君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

1歳になった

ふみちゃんが生まれて1年がたった。

 

まだ1,2歩しか歩けないものの身体もしっかりしてきて、ちょっとやそっと転んでも汚いものを食べても死なないな…という安心感による心の余裕も出てきた気がする。

ほんの2,3か月前まではふみちゃんに対し、お客さんに接待するような気持でいた。(ふみちゃん自身から)彼女の人生を一時的にお預かりして彼女がいつか独り立ちするときにそれをお返しする。だからその時までに最善を尽くし、なるべく良い状態で人生を返せるようにしないと。つまり独り立ちしても幸せに生きていけるような、強さとしなやかさと幸福を感じられる心を育ててあげなくては。と思っていた。

強さやしなやかさや幸福力みたいなものを育むのは今後も変わらないけれど、最近、ふみちゃんはお客さんではなくなりつつある。

家族だから一緒に暮らす。

そんなシンプルな関係に変わってきた。

 

まあなぜかというとどんどん自己主張が強くなってきて、よく言えば人格が段々とはっきりしてきて未知の神聖な生き物ではなくニンゲンらしくなってきたということなのだけど、悪く言えばなんというか「正直付き合いきれん」という場面も増えてきたということでもある。

もう新生児の頃のように泣いたらひたすら抱っこしたりおっぱいあげたりあやしたりという段階が終わりつつあり、親として時にはだめと言わなきゃいけない場面も増えてきて(テーブルにのぼろうとしたりリモコンをよこせと主張したり)、あと知ってはいたけど子どもの遊びは本当にエンドレスでまともな大人ではとうてい、付き合いきれないというのが最近の気づきである。

たとえばタンスの上を指差して「あ!あ!」と主張するから「なにがほしいのかな?」と抱っこしてやると、タンスに乗っていたクレヨンを引っ張って落とし、「クレヨンで遊びたかったのかなぁ」とふみちゃんを床におろすと、クレヨンには目もくれずまたタンスの上を指差す。これを何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも繰り返す。そして「もうむり。お母さんは疲れました」と離脱すると大きな声で泣きだすのだ。

 

昨日の夜も絵本に夢中で全然寝ようとせず、かと言って取り上げてもまた大泣きして寝ないし、あきらめて

「ひとりで遊んでください。お母さんは寝ます」

とわたしがたぬき寝入りを決め込むと、泣きながらお気に入りの絵本を持ってきて「こぇ、こぇ」と言いながら(たぶん「これ読んで、これ読んで」の意)絵本でわたしの顔を叩いてきた。

あまりにも長時間顔を叩かれ続けるものだからしょうがなく起き上がって抱き上げると、満足したのかそれで寝てしまったので拍子抜けではあったが。

 

 

このあいだ、一年前に撮った動画などを久々に眺めていると、今はもうしなくなった「おんぎゃあー、おんぎゃあー」という小さい赤ちゃん特有の泣き声と、宇宙遊泳みたいなぎこちない動き、まだ細い手足、真面目そうな無表情の顔に懐かしくなった。

そのころ住んでいたマンションの、陽の当たる南側の角部屋の、クーラーのきいた涼しい室内の空気まで思い出して、子どもの頃の記憶をたどるような懐かしさを覚える。

ずいぶん大きくなった。

身長は1.5倍、体重は2.5倍に増えた。

大きな声で笑えるようになった。ひとりで立てるようになった。着替えの時に自分から袖を通そうとしてくれるようになった。夜中におっぱいを飲まなくても平気になった。集中して何十分でも遊べるようになった。好きな絵本を自分で選べるようになった。やりたいことを主張できるようになった。

 

ずいぶん大きくなった。

 

そしてまだまだこれからも成長する。

一日一日、未来が一歩ずつ具体的になってゆく。

 

その一日一日に一緒にいられるのが本当に幸せで、この時間を大切にしたい、なるべくしっかり目に焼き付けておきたいと思う。