君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

まだ赤ちゃんでいてほしい

生後10ヶ月。くうちゃん。

最近、寝かしつけらしい寝かしつけがいらなくなってきた。お腹が十分満たされた状態で布団に転がしておくと、15分くらいひとりでころころころころ転がったあといつの間にか寝ている。親も隣で寝転がっている必要はあるが、だいぶ楽ちんだ。

 

でも今日のように、母乳を飲みながらうとうとし、そのまま腕の中で寝てしまうこともある。わたしの腕の中でとろんと目を閉じる赤ん坊。つんと上向いたくちびる。まるいほっぺ。なんと可愛いのだろう。

横抱きの状態で眠るのが久々で懐かしかったこともあり、今日は特別キュンとなった。

 

くうちゃんは最近、伝い歩きが活発になってきた。つかまり立ちの状態から、がばっと両手を離し、ひとり立ちの練習までしている。成長に対する意欲がすごい。

赤ちゃんでいるのもあと少し。

わたしが「赤ちゃんの育児」をするのもあと少し。

 

それは少し寂しいことだ。

 

心の中は、早く大きくなって成長した姿を見せてほしい、という気持ちと、単純に赤ちゃんのお世話が体力的に大変なので早く大きくなってほしいという気持ち、そして、このままいつまでも赤ちゃんのままでいてほしいという気持ちが、ちょうど3分の1ずつ。

 

 

どんな男の子になるのかな。早く一緒におしゃべりしたいな。

毎朝明け方に起きて大変だ。もう少し大きくなったら楽になるかな。

…でも、もう少し赤ちゃんのきみと過ごせる時間を味わっていたいな。

 

こんなふうに四六時中だっこできるのも、何にも遠慮なく一直線にはいはいしてきて抱きついてくるのも、いつもにこにこして言葉にならない声で笑っているのも、ふわふわの髪にいつでもキスできるのも、すべすべでもちもちの腕も、たどたどしい動作で手を振るのも、おでこからただようあったかくていい匂いも、腕の中で眠るのも、あと少し。

 

名残り惜しくてたまらない。

仕事がうまくいかない

仕事がうまくいかない。

もう少し時間をかけられれば大丈夫なのに。でも私は4時半には職場を出なければならない。どんなに遅くても5時までには。

職場から保育園までは30分以上かかる。2歳児は帰りたくないと抵抗して動かない。うちに帰れば今度はお風呂に入りたくないとぐずる。0歳児は七時には眠くなって泣く。

最近仕事が終わらなくて5時を回ることが増えた。そういう時は大木くんにお迎えに行ってもらう。大木くんは機嫌が悪くなる。

 

毎日少しでも仕事を進めようと昼休みも働く。機密情報のない雑務はこっそり持ち帰ったりする。それでも終わらない。なんで時短勤務なのに残業してた頃と業務量が変わらないのか。むしろ2回目の産休前より業務が増えている。忙しいのは嫌いじゃない。大変だ大変だと騒ぎながら残業するのは楽しいときもある。ただ今は残業はできない。時間が足りない。仕事はどうしても雑になる。細かく確認する時間がない。締切に間に合わない。提出したものが穴だらけで指摘を受ける。自分はなんて使い物にならないのだと自分を責める。職場にいることが怖くなる。常にそわそわして余計に仕事の進みが遅れてしまう。

 

今日、帰りのバスを追いかけて走って、横を軽自動車が追い抜いていって、あれが軽くポーンとわたしをはねてくれればいいのにと思った。うちに帰って子どもたちが寝るまでなんとかやり過ごしてそのあと破壊衝動が湧いてきて何かを壊したくてたまらなくなってちょうどいいものが見つからなくてしかたなくイヤホンをつけて爆音で音楽を聞いている。それでも音が足りない。耳が壊れるくらいの音で音楽を聞きたい。

 

 

 

