君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

空を飛ぶ夢を見た

今日もどうでもいい話を書く。

空を飛ぶ夢を見たのだ。

 

空を飛ぶ夢は大人になってからはなかなか見なくなっていたが、ここ数年は、ごくたまーに見ている気がする。

何かに乗っているわけでも羽が生えているわけでもなく、ただ風のように飛ぶ。タケコプターみたいに自由に空中で止まったりはできない。はやいスピードで、前に進むのみ。

あんまり上空には行けない。建物なり山なりは超えていけるが、目標物よりうんと高く、とはいかない。

それでも地上数十メートルを風を切ってひゅうひゅう進むのは爽快だ。

 

ただいつも、飛んでいるうちにだんだん体が思うように動かなくなってくる。

体が重たい、自由に飛べない、と思いながら、やっとこやっとこ目標物を超えたり、ちょっと届かなくて手足を使って壁を上ったりする羽目になる。

夢の中のわたしは、「闇雲に力んで手足をばたつかせるより肩の力を抜いたほうがうまく飛べるのはわかってるんだけど…」と思いながらも、沈みそうになるのでもがきながら飛ぶことが多い。

 

 

今回の夢のいつもと違ったところは、前半は同行者がいたことだ。飛ぶのがうまい人が一緒に飛んでくれて、おかげでまったく体が重くならずに飛ぶことができた。大型商業施設などが立ち並ぶ場所で、高層ビルの間や低層商業施設の上を飛び超えた。

後半は自分一人で飛ぶことになり、やはりちょっとうまく飛べない。しかしそれでも、普段の夢よりはずっと軽やかに飛べていたような気がする。前半の同行者のおかげでコツを掴めたのかも。

 

あれはだれだったのだろうな、若い女の人だったような気がするけど。親しく接してくれて、導いてくれて頼もしくて。

起きたらもう顔も何も覚えていなかった。

 

 

名前の色イメージ

今日はすごくどうでもいいことを書く。

名前の漢字って色のイメージがあるよねという話だ。

 

先週、職場の先輩が「鈴木と佐藤がいつもわからなくなる」と言っていた。個別具体的な鈴木さんと佐藤さんがいるのではなく、よくある苗字としての「鈴木」と「佐藤」の区別がつかないらしい。そんなことある? と思ったが、先輩は沖縄出身で、鈴木にも佐藤にもなじみがないため頭の中でごちゃごちゃになるのだそう。

 

そうはいっても鈴木と佐藤は色イメージがまったく違うだろう。鈴木はグレーがかった青で佐藤はピンクじゃないか、と思ったけれど、この色のイメージは一般的なものなのだろうか、と思って今日このブログを何となく書いている。

 

これは共感覚というのともちょっと違う。別に文字に色がついて見えるわけではないからだ。「海」と書いてあれば深い青をイメージするし「雪」なら白、「火」はオレンジがかった黄色、「秋」なら赤茶色、「美」ならピンク、「清」なら水色、という単純なイメージである。

名字の中にもそういう色イメージが想起されるものがいくつかあるよな、と思ったのでちょっと記録してみる。

 

日本人の名字ランキング

1位 佐藤 ピンク(「佐」がピンクのイメージなので。佐々木とかもピンク。)

2位 鈴木 グレーがかった青、というか、青にかすれたグレーもしくは銀色の線がたくさん入っている感じ。

3位 高橋 暗い青。群青系。男性のスーツとかでよくある色。

4位 田中 茶色(「田」が茶色イメージ)

5位 伊藤 う~ん、これはあまり色イメージがなかった。白系?「藤」だけなら赤〜えんじ色なのに。

6位 渡辺 淡い赤茶色

7位 山本 薄い茶色

8位 中村 あ、これも色イメージないな。わたし的に「中」は茶系だけど「村」は緑でこの二色があまりなじまないからかな。

9位 小林 これもよくわからない。「小」は白系で「林」は緑だけれど。

10位 加藤 暗めのレンガ色か。(「加」が黒系で「藤」が赤系なので)

