君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

子どもができて思うこと

子どもたちと話すとき、わたしの声のトーンや話し方、これはたぶんわたしの母のトーンや話し方なのだろうと気づくことが多い。

もうほとんど記憶にない幼少期、たしかにわたしは、母からこんなふうに笑いかけてもらっていたのだろう。覚えていないから思い出せないのだが、そう確信している。それが証拠に、子どもたちに話しかける際、わたしはよく方言が出るのだ。転勤族だったので話す方言はその時々で変わってきたし、東京に出てきてすでに15年なので普段はほとんど方言は出ないのだが、子どもに話しかけるときだけ、「どしたぁん?」「〜かねえ」と訛が出る。

母が使っていた言葉が、自分でも気づかないうちに自分の中に蓄積されていて、それが今、同じシチュエーションにたどり着いたことで無意識にこうして飛び出してくるのだろう。

とても不思議だ。

なぜなら母のことをそれほど愛していないからだ。わたしは母からの愛をうまく受け取れなかった。それでもこうやって同じセリフが、同じ愛が、子どもたちに対して勝手に出てくる。

 

 

二十代前半のころ、わたしはよく「生まれてきたくなかったなあ」と考えていた。自分を産んだ両親を恨んだりもした。自分と相容れない母親のことを小学生のころからうっすらと馬鹿にしていたわたしは、特に母親を恨んだ。勝手にわたしを産んでおいて自分はのうのうと生きているなんて許せない、そういう恨み方だ。

人生につまづいているとき、特にそこに明確な原因がない場合、人は親を恨んだりするものなのである。

今でもそのときの感覚を少しだけ引きずっていて、素直に感謝の気持ちを持てないままでいる。

 

ただ、親の育て方が悪かったのだ、とまでは考えなかったように思う。大学を卒業してしばらくしてから「毒親」という言葉が流行り始めたけれど、うちの親が毒親だったかというとそんなことはないな、と感じたし今もそう考えている。わたしがうまくいかないのはわたしの生得的なものが原因であって、両親がなんというか生産者責任的なものを果たしていないとかそういうことではない。

両親の子育てが百点満点の正解だったかというと、完璧な子育てがありえない以上そんなことはないわけだが、彼らなりに、その時代なりに、真面目に育ててもらったと思う。

両親がわたしのことを愛していなかったのならばもっと簡単に恨むことができたのに、それはできないのだ。

 

母とわたしはわりと正反対の性格をしていて、母にわたしの感じ方は分からないようだった。わたしが大事にしているものも、わたしが怖いと感じるものも、母には見えないらしかった。逆に、母が大事にしている価値観を、わたしはあまり理解できなかった。だから母がわたしの将来を真剣に案じれば案じるほど、わたしは期待に応えられず居心地の悪さを感じた。つまり、わたしが母を疎ましく思うのは、母がわたしを大事にしているからに他ならなかった。たぶん。

母はわたしのことを人間として好ましく思ってはいないかもしれない、けれどそんなに悪い親ではない、ということはわたしも分かっていて、高校生か大学生くらい、とにかく10代後半の頃にはもう、「わたしは両親の手作りの温室で育ててもらったな」と自覚していた。

高校や大学の同級生たちはうちより経済的に豊かな家庭の子が多く、彼らに比べればお金もかけてもらってないし視野を広げるような文化度の高い教育も施してもらってない、たいしたことのない一般庶民だけれども、父と母なりに愛情と責任感を持って育ててもらった。

温室育ちという言葉があるが、同級生たちが良くも悪くも大きくて頑丈な温室育ちだったとするならば、わたしは両親お手製の、すきま風の吹くボロの温室で守られて育った。

母は感情的な怒り方をすることも多かったし、父は長時間労働であまり家にいなかったけれど、悩みを話せば励まそうとしてくれたし笑わそうとしてくれた。塾へ行きたい、この学校へ進みたいと言えば何の反対もせず、「あんたがそうしたいなら」と(奨学金は必要だったものの)お金を出してくれた。

だからわたしはどっちかというと家庭環境に恵まれていた、と思う。

 

そんなふうに感じていたことを最近急に思い出した。

 

今もわたしは、自分が生まれたことは間違いだった、人生はしんどいことのほうが多い、と心のどこかで感じている。

けれどそれでも子どもを持ちたいと思える程度には人生を楽しめるようになった(それは大木くんのおかげだけれど)。これからは、子どもたちの人生を、存在そのものを肯定するために、自分自身の存在を肯定していかねばなあと思っている。

子どもたちも、きっと生きていく中でしんどいことやつらいこともあるだろうけど、最終的に何となく楽しいと思える、何となく満足感を得られる程度の人生は送ってほしい。そうなれるよう育てるのが、親として最低限の責任とも感じている。

そんなことが、わたしなんかにできるのか。

自信はないけれども、愛情さえかければ、そしてつまづいたときにしっかりと寄り添っていければ、なんとかなるのではとも思っている。そして、愛情のかけ方は知っているのだ。

 

 

わたしは実家を離れて東京で暮らしている。年に一度帰ればいいほう。電話は時々する。このくらいの距離感が自分にとってはちょうどよかったなと思う。

子どもを持ったからといって急に母を尊敬できたり感謝の念があふれたりということはない。多少電話の頻度が上がったくらいだ。

愛していない相手から愛されていたという実感も別にほしくはない。

けれど、子どもたちに笑いかける時、ああ、この笑顔は、わたしが母からもらったものだな、わたしがなんの苦労もなく子どもたちに笑いかけることができるのは、母がずっと笑いかけてくれていたからなのだなと思う。癪なんだけど、そこは認めざるをえない。

 

 

特別お題「今だから話せること