30分後追記。

You TubeでヤバTのハッピーウエディング前ソングにたどり着いて、聞いてたらアホらしくなってきて元気出てきた。明日もがんばろ。

寝よ寝よ。

子の看護休暇

仕事に復帰しておよそひと月がたった。

くうちゃんは保育園の洗礼を受け、長引く風邪に次ぐ風邪で5月だけでも10日以上休んでいる。その大半を、大木くんに仕事を休んでもらって対応した。

わたしの仕事は一年で一番この時期が忙しいのだ。だからなるべく休みたくなく、病児保育の利用も検討して小児科で医師連絡票というものを書いてもらったりもしたが、「病児保育に預けるくらいなら俺が休む」と大木くんが言うので結局まだ一度も使っていない。

大木くんは今仕事があまり忙しくないのだなあと思ってお願いしていたのだが、あらためて状況を聞いてみると、

「本当は最近始まったプログラムを盛り込まないといけないんだけど、時間がなかったからとりあえず去年のままのプログラムで仕事してる。ほんとはダメなんだけどまあいいやって」

などと言っていて、ただただ、子どものためなら仕事のクオリティは割り切る、というスタンスだから休めていただけのようだった。

わたしは感心してしまって、それくらいの割り切りの精神があればわたしも休めるわということに気付き、昨日と今日はわたしが仕事の休みを取った。考えてみれば先月まではわたし無しで回っていたのだから、今わたしが休んだところで課の仕事は回るのだ。多少、何かが遅れたり、誰かにしわ寄せが行ったりはもちろんあるのだけど、深刻な事態に陥るわけではなく、自分が大した仕事をしていない自覚をもっと持つべきじゃないかと思ったりした。

自分はたいそうな仕事をしていると思って働いている方が楽しいのだけどね。実際にこの1か月、楽しかった。

薬が効いているのか、くうちゃんはよく寝ている。

 

外付けの脳みそとしてのメモ帳

安いメモパッドを買ってダイニングに置き、毎日TODOリストを作って生活している。

「加湿器の掃除」とか「生協の注文」みたいな、たまにしかしない家事はもちろん、「皿洗い」とか「洗濯」といった毎日のルーティンまで書く。

そうじゃないと忘れてしまうからだ。

キッチンに来て「あれ、なにしようとしたんだっけ?」と首を傾げてチョコをつまみ、何かをしようとしていたことすら忘れてリビングに戻り、「いや違う違うお米炊くんだった」とまたキッチンに戻る、みたいなことが日常茶飯事。「何かやることがあった気がするけど思い出せないな…」などと考えながらぼんやりソファに座りこんで時間がすぎる、なんてことさえある。ほっとくと何もできずに一日が終わる。

あまりに時間の、ひいては人生の無駄遣いなので、メモを作ってそれどおりに動くことでしのいでいる。

 

今はまだ育休中だけれど、仕事でも同じだ。どんな細かいこと(メールチェックをする、とか、○○の書類を片付ける、とか)もメモしておいて、新しいタスクが湧いてくるたびに段取りを組み直して動いていた。

繁忙期は1日に何個も新たなタスクが降ってきて、これ終わったら次なんだっけ?などと、1日に何度もメモを確認しに戻らないとならない。そのたびに「こっちが先かな、そのあとでこれかな、いや、まずこの仕事かな」とか考えて頭の中は忙しいのに、その割に全然仕事が進まない。

 

メモを取る暇すらない仕事の場合は最悪だ。

高校一年生のときに何を思ったかレストランのキッチンでバイトを始めたのだが、これが絶望的に向いていなかった。

オーダーが入ると店長や副店長が読み上げてくれるのだけれど、それを耳で聞いて覚え、頭の中で段取りを組み立て、料理に取りかからなければならない。

注文が入った、でもまだ2件前の料理を今作っているところ、その前の料理はオーブンの中、あと何分だっけ?1件前の料理は手もつけていない、注文内容も忘れちゃった、また確認しにいかないと、だけど新規の注文のうち、前菜はなるべく早く出さなきゃいけない。あれ、4件前の料理ってもう出したんだっけ?あ!焦げてる!

