君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

あの雲の向こう

f:id:kinoshita-kinoshita:20200726174252j:plain

ミックスベリーとバニラアイスを買ってきて、ホットケーキの朝ごはん。



ソファに並んで座り、子どもがもし女の子だったら〇〇ちゃんって名前もいいんじゃない?

なんてことを大木くんと言い合っていて、あれ、大学の同級生で〇〇ちゃんって子いたなと、ふと思い出した。周りが就活一色だった三年生の終わりに唐突に留学に行ってしまった子だ。出発が近くなったころ、他の友達と一緒にお別れ会というか、一緒に遊んで、餞別としてわたしは醤油のミニボトルを渡したのを覚えている。イタリアじゃあ、醤油も売っていないかもしれないと思って。

 

その子とは結局それきりになってしまった。わたしは単位を落として留年が決まったころから友人たちとは距離を置くようになってしまっていたから、帰国した彼女に会うことが気持ち的にできなかったのだ。

今彼女はどうしているのだろうなあ。

何の気なしにスマホで名前を検索してみる。特に変わった名前でもない。Facebookで同姓同名が何人も出てきた。その中に彼女がいるかどうかはわからない。その中の一人は、小さな子どもの写真をプロフィール写真として使っていた。年齢的にも、もしかしたらこのアカウントかも。

大木くんも、「俺の大学の同期にも、4年になって留学に行ったやつがいるけど、今地方でクラフトビール作ってるよ」と言った。留学したからといって国際的な仕事をしているとは限らないと言いたいらしい。

彼女も結婚して子どもを産んで、案外普通の生活をしているのかもしれないなと想像した。

 

が、しばらくして、はたと、漢字が違ったかも、ということに気が付いた。

そうだそうだ、〇〇じゃなくて●●だ。読みは同じだけど。

と検索しなおす。検索実行ボタンをタップし、すぐ、あ、この子だ、とわかった。10年前と変わらない顔写真が一番上に出てきたのだ。

彼女が今どうしているか、簡単に知ることができた。彼女の名前で検索したそのページには、彼女のことを書いたサイトばかりを表示していたから。

 

彼女は今、母校(偏差値70くらい)の大学院の博士課程にいるらしかった。

紹介記事を読むと、大学を卒業後、一度大手企業に勤めるも退職し、大学院に進学、国際NGOや国際機関のインターンを経験し、今博士課程にいる、ということだった。しかもよほど優秀なのか、大学から多額の奨学金を受けて研究を行っているようだった。

 

軽く衝撃だった。

そしてとても嬉しかった。

あの頃の、そのままの道を歩いている同級生がいる、ということがうれしかった。

彼女はわたしみたいに流されてなんとなく平凡な人生を生きるのではなく、ちゃんと自分の意志で自分の人生を選んでいるように見えた。純粋にすごいと思った。

彼女はこのまま研究者になるのだろうか。

陰ながら応援したいと思う。

 

今、わたしはとても平凡な会社に勤めて平凡な稼ぎを得て平凡な結婚をして平凡な暮らしを送っている。それは悪いことではないけれど、学生時代のように、将来こんなことをしたい、あんなことを成し遂げたいと目をキラキラさせて語る人は周囲にいなくなった。わたし自身も、今は何も語る未来がない。

職場には同じ大学の出身者もいるが、どちらかというとその大学の中ではうまく就活の波に乗れなかったタイプ、言葉を選ばなければ「落ちこぼれた人たち(わたし含め)」がここに落ち着いたというだけなので、意識の高い人は少ない。

そんな暮らしの中で、彼女のように学生時代のキラキラを今も持ち続けているであろう人がちゃんといるのだ、ということを知って、なんというかとても勇気づけられた。

 

 

大学を留年し、わたしはそれまでの友人と完全に疎遠になってしまった。

今、高校、大学時代の友人たちがどこでどうしているか、まったく知らない。

 

いや、もう一人だけ知っている子がいる。

彼女のことも、グーグルで検索して知った。

ある日の仕事帰り、中央線の電車の中で、高校時代一番仲の良かった友人によく似た女性を見かけた。まさかと思って、その人が降りた後すぐ彼女の名前を検索したのだ。

彼女も平凡な名前で、同姓同名が多いはずなのに、検索結果のトップに彼女の紹介ページが出てきた。

グレーのスーツを着ているが、あのころと変わらない優しそうな笑顔の写真。彼女は東京から数百キロ離れた土地で弁護士になっていた。

そうか、あのまま弁護士になったんだ……

彼女と最後に会った日を思い出していた。東京の大学を卒業し、地方のロースクールに進学を決めた彼女と二人で遊んだ帰り道、彼女は「人生を選んじゃったんだな、って思って」と言った。弁護士になり、その大学のあるエリアで働く、そういう人生をもうすでに選んでしまったのだ、という意味だった。

 

あれから、選んだ道をそのまま進んだのだな。

少し安心したような、同時に少し寂しかったような。

 

同じ地平を歩いていたはずなのに、一緒に夢や目標を語り合っていたはずなのに、わたしはそこで頑張り続けることができなくて落ちこぼれ、彼女らはいつの間にか雲の上の人のようになっていた。

わたしはもうあそこには戻れないのだろうなあ。

雲の上を見上げて思う。

 

 

でも、わたしもここからもう少し頑張れるんじゃないか、と今回は感じた。

こんな平凡な場所にいて、頑張ったところで平凡の範囲内にしか辿り着けないだろうけれど、昔みたいにちょっと上を見上げながらまた走ってみたいと思った。

今のこの生ぬるい生活の中に、もう少しだけ熱を加えてみてもいいんじゃないか。ここからやれることがもうすこしあるんじゃないか。

 

たとえわたしの姿があの雲の上からは見えなかったとしても。