君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

いのちの鎖

ふみちゃんは生後2か月になった。まだ2か月。しかし、あたかもずっと前から我が家にいたかのように当たり前に家族としてうちで寝て、当たり前にわたしたち夫婦に抱っこされている。

ここ最近のふみちゃんは夜は7,8時ごろから朝7時ごろまでしっかりと「寝るモード」になってくれて、寝かしつけをしなくてもすっと寝てくれる。3,4回の授乳中も眠そうで、飲み終わるともう寝ている。赤ちゃんがどうしてそう自然に昼夜の区別がつくようになるのか不思議だけれど、ともかく親孝行な子だ。

そしてたいてい午前中はごきげんでおもちゃや絵本に興味を示したりして、夕方になると疲れてくるのか、それとも成長痛でもあるのか、よくぐずっている。

 

先日も午後になかなか落ち着かないので、抱っこしてゆらゆらしながらスピッツの『優しいあの子』を歌っていた。

スピッツはもともと好きだけれど、ふみちゃんがうまれてからさらによく聞くようになった。スピッツの奏でるメロディーは不思議と子どもに聞かせたくなるのだ。大木くんもスピッツファンなので、ふみちゃんが大きくなったら家族みんなでスピッツのライブに行きたいねと話している。

 

話を戻そう。「優しいあの子」である。


スピッツ / 優しいあの子

 

この曲の1番の歌詞は北海道の開拓がモチーフになっているのかなと思っている。本土でも貧しかった人たちが北海道に移住し、移住先でもきっと厳しい自然の中苦しい思いをたくさんして、そうやって大地を切り拓き今の北海道を作っていったという力強い歴史を、歌いながらぼんやり想像した。(2番は反対に、アイヌの人たちがモチーフになっているようだ)

 

うちの大木くんは北海道出身で、ひいおじいさんの代に北海道に移住したらしい。1900年前後だろうか。

日本の様々な地域からそれぞれ北海道に入ったご先祖たちが、そこで生活を営み、出会い、大木くんという命につながった。そしてその娘がいま東京に生まれた。

そう考えるととても不思議だなと思う。

これまで他人事として聞き流していた大木くんのルーツの話が、ふみちゃんを通してわたしにもつながりができた。ふみちゃんが生まれて初めて、北海道の大木くんの家族が本当に親戚になった気がする。

 

わたし自身も、父と母が出会い、祖父と祖母が出会い、曾祖父と曾祖母が出会い…という縁の果てに自分の存在があるのだが、そんなことはこれまでどうでもよかった。というかいまでもわりとどうでもいい。わたしがうまれたのは「たまたま」に過ぎない、わたしという存在の有無にさしたる意味も価値もないと思っている。

けれどふみちゃんについては、そうした縁が繋がって繋がって、その時々で困難を乗り越えてきたご先祖たち、その歴史の上にここに生まれてきたのだなと思うとなぜか尊い気持ちになる。何億分の、何兆分の一の確率でふみちゃんという存在が誕生した。ふみちゃんの命も、わたし同様「たまたま」でしかないはずだが、今となってはわたしたちの娘として彼女以外の存在は考えられず、わたしたちのもとにいるのが他でもないふみちゃんであるということをとても愛しく思う。