君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

高知旅行の備忘録。

平成最後の日に出発。令和へ向かって旅行に出掛けた。羽田から一路、高知へ。

と、ウキウキと繰り出す予定だったのだが、朝早くて寝不足、大木くんは風邪気味、あいにくの雨でしょっぱなからテンションが下がる下がる。

高知龍馬空港からとりあえず桂浜に向かったのだがゴールデンウィークだから混んでいて、離れた場所にある臨時駐車場に止めてシャトルバスに乗れという。
めんどくさくなって「雨だしいいよね」と桂浜を目の前にして諦めるわたしたち。
そしてカツオを食べに高知市へ向かったのだが、こちらも市場が激混み。有名店は数十メートルの行列。めんどくさくなって「どこで食べても同じだよね…」と市場の外の並んでない店へ入るが、カツオはともかく白いごはんがまずい。

その後、宿をとっている四万十市へ向かうが、高知市を離れると高知はただの田舎で、高速道路の周りはなんもないし、雨だし、ドライブは眠くて仕方なかった。

はるばる高知まで来たのになんだこのテンションの上がらなさは…。
宿の駐車場では車もうまく止められないしで踏んだり蹴ったりだ。

と意気消沈して宿に着いたのだが、そこで待っていてくれたのはとっても気さくなご主人。古田新太みたいな飄々とした佇まいで、楽しそうに何でも話しかけてくれる。手作りの露天風呂や檜風呂のある面白い宿。
夕食はどこにも予約してないと言うと、「ゴールデンウィークはどこも入れないんだよ」と言いながら知り合いのお店に何件も電話してくれた。(でも最終的にお店をとってくれたのは宿に遊びに来ていた(?)ご主人のお友達。なぜかそのお友達に車に乗せてもらい居酒屋へ)

すっかり楽しくなってきたわたしたち。
ごはんを食べて宿に戻る頃には上機嫌になっていた。気さくな人っていうのはすごいな。ある種の魔法みたいだ。
と、この日は宿に感動する1日となった。

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居酒屋で食べたカツオの刺身。もっちり。
その他、イタドリの煮物、あおさの天ぷら、筍の煮物、ウツボの唐揚げなど。お酒は黒尊の純米吟醸。美味しかったねえ。
ちなみに、泊まったのは「中村屋ZAKONE」さん。檜風呂が素敵でした。

長女メンタリティ

時々見栄を張ってしまうのはわたしが長女だからだろうか。


大木くんの誕生日はもう少し先なのだけれど、旅行に出掛けてしまうので先に誕生会をやることになった、唐突に。
で、誕生日プレゼントでほしいと言われていた眼鏡を買いに、二人で吉祥寺中の眼鏡屋を回ることになった。

数時間かけて比較検討し、チェーンでない店で、それも薄型レンズなど頼もうものなら結構なお値段がすることがわかってきて、そういう値段との兼ね合いもあってとあるお店よ一本の眼鏡に決定した。

眼鏡屋で視力を測ってもらい、レンズを選ぶ大木くん。放っておくと、大木くんは当初予定していた傷防止加工を注文していないではないか。あわてて大木くんに声をかける。
「傷防止加工もつけたら?」
「いいの?」
「いいよいいよ。つけなよ」
親指をたてるわたし。

いや、なにがいいよだ! 今ので合計が4万円になったぞ!
にこやかに笑いながら、心の奥で冷や汗。明日から旅行でまたお金かかるのに。4月は想定よりは残業が少なくて見込みより給料が少なくなるのに。この後ワインもステーキ肉も買うのに。
だが言ってしまった言葉を引っ込める訳にはいかない。にこにこしながらわたしは財布を取り出したのだった。


末っ子で生まれていたら、こんな時無理をしないでいられたんだろうか。
そういえば付き合いはじめの頃も、わたしは頑なに割り勘にこだわっていて、かなり財政状況が悪化してからようやくうちあけ、少し多めに払ってもらうようになったのだった。

もう少しうまく甘えられる人間だったら、人生ももっと楽で楽しくなっていたのだろうか。


と、なんだか悶々と考えてしまう側から、電車で空いた席に大木くんを座らせ、眠いと言う彼に
「着くまで寝てなよ。起こしたげる」
とほぼ条件反射で言ってしまう、長女メンタリティ。
けれども、「うん」と素直に目をつぶる大木くんを見ていると、自然と幼い頃の、背伸びをして妹たちの面倒を見た記憶が思い出され、なんだか懐かしく甘い気持ちになってほっとしてしまうのである。

