君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

人生で最も幸福なひととき

人生で最も強く幸福感を抱いたかもしれない。


先日、早朝にお腹がすいて泣き出したふみちゃんを、自分の布団に持ってきて寝ながら授乳してみた。
添い寝しながらの授乳なので「添い乳」などというらしい。本当は、赤ちゃんを窒息させてしまう危険性もあるからやるまいと思っていたのだけど、その日は頻回な授乳で眠すぎて起きていられなかった。

ふみちゃんの背中に手を添えてうつらうつらしながら授乳していると、ふみちゃんもうつらうつらしながら飲み、そしてそのまま仰向けになって満足そうに眠ってしまった。


それを見たときのえも言われぬ幸福感。
自分の胸に抱かれながら安心して眠る小さな命。
わたしの位置から、赤ちゃんにしては長いまつげと、つんとしたくちびるが見える。いたいけで可愛らしい。小さな寝息。
こんな幸福が世の中にあるのかと思った。
格好としてはわたしが彼女を包んでいるのだけど、わたしの方が何かに包まれているような大きな安心感と喜びがあった。
ふみちゃんか生まれてひと月たつが、この時が最もオキシトシンが分泌されていたと思う。いや、これまでのわたしの人生の中で最も幸福なひとときだったかもしれない。

育児でこんな幸せを感じられるなんて知らなかった。



また、ふみちゃんは昨日から、こちらの目を見て何かを訴えるように、あぅーとか、ふぅーとか、高くて可愛らしい声を出すようになった。クーイングという行動らしい。

これまでは不快なことが生じたときにただ泣くだけで、親の存在を認識しているのかあやしいくらいだったのが、向こうから積極的にコミュニケーションをとろうとしているということに感動した。新生児だったそれまでと全く違う生き物のようだった。というか、明らかに人間らしくなってきている。
「どうしたのー?」とか、「ごきげんだねー」などと返事をしてやると、また「あぅー」と返ってくる。会話ができている。
可愛い。可愛すぎる。きゅん死してしまう。

きっと生まれたてが一番可愛かったのに、もう大きくなってしまって残念だな、などとここ数日考えてしまっていたが、そんなことはなかった。
赤ん坊が向こうからコミュニケーションをとろうとしてくれること。こんなに嬉しいことはなかった。今が一番可愛いかもしれない、などと考えた。


親バカかもしれないが、ふみちゃんは顔も可愛い気がする。とても賢そうな目をしていて、美人だ。
「日本で一番とまでは言わないけど、○○が丘で一番くらいには可愛いんじゃない?」
と大木くんに同意を求めると、
「○○が丘に何人赤ちゃんがいるのかは知らんけどそうかもね」
と笑いながら頷いてくれた。


明日もまたふみちゃんとおしゃべりできるのかな。
そう思うと、眠りにつく瞬間まで幸せだ。