君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

子どもが生まれた

別にこのブログを育児ブログにしたいわけではないのだけれど、夫婦の日常の真ん中に赤ちゃんがいるのでどうしてもしばらくはそういう内容が増えそう。

 

 

さて、我が娘であるが、7月生まれなのでふみちゃん(仮名)と名付けることにした。本当は、名前の候補はもう一つあって、生まれたばかりの時点では、ふにゃふにゃであまりに頼りない赤ん坊の顔を見てそっちを付けようとも考えたのだけど、退院するまでのほんの数日の間にも目がしっかり開いてきて、その意志の強そうな澄んだ瞳を見ていると、ふみちゃんの方がいいと判断した。

退院してからもう1週間以上たつけれど、日に日にはっきりとした顔立ちになっていく。赤ちゃんの成長は早いと聞いていたけれどここまでとは。1日ごとに顔つきが変わる。たぶん体重も500gほど増え、身長も2cmは伸びているんだろう。まったく目が離せない。

生まれたてのふにゃふにゃ感が、このたった2週間程度の間ですでに失われてしまったというのは寂しくもあるけれど、同時にこれからどんな風に育つのだろうと、楽しみでもある。その楽しみがあと20,30年続くと考えると結構贅沢なことだ。

 

 

一旦は落ち着いてきたかに思えた授乳間隔は、なぜかここ数日、日中は30分経たずに泣きだすという日々が続き、夫婦ともども疲弊していた。泣き止まないふみちゃんを抱っこし続けていると(しかも椅子に座っての抱っこではだめで、こちらが立ち上がって揺らしていないと落ち着かない)、少し前に、母親が三つ子のうち一人を殺してしまった事件があったけれど、その人の気持ちが少しわかるななどと思ってしまった。

今この手から力を抜けば、すべて終わるんだ、などと一瞬でも考えてしまったのだ。

赤ちゃんひとりでもこのありさまなのに、3人いたら寝る間もないし頭がおかしくなってしまうだろう。

しかし昨日、Amazonで注文していたベビースリングが届き、今朝さっそく使用したところ、いい塩梅にすっと寝てくれたので、我が家のの課題はひとまず落ち着いたと思われる。よかった。

 

 

今ふみちゃんはわたしの隣で、ばんざいの姿勢ですやすやと寝息を立てている。

幸せそうな寝顔も、起きているときのきょとんとした表情も、おっぱいを飲むときのスナイパーのような鋭い眼差しも、げっぷをさせられる時のいやそうな歪んだ顔も、おっぱいを飲み終わった時のしれっとした寝顔も、全部面白くて、大木くんと笑いながら見つめている。

どんどん成長して変わっていくというのがもったいなく、寂しくもあり、けれど刺激的でもある。