 

こんな感じですごく適当なイメージである。

どうも、色を想起しやすい漢字があって、そこに引っ張られて名前の色イメージが出てくるようだ。

 

他にも、「井」や「上」などの画数の少ない感じは白っぽいイメージのものが多いので、井上とか上野とかは白系の印象を抱く。(上野よりも井上の方がより白い)

けれど画数が少なくても「今」は赤やオレンジのイメージなので、今井や今田はオレンジっぽい。なぜだろう。

「太」などはむしろ黒っぽいイメージだ。自分でも不思議。

「広」がつくと黄色で、「村」は緑(カーキに近い)、「川」はくすんだ緑だけれど「河」はオレンジっぽい黄土色。「北」は白、「東」は青、「南」と「西」は赤とオレンジ。

 

作家の故・山本文緒さんは、「山本文」までは黄土色やベージュの文字の並びで、最後に入る「緒」が赤、それも赤地に細かい模様の入った反物のようなイメージなので、ベージュ系に渋い赤の差し色が入るとてもおしゃれな名前だなあと、前々から個人的に思っていた。

うちの娘・ふみちゃん(仮名)の名前を付ける時も、「あ、白地に赤紫と藍色の模様が入ってかわいいな」と感じたのを覚えている。

 

 

しかしこれは他の人も感じている印象なのだろうか。

感じているけど違う色のイメージだったりするのだろうか。

そういえば今まで名前の色イメージを他人から聞いたことがなかった。

まあ、しょうもない話なのでわたしも人にしたことがなかったのだが。

 

というわけで、今日はどうでもいい名前の色のイメージの話でした。

わたしがいるからだいじょうぶだからね

先日、くうちゃんがまた熱を出したので仕事を休んで家で見ていた。

通っている保育園からは、兄弟が休みなら上の子も休ませろとか親が有給なら子どもも休んでとか言われたことがないので(たぶん、もともと認可外から出発している園なので、保育要件に対する感覚がゆるいのかなと思っている)、くうちゃんが休みでもふみちゃんは普通に登園していた。

 

夕方、大木くんと帰ってきたふみちゃん。開口一番、「おかあさん、さみしかった?」と聞く。

うん、ふみちゃんがいないとさみしいね、と答えると、

「くうちゃんとふたりだとさみしいね。ふみちゃんとおとうさんいるから、もうだいじょうぶだからね」と言う。まだ発音がたどたどしく、ひとことひとこと、一生懸命な口調で発言している。

しかし、いっちょ前なことを言うようになったな、と笑ってしまった。

 

少し前までは、他人を気づかうような発言も、単に今現在の自分の気持ちを投影しているだけだったりした。

たとえば、お祭りに行ったときにくうちゃんに「太鼓の音大きいね、こわくないからね、だいじょうぶだよ」としきりに声をかけていたが、当のくうちゃんは別になんてことなさそうな顔をしていた。怖がっていたのはふみちゃんで、自分の気持ちを弟に投影して励ましていただけなのだった。

 

でも今回のはちょっと違うような気がする。自分はにぎやかな保育園でさっきまで過ごしていたのだ。ふたりぼっちで過ごしていたわたしとくうちゃんを慮っての発言だろう。

いや、これも単に大木くんと二人きりの帰り道が少しさみしかったのかな。いつもはくうちゃんもいるのだから。

まだまだ、純粋にひとを心配するのは難しいのかな。

 

それでも、こういう経験を重ねて、だんだん人らしくなっていく。

それを傍らで見るのが面白い。

どうやらやさしい言葉をかければかけるほど彼女の中でそれが蓄積されて、自らもやさしい言葉を発するようだ。それが面白い。うれしい。

おかあすき

ふみちゃん3歳。

最近よく、「ふみ、おかあ、すき」とカタコトみたいに言って脚に抱きついてくる。おかあもふみ、すき、と頭をなでる。喜んでいる。

 

先月か先々月ごろ、誰にでも彼にでもキライと言っては反応を楽しむ、みたいな時期があったのだが、毎回「いいもーん。お母さんはふみちゃんのこと大好きだもんねー」「お友だちにはそういうこと言っちゃいけないよ」と言い続けていたら、今度はいつでもどこでも好き好き言うブームが来たようだ。

ひとまずホッとしている。

(ブームの切り替わりが、大木くんの実家に帰る前だったので特に!)