……最悪だった。

どんなにがんばってもできないことがある、向いていないことがあると思い知った数ヶ月間だった。

 

家でも細かいメモを作らないとき、同じ状態に陥る。

その最たるものが、やはり料理。

途中で中断されると格段に効率が落ちてしまうため、最近まで夜、子どもたちが寝たあとに翌日の夕飯の準備をしていた。

のだが、これが却ってよくなかった。

通常の夕飯の準備なら、さすがに慣れもあって40分から長くても1時間程度でこなせるようにはなっているのだけれど、前日にやるとなるとまた条件が変わってくる。

「これは完成させると予熱で水分が出てしまうから具材だけ切って明日仕上げる」「こっちは卵だけ食べる直前に入れる」などと、考えることが増えてしまうのだ。更には、最近は離乳食作りもある。ひと品かふた品を一度に数回分作って、冷凍する。大抵は少量の具材を切って煮るだけだからそんなに手間ではない、はず。

工程だけ見れば、かかる時間はたいして増えていない、それどころか仕上げにかかる時間がない分早く終わるはずなのに、なぜかいつも90分とかそれくらいかかる。

おかしい。

晩ごはん1回分50分 − 仕上げの工程10分  + 離乳食作り20分 = 60分

のはずでは…?

 

もしかすると自分はすごく馬鹿なのかもしれない。

そんなふうに感じてよく恐怖に陥る。

馬鹿というのはドジっ子とかそんな軽い意味での馬鹿、ではなくて、知能が低いのではないか、と不安になるのだ。

 

思えばわたしは昔から、周囲の女の子の会話についていけないことがよくあった。いつもあとになって、あのときこう返せばよかったんだ、とか、あれは言葉そのままの意味じゃなくてオブラートに包んだお説教だったのかも、などと気づく。

自分は引っ込み思案だから人と接するのが苦手だと思っていたけれど、もしかしたら、単に知能が低いからリアルタイムでの会話に混ざれなくて苦痛に感じていたのかもしれない。と、最近思う。

知能が高ければ、もしかするとわたしもおしゃべり好きになっていたかもしれない。

 

自分が低いところにいると、周囲を観察する余裕もないし、等身大の自分すら見えない。高いところにいる人は、見晴らしのよいところから見渡して、さぞかしよく見えるのだろう、このわたしの愚かさも。そうだ、きっとわたしは愚かなのだろう。

…などと、考えたりする。

 

本当のところどうなんだろうな。やっぱりみんなからはわたしが馬鹿なのが丸わかりで、わたしだけがみんなと同じつもりでいるのかな。

それとも、みんなも多かれ少なかれ同じような感じで、周囲の人がどう考えているかとか、等身大の自分のサイズとか、測りかねながら不安に思いながら生きているのかな。

 

よくわからない。

ごくたまに、「この人はすごく頭の回転が速いな」「この人は周りがすごいよく見えているんだろうな」と感じる人はいるが、そうでない普通の人々が、わたしと大差ないのか、それとも普通の人であってもわたしに比べればずっとよく見えているのか、そこがわからない。

わたしの周りの人たちは優しくて育ちもいいので、他人に「きみ、馬鹿だね」などと言ったりしないし。

 

とはいえ、もうすぐ職場復帰。

馬鹿だろうとそうでなかろうと仕事があって、こなしていかなければいけない。悩んでも頭はよくならないので悩んでもしょうがない。これまでどおりアホみたいにメモを取りまくって、自分なりに働かなくてはならない。

せめて「仕事のこの部分なら人よりよく見える」というのができればいいのだが。

 