で、まあいっか、となるのだ。
これがわたしだし、これがわたしと大木くんだから。

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昨日の晩ごはんは大木くん誕生日仕様。
ステーキ、ハッセルバック、玉ねぎのスープなど。
大木くんの希望でパンではなくごはん。
ワインは輸入店でお店の方に選んでもらったのだが、コクがあってかつするりと飲みやすく、900円程度なのに大変美味しかった。

マラソンは痩せます

自慢じゃないが、わたしはよくスタイルがいいとひとから褒められる。モデルさんみたいだね、とも。

 

モデルさんみたいはさすがにお世辞が過ぎると思うけれども、170cm超えていてやせ型なら、細かいバランスはどうあれ、ぱっと見のスタイルはよく見えるもののようだ。背が高いせいで全くモテないけれども、やっぱり見た目がよいのはお得だなあといろいろな場面で感じる。適当な服を着てもそれなりになるし。

 

しかし、わたしも今より10キロ近く太っていてお世辞にもスタイルがよいとは言えない時代があった。大学生の頃だ。自炊していたのだが、「2,3日分の作り置き」のつもりで作ったものを1日で食べてしまったり、都心に住んでいた故に近所にコンビニがありすぎて、バイト帰りの深夜でもスナック菓子やらアイスやらを際限なく食べていたらそうなった。

久々に実家に帰ったら「妊婦みたいよ」といわれる始末。

 

それがどうして元の体重まど戻し、さらにもう少し痩せて人から褒められるまでになれたのかというと、すべてはマラソンのおかげだと思っている。

 

今から数年前、留年中に新たに始めたバイト先の会社で知り合った、とある60代くらいのおばちゃんと趣味の話をしたのが転機になった。

「走るのが趣味でね、若いころは大会にも出てたわよ。楽しかったねえ」

おばちゃんは本当に楽しそうに話していて、大会がどんなものなのかよくわかんないけどその時の高揚感みたいなものが伝わってきた。2,3キロのジョギング程度なら時々やっていたわたしは、「自分も大会に出てみたい」と、その時強く思った。

そして数日後にはもう、ひと月後に近隣で行われる小さな大会に申し込んでいた。

 

その大会はほんの10キロの大会だったのだけれど、力の限り走るという経験が面白く、しかも、ゴールした直後、「あれ、もうちょっとくらいなら走れそうだ」と感じてしまったために、うちに帰ってすぐ、またひと月後にあるハーフマラソンに申し込んだ。さらにそのひと月後には景色のよさそうな熊本の天草までわざわざ行って、ハーフマラソンの大会に参加していた。

その時のタイムが2時間4分。自分で自分をほめてあげたいくらい頑張ったし、コースから眺める風光明媚な景色は本当に一生の思い出になった。しかもその時、「あともうちょっと練習すればフルマラソンも走れそうだ」と感じたのだ。そうして、翌シーズンには初めてのフルマラソンに出場することになる。このときのタイムは5時間を超えてしまったけれど、一度も歩くことなく完走することができた。

 

それ以来は完全にマラソンにまってしまって、ワンシーズンに1,2回はフルマラソンを走っている。

もう7,8回完走したかな。

 

それ以来、極端に太ることはなくなった。

体重は一定の範囲でキープ。練習量が増える秋から冬にかけては、もう何を何時にどれだけ食べても太らないという最強のコンディションになることもある。

 

最近は、「長時間の有酸素運動をしても筋肉まで燃焼してしまうので却って痩せにくくなる」だとか、「激しすぎるランニングは逆に体に悪い」なんて言われることもあるけど、いや、そんなことはないよとわたしは言いたい。

あの大会までにベストコンディションを作るぞと思うと自然と食生活にも気を遣うし、フルマラソンを走りきるための脚力をつけるために筋トレもする。それにこれは経験的な話だけれど、まったく運動せず食っちゃ寝の生活をしていると、なぜかポテチとかカップ麺とか、体に悪いものを食べたくなるのだけれど、運動習慣があるとそういうものは体がほしがらなくなって、自然と粗食になる。

だから、マラソンは痩せるのだ。

 

というわけで、健康的に痩せたい人には、ただちに来月の大会に申し込んでみることをお勧めします。垂れたおしりも上がるよ!

