君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

幼いころの記憶が消える理由

先日、「関ジャム完全燃SHOW」という音楽番組を例によって大木くんと録画で見ていた。その番組の中で、ゲストから15年くらい前の舞台についての話題を振られた関ジャニ∞のメンバーたちが、舞台の内容をほとんど覚えていないような会話をする一幕があった。

「ジャニーズの人達って10年くらい前の話振られても全く覚えてないようなことがよくあるよね」

と大木くんが言う。

「あの人たち激務だから! 次から次にやってくる仕事をこなしていかなきゃいけないから一個一個の舞台なんて覚えてられないんだよ!」

とわたしは答えた。

 

そういうことはよくあると思う。ピンクレディーも全盛期の頃の記憶がほとんどないなんて話をテレビでしていたし、ネットを見ると、子どもが0歳だったころどうやって育児していたのはほとんど覚えていないというワンオペ育児ママたちの証言などもたくさんある。わたしも、社会人になって数か月後に給湯室で見知らぬ人に「久しぶり」と声をかけられて「誰だよ」となったことがある。どうやら入社直後に挨拶をした他部署の先輩だったらしいのだが、当初はめまぐるしすぎてたぶん日常の業務に関係ない人のことはきれいさっぱり記憶から消えていたのだ。

専門的なことは知らないが、毎日が目まぐるしすぎると心身に負荷がかかりすぎるせいか、その時期の記憶は残りにくいようだ。

 

赤ちゃんもそうなのかな、とふみちゃんを見ていて思う。

ねんねしておっぱい飲んで遊んで泣いてまたねんねして、とのんびりした毎日を送っているように見える赤ちゃんは、その実、頭の中ではめまぐるしくこの世界というものを吸収している。

 

最近、ふみちゃんの成長に合わせて『パパは脳研究者』という本を読んでいる。

パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学

パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学

  • 作者:池谷 裕二
  • 発売日: 2017/08/10
  • メディア: 単行本
 

 脳研究者視点の子育ての記録で、ふみちゃんに重ねながら読めて面白い。

この本に書いてあったのだが、赤ちゃんは生まれてしばらくしてから(著者の娘さんの場合、生後3か月ごろ)「この世界は3次元だ」ということに気づき始めるのだそうだ。「空間」があるということに気付くということだろうか。脳に届く視覚情報は2次元だけれども、これは3次元情報が集約されたあとの情報だということに気付き、「元の3次元情報」を2次元情報から読み解き、脳内で復元するということを、このころから始めるらしい。

 

そんなところからなのか! とわたしは衝撃を受けた。

そんなことも知らないでこの世界に来たのか、この子は、と感心してしまう。

きっと赤ちゃんにとって、見るもの、聞くものすべて意味不明な情報なのだろう。それが毎日、ひっきりなしに津波のように押し寄せ、その中から何とか情報を統合し、世界を把握していくというのが0歳の日常なのだろう。

なんて大変な生活なのだろう。

 

大人で例えると、わたしが今からいきなり火星に転職して宇宙人の間で新生活を始めるようなものか。あるいは、ある日突然5次元とか6次元を体感できるような体(ってどんなものかわからないけど)になって、その感覚の意味を必死に理解していくような感じか。

自分で例えておいてうまく想像できないが、でも毎日情報処理が追い付かず「うわーっ」と叫びたくなるような日々を送るであろうことだけなんとなく想像した。

普通に学生から社会人になるだけでもしんどかったけれど、胎内からこの世に移住することはその比じゃないだろう。

 

 

そりゃあ、夕方には疲れて泣いちゃうよなあと思う。

ふみちゃんはいつも夕方になるとぐずぐずしたりぎゃあぎゃあ泣いたり、落ち着かない。

ふみちゃん自身も、きっと処理しきれない情報の多さに混乱しているのではないか。

 

これだけタフな毎日を送っていれば、きっと人生最初のこれから何年かの記憶はやはり残らないだろう。これだけかわいいのに、もったいないなー、今何を考えていたのか、大きくなったふみちゃんに教えてほしいけれどそれは無理なのだな、ちょっと残念だなと少し考えてしまう。

けれど、幼いころはなんとなく温かかったと思えるように、いや、それすら覚えていなくていいけど、温かい気持ちを知って大きくなれるように、親は全力を尽くすのである。

なるべく触れ合って、声をかけて、温かさを教えていく。

それは親にとって、温かさをもらう時間でもある。