君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

下の子は上の子のスペア説

正直に告白すると、ふみちゃんになにかあったら生きていけないからふみちゃんのスペアがほしい、という気持ちはなくはなかった。

ふたり目が欲しかった理由。

もちろん、単純に子どもが多いほうが楽しいだろうと思っていたし、自分自身がきょうだいがいたのでひとりっ子のイメージが持てなかったというのもあるし、親の影響力をひとりに集中させるより分散させたほうがいいだろうというのもあった。もしかしたら、少子化を憂いて未来に少しでも貢献しようという考えもあったのかもしれない。

でも、なにかあったときの、代わりがほしい。そんな気持ちも、なくはなかった。ように思う。

 

ところで、ふみちゃんを妊娠した3年前からわたしは、どうやって死や重大事故を回避するか、ということを毎日考えるようになった。

いま躓いた場合どう受け身を取るか。あのバイクが突っ込んできたらどの向きに避けるか。いま地震が来たらこの古いブロック塀が倒れる可能性があるからあちらに逃げよう、いまふみちゃんが喉をつまらせたらまずは背部叩打法、次に腹部突き上げ法で…。

こういうことを考えない日はない。のんびりおしゃべりしながら散歩していても、頭のどこかでシミュレートし続けている。

 

昨日の夜も、もしいま地震が来たら、なんてことを考えていた。

普段はひとつの寝室に家族4人で寝ているから、ふみちゃんを大木くんに任せ、わたしはくうちゃんだけを守れればいい。でも昨日は大木くんはまだリビングでテレビを見ていた。寝室には子ども2人とわたしだけ。

まずくうちゃんを抱っこしてふみちゃんのところへ駆けつける。いや、くうちゃんはまだ腰も座っていなくて乱暴に抱きかかえると危ないから、先にふみちゃんか? でもくうちゃんは自分で動くことができないしな。優先順位はどっちだっけ。

と、ここまで考えて気がついた。

優先順位が、ない。

くうちゃんとふみちゃん、どちらの命がより大切か、どちらなら怪我をしてもよいか。そんな順位はないのだった。年齢や状態に違いはあれど、どちらも等しくわたしが守らねばならない子どもだった。

当然だ。

 

ここで唐突に、くうちゃんの妊娠前に、ふみちゃんのスペアがほしいなどと考えていたことを思い出した。

スペアだなんて笑ってしまう。

何かあったら困る命が、ふたつに増えただけだった。