 

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去年のプロポーズで大木くんが買ってきてくれた苺が、今年ももりもり花をつけ始めた。

ちなみに、今シーズンはつくばマラソンと五島つばきマラソンに出て、どちらも泊りがけで行ったけれど、そのどちらにも大木くんがついてきた。わたしが走っている間はレンタカーで一人観光して、ゴールするころ迎えに来てくれるのがここ最近のお決まりになっている。

 

趣味に付き合わせて悪いなと思わなくもないけど、そうじゃなければ五島なんてそうそう行かなかっただろうし、でも五島の海は本当にきれいで、しかも他に観光客が誰もいなくてまるでプライベートビーチのようで、こういう機会にいろんな場所に二人で行けるのはよいな、と思うので今後もマラソンを口実に旅行ができたらいい。

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昨日の朝ごはん。お好みの具材を自分で挟むサンドイッチ。実家の休日の朝を思い出して作った。

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今日のお昼ご飯。タコライス

ひき肉を買うのを忘れて、鶏もも肉をみじん切りにした。これはこれでガパオライスみたいでおいしい。

 

晩ごはんはなににしようかなー。

DIY始めます

アイスランドから帰ってから目標がなくなった」

去年の秋ごろ、新婚旅行から帰ってしばらくしたころ、大木くんが言った。
それはわたしも感じていたことである。まともなガイドブックもない未知の国へ行く前は、あれやこれやたくさん調べて、綿密な計画を立てるのに忙しかったが、終わってしまうと随分手持ち無沙汰で退屈になってしまった。

それでも、マラソンという趣味のあるわたしは冬の間はあれこれ目標があるのだけど、マラソンシーズンも終わってしまうと休日が本当に暇になってきた。

自分1人でやれること、やりたいことはいろいろいるけど、なるべくなら大木くんと一緒にやれるものがほしい。
引っ越したばかりの頃を思い出す。忙しくて本当に大変だったけど、休日のたびに出掛けて二人であーでもないこーでもないといいながら家具を選んだり、届いた家具を組み立てたりするのはなぜだか無性に楽しかったな。大木くんとの新しい生活が始まるんだ、という期待で胸がときめいた。あの時間アゲイン。


そこでなにか新しいことを始めよう!となり、大木くんから出た意見がDIYだったのである。
これまでもベランダでいちごのほかにもいろいろ育てたいね、そうなると棚とかほしいね、手作りしたりなんかして、なんて話していたので、二人で何かするならDIYが一番しっくりしていた。
あとやはり、二人の家を二人で作っていこうという感じが、求めているものに近かったのだと思う。
DIYにハマるたくさんの人たちの気持ちが少しわかったよ。家族の目標が欲しがったんだね。


いきなりノコギリを使って、はハードルが高い気がして、手始めに本棚に色を塗ろう、となった。前々から本棚を青くしたいとわたしが言っていたからだ。
ただ、調べてみると安い合板の家具に上から色を塗るのもけっこう難しそうで、練習として試しにゴミ箱がわりにしている箱からやってみることにした。

暖かい春の休日に、ベランダにビニールシートをひいて二人で汚れながらペンキを塗った。ニスもあわせて、二日かかった。
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カラーボックスの上に剥げないようにペンキを塗るのは難しいようだ。
でも、ゴミ箱としては上出来かな。

これからもDIY生活は続く。大木くんと楽しく生きるために。

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土曜日の晩ごはん。若竹煮とさわらの唐揚げ。春です。
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日曜日の朝ごはん。

東京大学入学式の祝辞を読んで

www.u-tokyo.ac.jp

 

話題になっているし、わたしも思うところがあったので備忘録程度に書き残しておこうと思う。20年後くらいに読み返して当時はこんな時代だったなあと振り返って楽しむためだ。

…楽しめる未来が来るといいけど。

 

