)のは結構カツカツ…という事情もある。そのため、結局金持ちの子どもが金持ちになるだけなんだ、という荒んだ気分にもなってくる。

 

そもそも、わたしや大木くんはふみちゃんに金を稼げるエリートになってほしいのだろうか。

それもちょっと違うような気がする。

わたしたちは、子どもには豊かな人生を送ってほしいと思っている。

しかし豊かさとは何なのだろうか。

ふみちゃんがもし自分で何か目標を見つけたら、それに向かってとことん努力してほしいと思うし、逆にあんまり頑張らないでほどほどの人生を送りたいと本人が望むのであれば、そう生きていってくれればいいと思う。

親が子どもの人生の豊かさを勝手に定義することはできない。かと言って、まだ10歳になるかならないかの子どもが、自分で目標を掲げ、それにいたる道筋を考えて自分から中学を受験したいと言うようになるとも思えない。

 

親としてできること、やるべきことは何なのだろう。