 

「おかあ、すき」のあとは大抵「おとうもすき」「くうちゃんもすき」と続く。

「お父さんもふみちゃんのこと大好きだよ」「くうちゃんもふみちゃんが好きだと思うよ」と答えるとうれしそうである。

 

いまだに「あしたも保育園ある?やったー」と言うし、祖父母にも好き好き伝えまくるし、「またおばあちゃんち行きたいねー」と毎日言うし、毎日幸せそう。

何よりである。

誕生日

先日誕生日を迎えた。

朝食の際に大木くんがふみちゃんに、「今日お母さんの誕生日だよ」と言っていてそういえばそうだったと思い出した。

この年になるとそんなもんである。

毎日いっぱいいっぱいで、自分の加齢より子どもの成長のほうが何倍も重大で。

 

夜、夕食を中断していつものように先にくうちゃんを寝かしつけ、ダイニングに戻ってきてひとり夕食の続きを食べていると

「おかあさんにプレゼントあげるの。はい、どうぞっ」

大木くんと一緒にお風呂から上がってきたふみちゃんから、突然白い包みを渡された。

期待していなかったためすごく驚いた。

「ありがとー!」とお礼を言うと、「どういたましてー」と得意げである。

包みにはハンカチが数枚入っていた。先日、大木くんがふみちゃんの3歳児健診に連れて行ってくれた際に、空き時間にふたりで買ったという。

20代向けくらいの可愛らしいハンカチも、娘が選んでくれたと思うとうれしいし逆にいいんじゃないかと思って翌日から早速使っている。

 

しかし、ふみちゃん3歳。プレゼントを渡すまでよく秘密にできたなと、あとから大木くんに聞いてみたところ、やっぱり秘密にはできていなかったらしい。

ハンカチを買ったその日の夜、うっかり「おかあさんにプレゼント買ったの」とわたしに話しかけていたらしい。ただ、たまたまわたしはキッチンで洗い物をしていて聞こえていなかったようだ。

なお、そのときふみちゃんと一緒にソファに座っていた大木くんが、笑って「誕生日まで秘密にしとくんだったでしょ」と指摘したら、今度は急にハッとなって泣き出してしまったらしい。ふみちゃんは赤ちゃんの頃から失敗を指摘されるとこの世の終わりみたいな顔をするのだ。厳しい育て方はしていないのでたぶん生まれ持った性格なのだと思うが。

 

「3歳児健診の日の夜、ふみちゃんが急に泣いて俺がなだめてたことあったでしょ」と大木くんは言うが、そんなことはよくあるので、覚えていない。

一度「失敗」して深く心に刻み込まれたからか、その後はプレゼントのことは口にせず、そのまま当日まで忘れていたとのこと。

 

子どもからプレゼントをもらう、ということが初めてだったのでなんだか印象的な出来事だった。

有給不足の危機

この前の有給は、とりあえず何事もなく(保育園からの呼び出しもなく)用事を済ませることができた。

繁華街へ行って布団やら家電やらの買い物をしたので結構へとへとになったが、夕方カフェでケーキを食べながらしばし休憩する自由も得た。よい休日だったと思う。

 

問題はその翌日以降で。

子どもたちがまた、立て続けに熱を出した。大木くんとわたしとで交代で仕事を休んで見たのだが、数日目の夜、大木くんからひとこと。

「このペースだと今年の有給が足りない」

 

あ、やっぱり? やっぱりそうっすよね。

 

先日のブログではまるで自分だけが大変であるかのように書いてしまったけれど、うちは共働きで、家事育児もほとんど等分に負担(大木くんの方が負担が大きいかも)しているのだ。