先に断っておくと、わたしは大学時代なんとなく受講してしまったジェンダー論の講義が気持ち悪すぎて2回出席しただけで脱落し(もちろん単位は落とした)、それ以来フェミニズムには若干の苦手意識がある。なんだろう、どう議論しても「男対女」「専業主婦対バリキャリ」「リア充女子対モテない女」の対立がどこまで行っても平行線のままで、どちらも全く歩み寄りそうにない感じが気持ち悪かったのだと思う。上野さんの本も読んだことがない。それと、東大出身でもない。そのため、純粋に今回の祝辞に対しての感想、自分の体験談になる。

 

さて、祝辞の中で特にいろいろ感じたのはやはり後半の部分。

がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

 

それは学校を出た瞬間に感じたことだった。

花形部署には男性ばかり、一人女性が混じっているなと思ったら雑務を担当しているだけだったりした。仕事で会合に呼ばれていった女性たちは「おじさんたちにコンパニオンみたいに扱われ、しかも向こうはそれが当たり前だと思っている」と憤っていたし、課長以上の管理職のうち、女性はたった3~4%しかおらず、いても人材育成担当とか、限られた部署にしか昇進のルートがなかった。当然、自分がまかされる仕事も雑務的なものがほとんどで、何を頑張れはばいいかわからない。このまま何年ここにいたって何にもならない、とほとんど絶望的な気持ちでいた。

のちに出会った大木くんにそのことを愚痴ったことがあるが、彼は自身の会社でさほど男女差別は感じていなかったらしく、だからわたしの感覚もわかってくれないし、「そう思うなら自分がパイオニアになればいいじゃん」などとも言われたけれど、そんな簡単に言わないでほしい。数少ない女性課長たち(ちなみに部長職には女性は一人もいなかった)を見ると、そこら辺の男性上司のはるか上をいくほどのとんでもないエネルギーの持ち主で、簡単にはまねできそうにない、そもそも簡単な雑務しかさせてもらえない環境で何をどうアピールしたらよいのかもわからなかった。

 

そのころ付き合っている人がいて(大木くんではない)、脱いだものは脱ぎっぱなし、食べた後のお皿を下げもしないという人で、結婚なんて全く考えもしなかったが、もし将来ほかに結婚したい相手が現れたとしても、こんな感じなのかしら、わたしが家事を全部やって、ということは育児も全部わたしの役目になるんだろうし、ますます仕事なんてまともにできない。同じ屋根の下で暮らすのに、不平等に苦しむなんて。なら、絶対結婚なんかするものか。…けど、仕事もつまらない。どうしたらいいんだ。

わたしは、中学時代はずっと学年で一番の成績だった。男の方が女より優れてるなんて嘘だよね。だってみんな、わたしより頭悪かったよね?就職活動につまづいて留年を繰り返したせいでまともな職に就けなかったのはある程度自業自得だけれど、女というだけでここまでないがしろにされるなんて。

わたしは何のために頑張ってきたんだろう、このままここで何も得られず老いていくだけなのか?人生ってなんてつまらないんだろう。

そう思っていた。

結構やばいところまで追いつめられていたと思う。

 

その後、運よく大木くんと知り合って中距離恋愛という形で付き合うことになり、1年たったころ、わたしは大木くんのいる東京へ引っ越すため、転職することにした。

 

転職先は、都内の同業他社に比べれば管理職の女性比率は少し低い方ではあったが、元居た場所からすれば雲泥の差で、今はさらにそれを是正すべく女性を積極採用していて同世代は女性の方が多いし、身近にロールモデルになりそうな女性上司もいる。わたしのいる部署の扱うサービスが比較的女性向けということもあり周囲は女性の方が多く、「女だから雑用を」、ということはほとんど感じない。それなりの仕事を、ちゃんと与えられている。

もっとも、男性がやる必然性のない部署なのに男ばかりという部署も中にはあるので、今たまたま運よく良い環境にいられているだけかもしれないが、少なくとも今は、転職してよかったと本当に思う。頑張っても何にもならないんじゃないかって場所には、ずっとはいられないもの。頭がおかしくなるから。

 

結婚の方はというと、これも、本当にいい人に出会えたなと思う。

大木くんは料理は苦手だけれど、それ以外の家事はほとんどやってくれているし、料理も練習してめきめき上達している。「育休を取る、時代の最先端な男」になりたいらしく、子どもが生まれたら長期で育休を取るらしい。なんなら「キノちゃんがバリバリ働くなら、俺、残業しない申請して保育園の送り迎えしてもいいよ」とすら言っていた。

