君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

遠いイタリア

「いま、ここ」しか感じられないタイプなのかもしれない。
イスタンブールでの乗り継ぎのあとは周囲はほとんど日本人だけになってしまって、イタリアは急激に過去に遠退いていった。

旅行中はあんなにも、「帰ったらこれを自慢しよう、これもこれも報告しよう」と考えて、あれだけ詳細に脳内で言葉を推敲していたというのに、成田についた頃にはもう何もかも忘れていて、結局写真を見せたのは翌日の夜、ほんの短い時間で、説明しようとしていたことの大部分を、思い出しもできずに省略してしまった。

大木くん(仮)に対してすらそれなので、いわんや他の人をや。


さらに翌日、職場に着いたとたん、何にも言葉が出てこず、「楽しかったです」どころか「休みをいただいてすみませんでした」すら言えず、マスクの内側にこもってひっそりと席に着いた。

イタリアで思い出したはずの解放感も自信も何もかもなくなっている。
消えた、というより、切り離されてしまっていた。例えばパラレルワールドにいるわたしがそれを持っているけど、今ここにいるわたしには無関係、そんなような感じで、記憶の彼方、どころじゃない。もう何一つ現実感が残っていない。イタリアはわたしにとって地続きの人生本線に持ち込めるものではなく、それ自体で完結してしまって何の影響も与えなかったように思えた。

部署を出てしまえば言葉が出てこないということはなく、お土産を配りながら色んな方と楽しく話ができたので、とにかくあの場所が悪いのだと思う。

しんどい。
でもとりあえず今日の数日間耐えるだけ。そうやってやりすごす。