余談だが、育休からの復帰に向けて、先日家事代行さんにお試しで来てもらった。

60代のその人は涼しい顔で淡々と調理をし、事前にろくな打ち合わせもなかったというのに3時間で20品も作ってくれた。

しかも、揚げ物や炊き込みご飯、ポタージュスープまである。間近で見ていたのに何が起こったのか理解できない。彼女は魔法使いなのではないかとわたしは思った。

100年かかっても真似できそうにない。

 

今週のお題「メモ」

保育園入園

とうとうくうちゃんが保育園に入園した。およそ生後7ヶ月。しばらくは短時間の慣らし保育だけれど、そのうち朝9時から夕方5時半までの約8時間半を園で過ごすようになる。

あまり人見知りしないほうだが、それでもまだ0歳の赤ん坊を8時間半も他人に預けるのはどうなんだとわたしは心のどこかで思っている。

午前中だけ、とかならほどよい刺激になっていいと思うのだけど、夕方までというのはやっぱりちょっと長い気がする。 

 

先生たちはやさしい。

しかしなにしろ部屋が狭い。国の基準ぎりぎりなんじゃないかと思われる圧迫感のある部屋に赤ちゃんがたくさん、0歳児クラスなので先生もたくさん。泣いている子が一人でもいるととてもうるさい。

わたしが子どもだったら、保育園に行くのはいいけれど、もっと子どもが少なくてもっと広い園がいいな、と思いながらいつもふみちゃんを連れて行っていた。

近隣の園の中でここが一番職員配置が手厚かった、老舗の園でベテランの先生も多い、という理由でこの園を選び、それ自体は間違っていなかったとは思っているが。

 

くうちゃんのクラスメイトは、狙ったように半分が4月、5月の春生まれだった。狙ったようにというか、たぶん狙っているのだろう。年度の早いうちに生まれたほうが何かと有利だから。ふみちゃんのクラスメイトも、やはり春生まれが多い。7月生まれのふみちゃんが後ろから数えたほうが早いくらいだ。

誰もが、まだ小さな赤ちゃんを保育園に預けるのには抵抗があるのだろう。

 

それでもわたしは働きたい。いや、働くことはそんなに好きではないけど、家にずっといるのは向いていないのだ。そして働くからにはちゃんとやりたい。だから保育園が必要だ。

だからといって、預けることへの罪悪感が全くないわけではない。

ふみちゃんが赤ちゃんのときも思っていたような気がするが、身体が2つに分裂して、仕事しながら同時にくうちゃんと過ごせたらいいのに。

 

まあ、2歳のふみちゃんは最近、「あしたもほいくえんある? やったー!」と喜んでいるので、こんなふうに悩むのは1年か2年くらいなものだけれど。

子どもができて思うこと

子どもたちと話すとき、わたしの声のトーンや話し方、これはたぶんわたしの母のトーンや話し方なのだろうと気づくことが多い。

もうほとんど記憶にない幼少期、たしかにわたしは、母からこんなふうに笑いかけてもらっていたのだろう。覚えていないから思い出せないのだが、そう確信している。それが証拠に、子どもたちに話しかける際、わたしはよく方言が出るのだ。転勤族だったので話す方言はその時々で変わってきたし、東京に出てきてすでに15年なので普段はほとんど方言は出ないのだが、子どもに話しかけるときだけ、「どしたぁん?」「〜かねえ」と訛が出る。

母が使っていた言葉が、自分でも気づかないうちに自分の中に蓄積されていて、それが今、同じシチュエーションにたどり着いたことで無意識にこうして飛び出してくるのだろう。

とても不思議だ。

なぜなら母のことをそれほど愛していないからだ。わたしは母からの愛をうまく受け取れなかった。それでもこうやって同じセリフが、同じ愛が、子どもたちに対して勝手に出てくる。

 

 

二十代前半のころ、わたしはよく「生まれてきたくなかったなあ」と考えていた。自分を産んだ両親を恨んだりもした。自分と相容れない母親のことを小学生のころからうっすらと馬鹿にしていたわたしは、特に母親を恨んだ。勝手にわたしを産んでおいて自分はのうのうと生きているなんて許せない、そういう恨み方だ。