男女の不平等の問題にも大木くんなりに関心があるようで、新聞でそういう記事が出ていると割と熱心に読んでいたりする。女子率が半数を超える学部の出身の大木くんは、彼は彼で、男性の役割を押し付けられることに違和感を感じているのかもしれない。

出身大学の偏差値が10以上高いわたしのことを敬遠しなかったし、それでいて俺より頭いいと思う、とも言ってくれる。(でもわたしは大木君の方が合理的で判断力もあって、家計の収支をきっちりつけていたりするように管理能力も高いと思う)

前の職場にいたころ、勝手に妄想して絶望していたような結婚生活にはまったくならなかった。

 

で、ここで初めの祝辞に戻るのだけれど、社会には本当に理不尽がこれでもかってくらい待っていると思う。それでも、そんな環境を自分から切り捨てるという選択肢もあるということを未来ある学生たちには知っておいてほしい。

確かに、業界全体で体育会系気質で女がいづらい業界もたくさんあるだろうけれど、その中でもちょっとでもましな会社を選ぶことはできる。あと、東京と田舎とじゃ、やはりそのあたりの感覚が結構違う。転職前は埼玉の少し田舎に住んでいたという女性の先輩も言っていたけれど、東京の通勤圏から少し外れると、「町内会の行事の裏方は全部女。男は酒飲んでいるだけ」みたいな地域は平成が終わろうとしている現代でも、いくらでも残っている。そんな田舎、滅びればいいとわたしは思っている。みんな、そんな場所は置き去りにして、少しでも居心地のいい場所を探したらいい。なんなら日本から出て行ってもいい。

結婚相手だって、女を虐げるような相手や女の子は自分より馬鹿な方がいいなんてやつはこっちから願い下げだ。ちゃんと、自分を対等な存在として尊重してくれる相手を探せばいい。

わたしが学生だった10年ほど前とくらべても、日本の空気間は随分変わった。選ばれなかったものは淘汰されるか、形を変えざるを得ないからだ。

 

わたしには、上野先生みたいに声高に権利を叫ぶエネルギーはない。でも、嫌なものを置き去りにしてマシな方を選ぶ程度の行動はできた。(まあ大方大木くんのおかげなのだけども)

そういう行動が日本中で今後も積み重なっていけば、少しずつでも社会はよくなっていくのかなと思っている。

だから、これから大人になっていく女性たちにもせめてそうであってほしいと思う。嫌だ、理不尽だと思うことを、我慢し続けることはない。東大生ならそれくらいの選択肢は持ってるはずだ。企業できる人だってたくさんいるだろう。そしてもしそういう理不尽にあって場所を変えるとき、なんの選択肢も持たない、もっと弱い立場の人がいることにも、少し気を配ってくれたら良いと思う。

もちろん、男尊女卑のきつい場所に入り込んで、しなやかに環境を変えていけるなら、それに越したことはないけどね。東大に行けるくらいの女の子たちなら、そういうこともできるのかもしれない。


本当はもっといろいろ考えたりしたのだけど、長くなってきたのでこの辺で。

 

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今日の晩ごはん。

スープカレー。大木くんの実家(北海道)からお母さんがスープカレーのペーストを送ってくれたので。

夫の炊き込みごはん

木ノ下さんて何年目?

と最近異動してきた方たちに聞かれ、「2年目です」と答えると「ええーっ」とすっとんきょうな声で驚かれることが、たびたび。「落ち着いてるー!」とのこと。まあ歳だけなら三十路だからな。

「木ノ下さんは動じないからね。心の中で腹抱えて笑ってても顔に出ないのよ」
とうちの係の主みたいな契約社員の女性に笑われた。
「よくあります」と言うとますます笑われた。


そう、それは昔から。
学校とか会社とか、半ば公共の場でどう自分を表現したらよいかわからない。今日テンション高くても明日も高くいるのは疲れるなという想定から、基本的には低めで統一している。

でも高まったテンションを表現したいときもある。
例えば今日のお昼。
炊き込みごはんのお弁当は、もう11時くらいから楽しみで仕方なく、食べ始めると炊きたての昨日より心なしか味がしっかりしていて更においしい。
肉じゃがも味が染みている。
すっかりテンションがあがってしまった。

