君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

魔法の絨毯

うちは転勤族だったから、いつも通りすがりのお客さん気分だった。

 

わたしにとって初めての引っ越しは7歳の時だ。そこから流浪の人生が始まった。

あの町にはもう20年以上行っていない。

このあいだ、グーグルアースで見てみたけれど、家の向かいの田んぼがなくなって住宅地になっていた。裏庭にこっそり植えて、数十センチまで成長した枇杷の木はどうなっただろう。さすがにそこまではグーグルでも知ることができない。

 

次の引っ越しまではたったの2年だった。よくある話だが、家を買ったとたんに父の転勤が決まった。だから買った家には住むことなく引っ越した。

わたしは4年生になっていた。数年たったら買った家に戻れるのだと聞いての転校だった。

そのころからなのだと思う。「そのうちこの土地を離れる。だからどうせこの人たちとも別れる」という意識を持ちながら生きるようになったのは。

友達はできたが、構えずに何でも話せる相手はついにできなかった。「どうせまた引っ越すしここで頑張らなくてもいいや」という考えは、慰めにも諦めにも作用した。

 

5年弱して、ようやく次の引っ越しとなった。これが父の最後の転勤となる。以前買った家に戻ることになった。

引っ越してひと月ほどで中学校の修学旅行に行った。仕方がないので、まだ親しくない子たちのグループに入れてもらった。

一年後、中学を卒業したわたしは都会の高校に通うことになった。通学に片道2時間。平日も休日も塾とバイトに明け暮れ、家には寝に帰るだけ。当然地元意識は育たなかった。

初めの頃は地元の国立大学くらいに進めればいいかと考えていたが、周りの子たちは京都や東京の大学を目指していた。自然と、自分も卒業したらこの県を離れるのだなと考えるようになった。

 

そして東京に来た。一時妹のいる横浜に身を寄せたり、就職で数年間千葉に住んだりしたが、結婚のため今はまた都内に住んでいる。

マンション暮らし。周囲に知り合いはいない。

この町の市民だという意識はない。

一人か二人世帯向けの部屋なので、子どもができたら引っ越すだろう。そしてまだ家を買う気はないので、次の場所へ引っ越しても、数年したらきっとまた引っ越すことになるだろう。

 

次はどこへ行くことになるだろうか。

住みたいと言えるほどの街は特にない。お互いの職場の中間くらいで駅からそう遠くなければ。その程度だ。

じゃあ、わたしはどこに住みたかっただろう。これまでに住みたかった、住み続けたかった町はあるだろうか。

しかしこれまでの人生を振り返ってみても、やはり特にない。

どこにいてもお客さん気分だったから、そこが自分の町だとは思えなかったのだ。少しばかり愛着を持った土地でも、引っ越しが決まった途端にどうでもよくなった。

住んでいるときは特別なものだと感じていた、趣のある小道や小さな庭園、桜並木の風景も、引っ越してしまえば「どこにでもある風景」でしかなくなるのだ。

 

いつまで引っ越しを繰り返すのだろう。

いつまでお客さんのままなのだろう。

 

きっと家を建てても、「東京の人間になった」という思いを持つ日は来ないと思う。ここはわたしの街ではない。置かせてもらっているだけ。

でも、帰る町もない。

 

 

ただ、そのことをわたしはそんなに悪いことだとは思っていない。

いつでも、嫌になったら出て行くし、気に入ったらそこへ行く。そうやって軽やかに生きていけると思っている。

あとに何も残らなくても。

 

それに、今は大木くんがいる。

どの街だろうと、二人でいれば、そこが帰る場所になりうる。

例えていえば、『アラジン』みたいに、わたしと大木くんは魔法の絨毯の上に二人でちょこんと座っているのだ。どんな町の上空を飛んでいても、この小さな絨毯がわたしの居場所なのだと思う。

 



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写真は今日のお昼ご飯。

チンゲン菜のクリームパスタ。

牛乳とクリームチーズを使っている。

「いつもの和えるだけのパスタソースとは違うね」と大木くん。いつもすまないね。

しかし今日のは本当においしかった。大木くんからも「おいしかったー」と好評をいただいた。

 

またこういうの作ろう。

居場所は積極的に守らねばね。

 

 

 

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by リクルート住まいカンパニー