君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

専業主婦について

いよいよあと数日で親になると思うと、きっとその日から人生や価値観がどっと変わってしまうだろうという予感があって、今、親でない状態で考えていることを記録しておきたいと思ってしまう。

ここ数日ブログの更新頻度が上がっているのはそのため。

 

今回は専業主婦について。

 

専業主婦、と言っても状況は一人一人違うだろうから十把一絡げに語るのは間違いなのだろうけれど、最近まで、わたしは専業主婦という生き方を理解できなかった。

たぶん中学生くらいからすでに思っていた。お父さんは毎日忙しく働いているのになぜお母さんは毎日お気楽に生活しているのだ、不公平ではないか、などと思っていたし、妹の友達で「お嫁さんになりたい」と言っている子がいる、と聞いた時は「そういうことを言う人がいるから女の人は世の人達から固定観念を持たれて仕事で活躍できないんだ」と苛立ちを感じていた記憶がある。

 

もちろん、一昔前は今より女性に選択肢が少なかったというのはわかるし、現代でも、夫婦間で納得していればいいわけで、外野がひとの生き方に意見を言うべきでないということは理解していた。

けれど、どうしてもモヤモヤしてしまっていた。勤労の義務を男性に押し付けているように見えたり、あるいは、主婦本人の自己実現の機会が奪われている、という風にも見えていた。

考えが変わったのは本当に、ごくごく最近である。

 

単純に男女逆で考えてみたら考えが変わったというだけの話なのだけれど。

 

もし、わたしが毎日午前様というような激務をしていて、しかもそれは世の中を大きく動かすようなやりがいのある仕事であり、この先もずっとこの仕事を頑張りたいと思え、かつ年収が1千万くらいあったら、というのをちょっと妄想してみたのだ。

 

だいぶキラキラな妄想だが、まあ、頭の中で妄想するのは個人の自由なので……。

 

さて、その場合、今のわたしたち夫婦のように「夫婦共働きで2人とも半分ずつ家事育児を分担♪」なんて夢のまた夢だったはずだ。

仕事も楽しいけれどパートナーがいればもっと楽しいな、とは思ったかもしれないが、家事負担が今より増えるというのはどう考えても無理……と思うだろう。

そんな時、恋人が「俺が君を支えるからめいっぱい仕事を頑張りなよ」って応援してくれたらすごく救われるんじゃないか。

出産だけは女性にしかできないので3か月程度の産休は最低でも必要になるが、その後はパートナーが「全部俺に任せて!」って言ってくれたら天国なんじゃないか。

しかもそれでパートナーが、家庭に入ったことについて特に劣等感を抱く様子もなく、毎日お気楽に、楽しそうにやっていてくれたとしたら、「夫に仕事を辞めさせてしまった」などという罪悪感も抱かなくていい。つまり、パートナーはお気楽な性格の方がいい。

都合のいい妄想だけれども、ついでにもう一つ妄想すると、出来ればそのパートナーが子どもの前でわたしのことを立ててくれるとありがたい。「お母さんは毎日僕らのために一生懸命お仕事をしているんだよ」って感じで。激務で子どもと関われる時間が少ない分、そのお膳立てをしてくれれば、仕事に打ち込みながらも子を持つ幸せも感じられるだろうと思う。

 

もしそんな専業主夫のパートナーを得られたとしたら、彼に心配をかけないよう、わたしは喜んで自ら高い生命保険に加入するだろう。パートナーと子どもたちのためにますます仕事に励んで資産も増やすし、家事が手抜きでも相手が毎日お昼寝していてもきっと気にならない。料理はおいしい方がいいけど、どうせ平日は家で食べられないので休日だけやってくれれば十分だ。

子どもにそれほど手がかからなくなったあとも家の中にずっといて時間を持て余している、というのは少し心配だから、何年かしたら、適度にパートに出たり習い事を始めたりPTA役員を引き受けるなど何かしら活動してくれるとなお安心である。仮に自分が死んでも、パートナーは社会の中でなんだかんだやっていける人なんだな、というのがわかれば心強い。

 

 

……などと都合のいいキラキラ妄想を繰り広げていたら、ふと、これうちのオカンやん、ということに気が付いた。

 

結婚前も非正規の仕事しかしていなかったというのもあるが、転勤族の妻、という立場で、ずっと働き続けるという選択肢がほぼなかったうちの母。結婚後数年間は子どもができなかったが、その縁もゆかりもなかった土地で非正規で働きつつ、スポーツのチームにも入り、一生モノの友人まで作っている。

小さい頃わたしはよく近所の子たちと遊んでいて、家族ぐるみの付き合いも多かったと記憶しているのだけれど、それってつまり母がうまくご近所づきあいをしていたということに他ならない。

そして下の妹が6歳になるころに母はパートを初め、また40過ぎて始めた趣味の分野で、アラフィフになって稼ぎ始めた。(稼ぎは父の扶養の範囲内)

いつもお気楽そうで家事もちょいちょい手抜きだったが、その肩に力が入っていない感じが、父からすればありがたかったのではないかと思う。

しかも母はことあるごとに父に関するのろけを子どもに聞かせ、父がどんなに尊敬に値する人物であるかをさりげなく話していた。そのためわたしたち姉妹はそれを鵜呑みにするように、父を尊敬して育った。

 

こう考えてみると、うちのオカンはある意味完璧な専業主婦だったのかもしれない。

十代、二十代のころは、父も母もわたしのロールモデルにはなってくれなかったので(働いて生きていきたいから母のようにはなりたくない、でも女だからきっと稼いでいても家事育児を求められてしまうので父のようにも生きることはできない)、敵意のような気持ちもあった。が、まあ結局わたしはバリキャリにはならなかったし、大木くんも残業少ないから家事分担余裕だし、何より今満たされているし、ということで、ここへきて専業シュフな人々がヒトゴトになった。

他人事になって距離を置いて見てみると、単純だが、「その人たちが幸せならいいじゃない」という結論にしか結局ならなくて、幸せそうな専業シュフとそのパートナーを見ても、「よかったね」って、素直に思えるようになっていた。

 

長時間労働を是認するつもりはないし、男性だとまだまだ専業主夫のハードルは高いし、わたし自身も、「女性だから家事労働を担うべき」という価値観を社会から押し付けられそうになることが今もまだあって、だから上記の妄想だけではユートピアは作れないのだけれど、とにかく最近、なんだか毒が抜けたような気がする。

 

こう思えるようになってよかった。

これから子どもが生まれるけれど、なるべく価値観を押し付けることなく、のびのび育てていければいいなと思っている。