この料理!うちの夫が作ったんです!すっごくおいしいんです!
って誰彼かまわず自慢したい。

けど、そんなキャラではないので黙々と食べている。無表情で内心密かに幸せを噛みしめる。

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昨日の晩ごはん。
鮭のハラスの炊き込みごはん、焼きハラス、肉じゃが、水菜のおひたし、水菜とベーコンのスープ。
大木くん作。
完璧すぎる。

我が家では月に一回大木くんがごはんを作る決まりにしているのだが、大木くんの成長速度がヤバイ。
料理を始めてたった一年でこれだ。わたしが抜かされる日も近い。というかもう抜かされているのかもしれない。
大木くんのごはんがやばい。

ちょっといいコーヒーを自宅で

わたしはカフェが好きだ。

仕事終わりに寄って帰ることもあるし、休日に大木君を置いて出かけることもある。

おいしいコーヒーと、おしゃれで落ち着く、人がいるけど互いに干渉しないあの空間が好き。店主のこだわりが光る個性的な個人店も、安心のスタバやタリーズも好きだ。

もちろん、大木君と二人で行くこともある。けれど、この町に越してきてから約一年たち、近所のカフェはあらかた行きつくしてしまった。大木君は近くのよさそうな店の開拓には興味があるようだけれど、カフェでまったりすることそのものが好きなわけではないようで、最近はそんなに付き合ってくれない。

まあ、いいんだけどね。わたしも、大抵落ち着いて本を読みたくて行っているので、一人の方が好都合なわけで。

 

けれど、最近はカフェに行かなくても自宅でちょっとおいしいコーヒーが飲めるならそれで充分じゃん! と気づいた。

数週間前。

駅ビルで二人買い物をして、わたしはそのまま近くのカフェへ行きたい、でも大木君はもううちに帰ると言っている。わたしはカフェに行ってゆっくり本が読みたい、でも大木君と離れるのは嫌。ならば成城石井でお高めのドリップコーヒー買ってうちで飲めばいいのでは!? カフェに行くより安いし。

とコーヒーを買って帰った。

 

二人分のコーヒーを、お気に入りのコーヒーカップに入れて入れて飲む。隣に大木君がいるが、互いに干渉しないで好きな本を読んだり音楽を聴いている。越してきた当初に二人で作った狭いけれども落ち着くリビングで。

 

これは素晴らしい。

 

こんな足元に素敵なカフェがあったとは。

これでもうカフェに行く必要はなくなる、ということはないけれど、でもこれで十分幸せ。一人暮らしの時は考えられなかったことだなあ。自分の部屋でコーヒーを飲んでくつろぐなんて。ひとりでは、家にいたって満たされた感じがしなかったもの。

 

今週のお題「お気に入りの飲み物」

 

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昨日のおやつ。

ホームセンターへ行った帰りにケーキを買って。そとでは食べるのを躊躇するミルフィーユを心おきなく食べられるのもおうちカフェの醍醐味。

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昨日の晩ごはん。

新玉ねぎが安かったので、玉ねぎの肉詰めときのこのバター炒め、スモークサーモンのサラダ。玉ねぎをくりぬくのは時間ばかりかかって、食べづらいだけでそこまでおいしいわけでもなかった。サラダは写真だと色味がまずそうだけど、ドレッシングで漬けておいた玉ねぎを混ぜたこのサラダが今回は一番おいしかった。

 

今日はお昼にカレーを作りったので晩ごはんはもう作らなくてよい。

大木君は渋谷の音楽イベントへ出かけてしまっていないしね。

大木君がいないと、何も予定のない休日はとたんに暇で退屈で、充実していないことに罪悪感すら感じる苦痛の時間になってしまう。

「ちょっと高いドリップコーヒー」を入れてみたけど、何がおいしいのだか全然わからない。

 

つくづく、わたしの充実感は大木君によるものだということを痛感する。

とは言え、早く帰ってきてほしいとは思わない。大木君がわたしの知らない世界で楽しんでいるというのは、大木君の幸せはわたしごときの影響では容易くなくならないだろうという安心感があるから。

幸せな顔で帰ってきてほしいと思う。