人生につまづいているとき、特にそこに明確な原因がない場合、人は親を恨んだりするものなのである。

今でもそのときの感覚を少しだけ引きずっていて、素直に感謝の気持ちを持てないままでいる。

 

ただ、親の育て方が悪かったのだ、とまでは考えなかったように思う。大学を卒業してしばらくしてから「毒親」という言葉が流行り始めたけれど、うちの親が毒親だったかというとそんなことはないな、と感じたし今もそう考えている。わたしがうまくいかないのはわたしの生得的なものが原因であって、両親がなんというか生産者責任的なものを果たしていないとかそういうことではない。

両親の子育てが百点満点の正解だったかというと、完璧な子育てがありえない以上そんなことはないわけだが、彼らなりに、その時代なりに、真面目に育ててもらったと思う。

両親がわたしのことを愛していなかったのならばもっと簡単に恨むことができたのに、それはできないのだ。

 

母とわたしはわりと正反対の性格をしていて、母にわたしの感じ方は分からないようだった。わたしが大事にしているものも、わたしが怖いと感じるものも、母には見えないらしかった。逆に、母が大事にしている価値観を、わたしはあまり理解できなかった。だから母がわたしの将来を真剣に案じれば案じるほど、わたしは期待に応えられず居心地の悪さを感じた。つまり、わたしが母を疎ましく思うのは、母がわたしを大事にしているからに他ならなかった。たぶん。

母はわたしのことを人間として好ましく思ってはいないかもしれない、けれどそんなに悪い親ではない、ということはわたしも分かっていて、高校生か大学生くらい、とにかく10代後半の頃にはもう、「わたしは両親の手作りの温室で育ててもらったな」と自覚していた。

高校や大学の同級生たちはうちより経済的に豊かな家庭の子が多く、彼らに比べればお金もかけてもらってないし視野を広げるような文化度の高い教育も施してもらってない、たいしたことのない一般庶民だけれども、父と母なりに愛情と責任感を持って育ててもらった。

温室育ちという言葉があるが、同級生たちが良くも悪くも大きくて頑丈な温室育ちだったとするならば、わたしは両親お手製の、すきま風の吹くボロの温室で守られて育った。

母は感情的な怒り方をすることも多かったし、父は長時間労働であまり家にいなかったけれど、悩みを話せば励まそうとしてくれたし笑わそうとしてくれた。塾へ行きたい、この学校へ進みたいと言えば何の反対もせず、「あんたがそうしたいなら」と(奨学金は必要だったものの)お金を出してくれた。

だからわたしはどっちかというと家庭環境に恵まれていた、と思う。

 

そんなふうに感じていたことを最近急に思い出した。

 

今もわたしは、自分が生まれたことは間違いだった、人生はしんどいことのほうが多い、と心のどこかで感じている。

けれどそれでも子どもを持ちたいと思える程度には人生を楽しめるようになった(それは大木くんのおかげだけれど)。これからは、子どもたちの人生を、存在そのものを肯定するために、自分自身の存在を肯定していかねばなあと思っている。

子どもたちも、きっと生きていく中でしんどいことやつらいこともあるだろうけど、最終的に何となく楽しいと思える、何となく満足感を得られる程度の人生は送ってほしい。そうなれるよう育てるのが、親として最低限の責任とも感じている。

そんなことが、わたしなんかにできるのか。

自信はないけれども、愛情さえかければ、そしてつまづいたときにしっかりと寄り添っていければ、なんとかなるのではとも思っている。そして、愛情のかけ方は知っているのだ。

 

 