だからもちろん、子どもが熱を出せば交代で休む。つきっきりで育児をするし常に寝不足で体が弱っているから、子どもから風邪をもらって熱を出して休むことも、同じくらいよくある。

 

そして大木くんの会社は有給が1月に付与される。1月に20日分の有給休暇が付与され、1年間で使い切らなかった分は20日分まで翌年に繰り越せる。年間最大40日休むことができる。

大木くんは今年の4月までの間にもちょくちょく休暇を取っていたのでわたしが復帰した時点ですでに30日ちょっとしか休みが残っていなかった。

そしてわたしの復帰後は、わたしと同じペースで休んでいて、もう残り20日ほどらしい。

このままいくと11月には休みがなくなる…!

そうなるとそれ以降は欠勤扱い。給料が減らされる。評価にも響くのでは?

繰り越せる休みがないから来年もキツくなる。

 

のんきにケーキなんか食べてる場合ではなかった。

リフレッシュのための休みなんか取れる状況じゃなかったのだ。

この先は夫婦協力して有給をやりくりしていかなければ。

 

 

ちなみに、まだ言葉もわからない0歳を病児保育に預けるのは可愛そうだし余計体に悪そうでやりたくないなと思っているのだが、病児対応のベビーシッターならいいかも?と調べてみると、うちの地域にも対応している業者があるにはあるが、高い。お値段が。

1回いくら、ではなく入会金、年会費、月額利用料で登録当初に7〜8万円かかる。利用回数に応じてさらに毎月利用料がかかる。

でもまあそうか。突発的な予約に対応できるよう、病児対応可能な保育士を常時抱えておかなければならないのだから安い訳がない。

 

これは代えの効かないエリート高所得者向けのサービスだな。

我々一般庶民は、多少給料を減らされても、自力でやるしかなさそうだ。

休暇をとる

春に育休から復帰して初めての、自分のリフレッシュのための休みである。

 

仕事の休み、というだけならもうすごい休んだ…。看護休暇を10日ほど。子どもに風邪をうつされて自分が発熱したため休暇を取ったのが全部で4日くらい。コロナが5類になったとはいえまだ風邪が治らない状態で出勤するのは周りに迷惑だろうなと思いつつも、仕事がたまる一方なので多少の体調不良はおして出勤していた…。

先月くらいに一度、自分のための休暇を取ったこともある。けれどその日は9時半には保育園から「熱があるので迎えに来てください」と呼び出しが来たので結局何もできなかった。

世の中はヘルパンギーナだなんだって子どもの風邪が流行っているが、うちの子たちも本当に頻繁に風邪をひいている。

 

上の子ひとりだけのときは、土日に大木くんにふみちゃんを任せてひとりで出かけたり半日休ませてもらうこともあったが、今はそれもできない。0歳と2歳という生活リズムの異なる子ども二人を同時に見るのは大変だからだ。たまに会議などで残業せざるをえないときには大木くんひとりで二人を見てくれていて、それだけで大感謝だし多大なる負担をかけてしまっているのに、さらに休日までお願いするのは気が引ける。

 

というわけで今日は3ヶ月半ぶりにようやく美容院へ行ける。

あとは眼科に行ってこまごました買い物をして(最近ふみちゃんの癇癪がすごくて買い物へ連れて行けないのだ)、夕方余裕があったら家に帰って保育園のお迎え時間まで少し休みたい。

 

仕事は溜まっているし締め切りに間に合わないのが確定しているものもあるが、そもそも委託先からの報告が遅れていてどうにもならないし、最近隣の席の人も急に介護が始まって仕事が遅れていて、どのみち彼女と同時進行でしか仕事を進められないので、もういいや、という諦めの境地。隣の人もここのところすごい頻繁に休んでいる。なんだか最近、お互い笑うしかなくなっている。

 

でも子どもはあと1年もすれば体も強くなるし、隣の人の介護も、ひとまずは介護サービスの利用開始までの辛抱、らしい。今がずっと続くわけじゃない。

なので、明日からまた頑張る。