産後1か月を過ぎたので、久々に美容院と買い物のため3時間ほど外出したら、それだけでへとへとになってしまい微熱が出た。貧血も治らないし、体力の衰えを感じる今日この頃。
さて、産後1か月である。
ということで、先日、ふみちゃんの1か月健診に行ってきたのだが、驚いたことがあった。
病院には、同じく1か月健診と思しき小さい赤ちゃんを連れた親子がわたしたちのほかに3組いたのだけれど、そのいずれもが夫婦そろっての来院だったのだ。
もちろん、うちも大木くんが仕事を休んで付き添ってくれていた。
そのことに対し、わたしは「まだ赤ちゃん連れで外出することになれないわたしたちのためにわざわざ仕事を休んで一緒に来てくれる大木くんってやっぱり素敵♡」と有難く思っていたのだけれど、もしや1か月健診に夫婦そろってくるのって珍しいことでも何でもなく当たり前なのか!? とかなり衝撃を受けたのだ。
この日は平日。他の3人の父親全員がたまたま仕事が休みの日とは考えづらい。みんなこのためにわざわざ休みを取っているか、あるいはひょっとすると1か月以上の長い育休をとっているパパたちかもしれなかった。
ふと周りを見渡すと、その小児科のロビーには様々な年齢の子どもがいて、母親のみと来ている親子もいれば、父親と来ている親子も結構いる。
その病院のあるエリアが、都心から遠すぎず近すぎずの郊外で、ワークライフバランス重視の人が多く住んでいそうな地域というのもあるけれど、それにしても父親比率が高い。
それを見て、子どもの通院に父親が付き添うのが当たり前の時代になっていたんだ…!!と驚きと喜びを感じた。
家に帰ってこのことを大木くんに話すと、大木くんも気づいていたようで、「もう俺ごときではイクメンは名乗れないんですよ」と言った。
そうかもしれない。令和の時代、イクメンを名乗るには妻よりも圧倒的に多く家事育児にコミットするくらいの父親でないといけないのかもしれない。
しかしいつの間にそんな時代になっていたのだろう。
わたしもつい数年前までは、「共働きの妻にとって結婚は負担が増え、不公平感が募るだけの罰ゲーム、人生の足枷でしかない」と思っていたのだが。
大木くんと付き合う前までのわたしは、「もし将来だれかと結婚したら、『なんで共働きなのにわたしばっかり家事も育児もやらなきゃいけないの! ムキ―!』とヒステリックに叫ぶ未来しか思い描けないから、結婚なんかするまい」と思っていた。
なぜそう思っていたのだろう。
答えは簡単で、そのころ付き合っていた相手がそういう人だったというだけだ。
脱いだ靴下はそのまま放置、食事のあと、お皿を下げることすらしない。そんなタイプの人だった。
なぜあの人はああいうことが平気でできたのだろうなあと考えると、単にそういう人だった、というのもあるけれど、世代が違ったからではないかと今では思う。
その人は10コくらい年上だった。ということは、現在はすでに40代。今の40代以上の人は、いまだに「家事育児(のメイン担当)は女性の仕事」という認識の人が多いのだろう。うちの職場にも、家事は一切やらないと豪語している男の先輩がいる。そういう時代に生きてきたから、今さら価値観を変えられないのだ。そして当時の彼氏もそういう時代の人だったというだけだ。
けれど、わたしがそんな古い世代の人と付き合っている間に時代は変わっていた。
テレビやネットでは、いまだに「ごみを玄関からゴミステーションに運んだだけで家事やってますアピールする男」が問題になったりしているが、そんな男性、今の20代から30代前半くらいの世代にはもういないんじゃないかと思う。
子どもの健診には付き添うし、ベビーカーは自分が押すし、赤ちゃんが泣いたら率先して抱き上げるのが今の時代の父親の姿なのだ。*1
時代は少しずつ変わる。
ふみちゃんが大人になる頃にはまた少し変わっているのだろう。夫婦の在り方や、結婚制度そのものについても。わたしたち夫婦の在り方も、そのころには「古い」と言われてしまうかもしれない。
なんでもいいけど、ふみちゃんには軽やかに人生を謳歌していってほしい。
ちなみに大木くんは、昨日お風呂に入りながら「ふみちゃんが高校生くらいになってうちに彼氏連れてきたらどうしよう」という想像をしたらしい。その日が楽しみですね笑
写真は先日の大木くん作ばんごはん。鶏肉とモロッコインゲンのオイスター炒めと玉ねぎのサラダ、トマトの中華スープ。大木くんの料理スキル以前に、今回は豆がうまい。
*1:ここまで家事と育児をいっしょくたにして語ってしまった。でもまあ、育児を妻と対等にやれる男性は家事についてもたぶん同じなんじゃないか、という推定で書いている。