わたしは実家を離れて東京で暮らしている。年に一度帰ればいいほう。電話は時々する。このくらいの距離感が自分にとってはちょうどよかったなと思う。

子どもを持ったからといって急に母を尊敬できたり感謝の念があふれたりということはない。多少電話の頻度が上がったくらいだ。

愛していない相手から愛されていたという実感も別にほしくはない。

けれど、子どもたちに笑いかける時、ああ、この笑顔は、わたしが母からもらったものだな、わたしがなんの苦労もなく子どもたちに笑いかけることができるのは、母がずっと笑いかけてくれていたからなのだなと思う。癪なんだけど、そこは認めざるをえない。

 

 

特別お題「今だから話せること

パパの育休は何か月必要? 我が家の場合

2人目が生まれた際、9月、10月とおよそ2か月間、夫が育休をとってくれたのだけれど、10月下旬にもなると「2か月はいらんかったかも……」と思ったりしたので、どのくらいが適当だったのか、妻の視点から我が家の場合を振り返ってみた。

結論から言えば、「日中、子どもが赤ちゃん一人だけであり、職場への復帰後も夫が上の子の世話や多少の家事ができるのであれば、夫婦二人が産育休をとるのは1か月半あれば充分」である。

これから育休を取ろうと考えているどなたかの参考になれば。

 

 

 

はじめに(赤ちゃんの成長について一般的なこと)

育児書などによると、生まれたばかりの赤ちゃんは3時間おきにおっぱいを飲み、一日に16時間以上寝ている。

らしいのだが、育児書どおりの赤ちゃんは少ないと思う。

我が家の2人の子どもたちは、授乳間隔は短いときは数十分、長いときで3時間程度で、一回の授乳に数十分(長いと1時間)かかった。よく吐き、よくうんちを漏らすので洗濯回数が上がる。なお、ウンチ漏れは手洗いが必須。なぜ泣いているのかわからないけどずっと泣いてる、ということがよくあり、抱っこしてひたすらスクワットをしていないと泣き止んでくれなかったりした。

 

生まれたばかりのころは昼夜の区別がついていなかった赤ちゃんは、2ヶ月ほどでだんだん昼間の時間帯に長く起きているようになり、生後5ヶ月ごろになれば朝起きる時間や1日3回の昼寝の時間などが何となく定まってくる。生後6ヶ月にもなれば夜間の授乳がなくとも脱水症状を起こしたりはしなくなるらしいのだが、赤ちゃんの眠りはとても浅いうえに夜泣きも始まるので、実際にはその後も夜中にたびたび起きてしまう。おっぱいを欲しがったり、おっぱいすら拒絶して泣きわめいたり。夜通し寝てくれるようになるのは1歳以降になる子が多いのではないだろうか。子どもによっては、もっと大きくなるまで夜泣きが毎日続く子もいるらしい。

 

日本では、生後1か月間は赤ちゃんの外出は推奨されない。1ヶ月健診にて医師のお墨付きをもらってから、数分ずつ外気に慣らしていく。

そのため、上の子を外遊びに連れて行ったり保育園に送り迎えに行ったりする際、赤ちゃんを同行させることができるのは、早くても生後1か月半以降だろう。

 

また、赤ちゃんとは別に母親も1ヶ月健診がある。ここで異常がなければ、それ以降湯船に浸かることができるようになる。つまりそれまではシャワーのみなので、上の子をお風呂に入れる役割は必然的にパパ、ということになる。

 

我が家の前提条件など

我が家は両実家が遠方であり、里帰りもしなかったため、実家のサポートはほぼ得られない状態だった。

2歳になったばかりの上の子がいたが、平日の日中は保育園に通っていた。

このあたりの事情が変わると、取るべき対応もまた変わるはず。

 

また、2人目の出産は、誘発剤を使用しての普通分娩(帝王切開でもないしいわゆる無痛分娩でもない)で、出産にかかった時間は平均より大幅に短い約3時間。大きなトラブルはなかったものの、2リットルを超える大量出血があった(通常は200〜300ml程度で済むらしい)。

出産は一人ひとりちがって、産後数時間ですたすた歩ける人から、骨盤の痛みなどでしばらく歩けなくなる人までさまざまなので、あくまでわたしの場合どうだったかを時系列で書いてみる。

