君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

人を勤め先で判断してしまう

とあるイベントのボランティアスタッフの集まりがあって行ってきた。
数年前からちょこちょこ手伝いをさせてもらっている。

そのボランティアスタッフの中心になっている方が、わたしもおそらく相手も、なぜかお互いに苦手で、あまり話が弾まない。

以前から、このださくてコミュ力低いおばさん、私のことはきっと、表面を見繕っただけの薄っぺらな若い女としか見てないんだろうな、と思っていた。

こちらもなんだか相手を馬鹿にしてしまって、勝手に専業主婦かパート主婦か知らないけど、世間知らずでたいした人生は送ってこなかった人だろうとなぜか決めつけていた。


でも今日の集まりで、彼女が実はこの近くにある大企業の研究職だとわかり、認識が一気に改まったのだ。(理系の研究職には自分から遠い世界だからこそ、無根拠の憧れが昔からあるのだ)

わたしは今まで何を見ていたんだろうと、よく知りもしない彼女のことを勝手に決めつけていたことを恥じると同時に、職業がわかった途端、手のひらを返す自分の浅はかさに呆れた。
彼女が本当に専業主婦だったら、わたしは彼女を馬鹿にしたままだったのだろうか。事情や価値観を何も知らないくせに。


いつもそうしてるんじゃないか。
わたしは人の何を見てるんだろう。


このイベントのボランティアスタッフは、地域柄かイベントの特性なのか、着飾らない、ぶっちゃけちゃうとださい人が多い。もっと言えば、十代の頃はきっとスクールカーストの下にいたと思われるような、普通の社会ならコミュ力が低くて苦労しそうな人が、なぜか多い。
そういう人ばかりが集まってワイワイしているのがいつもちょっと苦手なのだけど、イベントそのものが好きなので、少し無理して通っているのだ。

でも、苦手だ、と思ってそれ以上踏み込んでこなかった。バリアを張っていた。なんなら馬鹿にしていた。

パッと身の印象で物事を判断して、何も見えていない。
わたしはいつもこうだ。


でもたまにそうじゃない人がいる。
誰にもバリアを張らない。自分よりおしゃれな人や口が達者な人や頭のいい人にも気後れせず、自分より身なりに気を使わない人や口下手な人や頭の回転の悪い人にも明るく、分け隔てない。
自分に自信があって、でも誰のことも馬鹿にしない。

今日もそういう人が一人いて、その方のおかげで彼女の話も聞くことができた。
どうやったらそんな風になれるんだろうな。

いや、わたしには一生かかってもなれないんだろう。


だけど。
今回私を誘ってくれたのは他でもないその「ださいおばさん」その人で、スタッフ間で若干浮いている私をも律儀に誘ってくれた。
今回はイベントそのものではなくスタッフの交流目的なので行かなくてもいいなと思いつつも、気乗りしないながら、人間として合わない人たちだからこそ合う回数を重ねないと私のことをわかってもらえないと思ったから、わたしも参加した。

こういうことかな、と思う。
こういうことを続ければ、わかり合えるときが来るかもしれない。人を上か下かで判断しがちなわたしも、少しはものが見えるようになるかもしれない。