正確には、「隠れ育休」というやつだ。
国の制度の育休ではなく、大木くんの勤め先の制度で、男性が取れる産休のような休暇がある。それと夏休みとを組み合わせて2週間強の休みを取ってくれた。
これは本当に良かった。
もし大木くんが休みを取らず、わたしが退院後すぐ、日中はワンオペ状態に放り込まれていたとしたら、今頃体かメンタルのどちらかを壊していただろう。退院後しばらくは貧血と微熱とで体がだるく、少し動いただけでも息切れがしていたくらいだから。
大木くんは家事のすべてと授乳以外の大半の育児を担ってくれている。授乳も、夜の1回はミルクをあげることにしていて、それは大木くんが担当。もちろん調乳も哺乳瓶の消毒も。
わたしは日中も体を休ませることを優先でき、おかげさまで退院直後にくらべると体力はかなり回復してきた。
もちろん、見ていてイライラすることがなかったわけじゃない。
大木くんは、たぶんわたしに比べると不器用だ。それは、どんなに丁寧に書いてもらってもところどころ読めない箇所が出てくる彼の文字からもわかる。
初めの頃は、「そんな抱きかたしたら首に負担かかる!」「それじゃあうんちの汚れがまたおしりに付いちゃうでしょ!」「沐浴の後になんでそんなにちんたら服を着せるの! 湯冷めしちゃうでしょ!」「もういい! 貸して! わたしがやるから!」と言いたいのをぐっと、なんども、飲み込んできた。
ときどき、「こういうふうにしたらいいんじゃない?」などと言いながらも、致命的なこと以外は見守ることにした。
だって料理だってここまでできるようになったんだから。
将来子どもができたときのためにと、結婚してからは毎月1回は食事を作ってもらい、わたしが切迫流産で家事ができなくなったときは毎日、コロナで暇になってからは毎週、料理をしてくれるようになった大木くん。不器用な包丁さばきを見ても何も言わずに見守ってきたところ、最近はそつなく40分で3品とか、冷蔵庫にあるものでさっと、とか、そういうことができるようになっていた。わたしが上から目線で評価するのはおこがましいくらいに。
育児だってきっと一緒だ。場数踏んでなんぼ!
とネガティブなことは言わずにいたところ、この十日程度で随分こなれてきた。
沐浴は大木くんがいつも率先してやってくれるのでわたしは一度もやらせてもらってないのだけれど、初日の不安定さはどこへやら、今は手際よく5分程度で済ませられるようになっている。
ふみちゃんも、お父さんに抱っこされるとすっと泣き止んでくれることがある。
夫婦でともに育児のスタートを切ることができてよかった。男の育休万歳だ。
けれど育休の一番の効能は、妻のメンタルの保持だったようにわたしの主観では思う。
何をしても泣き止んでくれなくて泣き声がどんどん激しくなる時、おっぱいをあげたばかりなのにすぐ欲しがってしまうことが何時間も続いて眠れないとき、「どうしたらいいんだ」と正解がわからず、けれど問題は差し迫っていて、焦るし、途方に暮れ、疲弊する。
これは一人では耐えきれなかったと思う。
一緒におろおろしてくれる人がいることにどれだけ救われたか。
あと、泣き止まない時も代わりばんこに抱っこすれば一人ずつ食事がとれるし、1回でも授乳を代わってもらえればその間わたしも睡眠をとることができる。
本当に助かった。ありがとう、大木くん。
欲を言えばもう少し長く休んでほしくはあったけれど。
来週には大木くんの休みも終わるのでわたしはちょっと不安である。
当初はうちの母親が広島から手伝いに来てくれる予定だったのもあってそこまで長い休みを取らなかったのだ。コロナでそれがかなわなくなって、大木くんもそんなに急に予定を変えることもできないので、これは仕方がない。
ただ、もしこれを読んでいる男性がいたら、子どもが生まれる際は、奥さんの産後3,4週間くらいは休みをとることをお勧めする。
きっと愛と感謝が深まるよ。
せっかくなので育休中の大木くんの料理の数々を自慢しておく。
数時間煮込んだスープカレー。お肉はほろほろ。
お刺身の日のお味噌汁は、エビの殻から出汁をとっていて格別のおいしさ。
結婚記念日の晩ごはんは、お義兄さんからお祝いでいただいた飛騨牛をステーキに。ミディアムレアのいい焼き加減。3口食べたところでふみちゃんが泣きだしちゃったけどな。