 

産後1週間目(入院中)

出血量が多かったので出産当日はトイレにも行けない絶対安静状態。翌日から歩行の許可が下りる。シャワーを浴びに行くだけでへとへとになる状態が続いたが、退院するころには荷物を背負ったうえで赤ちゃんを抱っこできる程度には回復していた。それでも、小走りもできないほど体は弱っていた。

ただ、入院中に夫の助けがいるか?というと、別にいらない。コロナで面会もできなかったので、土日に一度荷物を届けてもらっただけだった。面会が可能であったなら、洗濯をしてもらえたら助かっただろう。

退院の日だけは、絶対に助けが必要だ。入院中の衣類やおむつなどで荷物が多いうえに、赤ちゃんを抱いて帰る必要があるため、母親一人では物理的に手が足らない。ここは絶対だ。

また、役所に出生届などを提出しなければならないのだが、母子はまだ自由に動けないためこれも夫にやってもらいたい。

 

産後2週間目

上の子と遊ぼうとしてちょっと体を起こしているとすぐぐったりしてしまう。微熱が出たりおさまったりする。

回復のために今は寝るのが仕事、と自分に言い聞かせ、赤ちゃんの授乳以外のお世話、そしてすべての家事は夫に任せて寝ることに集中した。

この時期、夫の育休は必要。無理なら産後ケア施設など育児支援サービスの利用の検討を。

 

産後3週間目

洗濯物を畳むなど、軽い家事を一日ひとつくらいならできるようになる。しかしまだ小一時間パソコンに向かっていただけで頭痛を起こして寝込んだりする。

この時期もできるだけ夫に育休を取ってもらいたい。赤ちゃんがわけもなく泣いているときに、昼も夜もなくあやさなければならないのは産後の体にはしんどい。

 

産後4週間目

簡単な食事の準備など、軽い家事を一日ふたつくらいならできるようになる。夜は細切れ睡眠なので日中に昼寝するなどして睡眠不足を補う必要はあるものの、一日中ずっと横になっていたいほどのだるさは抜けてくる。わたしはこの時期から日中はパジャマから普段着に着替えるようにしていた。

もし子どもが赤ちゃん一人で、帰宅後に父親が家事をできるのなら、この時期に仕事に復帰してもよいかもしれない。

我が家は上の子がおり、それゆえに家事の手を抜くのも限度があったため、まだまだ夫の育休はありがたかった。

 

産後5〜6週間目

1ヶ月健診を終え、赤ちゃんを連れて少しずつ外を散歩するようになる。家の中で動き回る程度の動作では、特に大きく疲れることもなくなってきた。

しかし、この時期に用事があり赤ちゃんを夫に預けて2時間ほど外出したところ、帰るころにはぐったりして何もできなくなってしまった。元気になったように見えて、まだ体は弱ったままだった。

また、この時期、乳腺炎を起こして熱が出ることが何度かあった。

まだまだ体調を崩しやすいので、この時期まで育休を取ってもらえると安心ではある。しかしうちの夫はこの頃からなんだか暇そうに見えた。庭木の剪定など、普段やれない家事をやってくれていた。

定時で帰れて上の子の送り迎えができ、妻になにかあった場合すぐに休みが取れるのであれば、仕事に復帰しても大丈夫かもしれない。

 

産後7〜8週間目

かなり体が軽くなったなという実感が出てくる。もちろん筋力や体力は妊娠前に比べると弱ったままなので、元どおりとはいかないが、「産後」という意識は薄くなる。日中に赤ちゃんの世話をしながらだいたいの家事はこなせるようになる。

