君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

女だから得したこと

チラシが入っていたので、週末に大木くん(と抱っこしたふみちゃん)と近所へケーキを買いに行った。
帰りに前から行ってみたいと思っていた近くのコーヒースタンドに寄り、コーヒーを買って帰る。産後も授乳中だからという理由でしばらくはカフェイン入りの飲み物を控えていたが、最近「少しなら」と解禁したのだ。
一畳ほどしかない極小店舗の中で、夫婦と思わしき男女がじっくりとコーヒーを入れてくれる。
「濃くてコクが深いやつ」とお願いしたわたしのコーヒーは本当にその通りの味で、「酸味の強いやつ」とお願いした大木くんのコーヒーを飲ませてもらうと、さわやかでとてもフルーティな味わいだった。
こんなコーヒー屋さんが近くにあるのはとてもラッキーだ。

うちに帰ってケーキとともにコーヒーを飲みながら、ふと、二年ほど前、森の中の駅でおいしいコーヒーを飲んだことを思い出した。そして芋づる式に、その時出会った優しい人たちのことも思い出す。

その日は、市街地から遠く離れた山間部の合宿所のようなところに宿泊していた。
用事が住んで、スタッフの方に最寄の駅まで送ってもらったものの、そこは一時間に一本しか電車の来ない場所。
築百年くらいの古い駅舎の周囲には何もなく、ただ明るい林に囲まれていた。たぶんゴールデンウィークくらいの、新緑の季節だったのだろう。
駅舎の裏手に回ってみると、木漏れ日の中に、小さくてカラフルなワゴン車が一台。なんとこんな場所でコーヒーを売っているのだった。
信じられないくらい安い値段でコーヒーを買い、店主のお兄さんと少しお話をする。
こんな場所でこんなおいしいコーヒーが飲めるとは。
ここが一時間に一本しか便がない場所でよかったと思った。
周囲には老夫婦が一組だけ。店主によると、彼らはご近所さんで駅の利用者ではないそう。ここで店を出すとよく来てくれる人たちということだった。
なんだか素敵な習慣だなと思う。

しかしここでわたしははたと気づいた。
スマホがない。
うそ。こんなところで。
ない。ない。鞄の中もポケットの中にも、ない。
どこに置いたっけ。
必死に記憶を手繰り寄せると、あ、合宿所で充電器差しっぱなし!
どうしよう。ここから合宿所まで、とても歩ける距離ではない。というか、スマホがなきゃ道もわからない。
合宿所に電話さえできれば、スタッフに届けてもらえるかも。電話番号は……グーグルで調べれば。あっ、スマホがない。

わたしは老夫婦に近づき事情を話して、スマートフォンを貸してもらえないかとお願いしてみた。
すると彼らは言ったのだ。「それなら車で送っていってあげるわよ」

わたしは恐縮しきりでペコペコ頭をさげながらおばあさんの運転する車に乗り込んだ。(おじいさんは用事があるそうでそのままうちへ帰っていった。)
そして合宿所でスマホを取り戻し、再び駅まで送ってもらったのだった。

「あの、何かお礼を……」しかしその時わたしは何か渡せるようなものなど何一つ持っていなかった。「ご住所とか教えてください」
おばあさんは笑った。いいのいいのと。
ただただお礼を言って、わたしは車を降りた。夫婦のゆったりした時間を奪ってしまったと申し訳なく思いながら。
田舎の人は本当に優しい。すでに東京に移り住んでいたわたしは、久々にふれた、田舎の人の距離の近い優しさをかみしめた。


……


そんな思い出話を大木くんにしながら、しかし、「あれ、でもこれ、大木くんが同じシチュエーションにいても不可能だったかもしれないな」ということに思い至る。
わたしが180cmのでかい男だったら、スマホを貸してはもらえても、もしかしたら車には乗せてもらえなかったかもしれない。少なくともおじいさんも一緒に来たかもしれない。
わたしが女だから、警戒心を持たれにくいんだ。

大木くんに話すと「それはそうだと思うよ」と言われた。
そうか、男性と女性とでは、こんなふうに見えている世界がちょっとだけ違うのだなと初めて実感する。

これまで、女の方が全部損していると思っていた。
夜道で後ろの足音を警戒したり、満員電車で他人と体が密着しないよう鞄の位置をずらしたり。(わたしのような身長170オーバーでハイヒールを履く大女でも、夜道で後ろから車が近づいてきて「乗らないか」などと言われたり、痴漢にあったりすることが実際にあるのだ)
女は損だ。わたしが男だったら、途上国への一人旅ももう少し気楽だっただろうに、女だから、いろいろ警戒しながら行動しなければいけない。そう思っていた。
実際、女に生まれたというだけで、被害にあいやすい弱い立場に置かれる。
しかしそれは裏を返せば、相手からすると、加害してくるリスクの少ない、警戒する必要のない相手、ということになるのだ。

フィリピンをひとりで旅行中、通りすがりのサイクリストたちからココナッツジュースをおごってもらったことを思い出した。そしてこれもフィリピンに行ったときの話だが、活動がうまくいかなくて泣きながら外を歩いていたことがあって、そのとき、近所の子どもたちが駆け寄ってきて「大丈夫?どうしたの?うちへおいでよ」と手を引かれるままに見ず知らずの人のおうちで歓待を受け、すごく優しくしてもらってケーキまでごちそうになったことも思い出した。(そのおうちには1年後また会いに行った。)
あれもわたしが女だったからかもしれない。

女だから嫌な思いをすることもたくさんある。それは本当。
でも、ラッキーなことも実はたくさんあったのだな、知らないうちに。
そんなことを、久しぶりのおいしいコーヒーから考えた。