この辺が父親の復帰の目安になるような気がする。

仕事が長時間労働で上の子の送り迎えに行けないならもう少し休んでいた方がいいだろうし、復帰後も上の子の送り迎えや入浴、多少の家事の協力ができるならそろそろ復帰のタイミングになる。元気な大人2人で赤ちゃんひとりをお世話してもぶっちゃけ暇である。夫だけでなく妻も。それこそ、以前岸田総理が言っていたような「育休中のリスキリング」ができてしまう。逆に言うと、赤ちゃんの成長を間近で見ながら社会人としてもスキルアップしたいというなら、産後1ヶ月以降に夫婦二人で育休をとることは大きなチャンスになると言える。また、ひとたび職場復帰したら長時間労働デスマーチが再開される…というひとであれば長めに休んでおいた方がいいかもしれない。

 

産後3ヶ月頃

この頃にようやく「元に戻った!」という実感が持てた。もちろん、筋トレやジョギングが以前のようにできるわけではないが、土日に上の子の外遊びに付き合っても、バテたりしなくなった。

わたしの体感だと「赤ちゃんの世話+保育園から帰宅後の上の子の世話+家族4人分の家事(便利家電やネットスーパーを利用)」を合わせると、1日当たり1.5〜1.6人分くらいの労働量だと思う。父親が帰宅後に0.2〜0.3人分くらいの労働力を提供してくれれば2人ともそんなにしんどくならずに毎日楽しく暮らせるね、という感じ。

 

 

まとめ

以上が我が家の場合の振り返りだ。

まとめると、赤ちゃんのお世話と最小限の家事を一人でこなしてもしんどくなくなるのは産後1ヶ月ごろからだった。その後もしばらくは体調を崩しがちだったものの、1ヶ月半程度の育休をとってもらえれば充分だったかなと思っている。

もちろん、さらに数か月たって、夜泣きが始まったり離乳食が始まったりはい回って目が離せなくなってくるとまた別の大変さは出てくるが、産後で体がしんどいことによる大変さは、大抵1~2ヶ月で落ち着くと考えてよいだろう。

これから育休を取ろうと思っている方の参考になれば幸いである。

 

ただ、繰り返しになるが出産も子育ても人それぞれなので上のとおりに考える必要はないし(妻のサポートではなく自分自身が長期間赤ちゃんのお世話をしたいという人もいるだろう)、生まれてみたら全然違った!ということもあると思う。

 

例えば、知り合いは出産時の傷がうまく治らず、数ヶ月後に手術が必要になった。3週間の入院となり、その間旦那さんが育休を取って赤ちゃんのお世話をすることになったという。

こんなふうに産後は何が起こるかわからない。せめて「出産、育児は何があるかわからない」という認識だけは持っておいたほうが良いと思う。

異様に寝なくて親の体力を削いでくる赤ちゃんとか、ずっと泣き通しで親のメンタルえぐってくる赤ちゃんなどもいるらしいので…。

 

ちなみに

世の中には上の子が保育園にも幼稚園にも入っていない状態で下の子を産み、二人の乳幼児の世話をひとりでしている専業主婦の方も多いと思うが、これ、実際はかなりキツイのではないかと思う。

赤ちゃんが上の子と同じくらいのタイミングで食事をとり、昼寝をするようになるのはせいぜい1歳すぎからだからだ。生活リズムの異なる子どもたちをひとりで見るのは至難の業だ。上の子を外遊びに連れていっても、赤ちゃんがお腹が空いたからと短時間で切り上げなければならなかったり、上の子が遊んでほしいとせがむのを振り切り、ようやく赤ちゃんを寝かしつけたとおもっても上の子の声ですぐ起きてしまったり…。

1日、2日なら気合でなんとかできても、毎日となると体力も気力も持たない気がする。これをワンオペでやっているお母さんも日本にはたくさんいるのだろうけど、わたしにはどう生活を回しているのか検討もつかない…。気軽に頼りあえるママ友などがいればいいのだけど…。

この場合父親は「うちは専業主婦家庭だから」と言わずになるべく育休を取得した方がいいと思う。

 

 

誰もが育休を必要なだけ取れる社会になりますように。

おわり。