君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

花束をもらう

仕事でブーケをもらった。

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取引先というか、わたしの担当している店舗の責任者の方が本社に戻ることになり、「今までお世話になったので」と花を持ってきてくださったのだ。

うちで主催している研修の受付をしているときに、参加者として来てくれていた彼女にこっそり渡された。

 

自分で組んだブーケだそう。

彼女はアラカンのおっとりした女性。

退職以外で花束をもらうのは初めてだ。

異動になったのは向こうなのだから、花を贈るとしたらむしろわたしから彼女に贈るべきのような気もするが、すごく嬉しい。

 

仕事以外のかかわりはなかったけれど、逆に言えば仕事ぶりそのものを評価していただいたような気がして、それが嬉しかった。

この花はそのうち枯れるけれど、そのあとも向こう数年間はわたしを元気づけてくれるような気がする。

 

 

今は数日たって少し傷んできたので、きれいなものを選んでコップに活けている。

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本棚の上がもりもりしてきた。

来週も仕事頑張ろう。

 

 

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昨日の晩ごはん。

駅に着いたのがもう19時だったので、15分で作れるどんぶり物を。

茄子と豚肉のピリ辛みそ炒め丼。ほんとは温玉の予定だったがお湯から取り出し忘れてただのゆで卵になっている。くやしい。

38℃で出勤してみた

風邪をひいた。


水曜日の朝体温を測ったら、38.0℃。
頭痛や腹痛、吐き気はないのでとりあえず仕事に出た。帰ってきたら38.6℃。
木曜日、37.3℃に下がっていた。とりあえず仕事に出た。
金曜日また38.0℃に。しかしこの日は来客の予定があるので仕事に出た。帰りに病院へ寄ったところ、また38.6℃にあがっていた。


これほどひどい風邪をひいて仕事に出続けたのは今回が初めてだ。
感想としては、出勤できなくもないというのがひとつ。
人と話すのが普段以上に億劫になって目の前の人への簡単なお願いですらもメールで送ってしまうようになるというのがひとつ。
体が不調な中働くと考えもネガティブな方向にしかいかなくて、もう死ぬしかないとしか思えなくなるというのがひとつ。
頭を使う仕事が全部先延ばしになるというのがひとつ。

可能なら早い段階で休みをとって病院へ行くのがよいだろう。でも4月にも38℃以上の熱が出て仕事を休んだばかりだし、なかなか毎回休むのは難しいね。
それにわたしは頭痛でも時々休んだり時間休をとって医務室で寝てたりする。主観的には頭痛の方が高熱より辛いため、有給をこのために温存しなくてはならないというのもある。


土日もずーっと眠り続けてようやく平熱に戻った。
月曜日の今日、先週とはまるで仕事の手応えが違う!と実感しながらの1日となった。
デスクワークも体が資本である。

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土日のごはんは全部大木くんがやってくれた。
ビビンバ丼は、カット野菜や温泉卵などが全部セットになったキットを買ってきただけなのでカンタンなのだけど、大木くんが月一で料理をするのは、いつか子どもができたときなどに身構えることなく日常的にごはんの用意ができることが目的なので、まあ趣旨に敵っていると言える。


我が家ではどちらかが風邪をひいたときは、共倒れを防ぐべく寝室を分けるのだけど、わたしが多少元気なタイミングでこちらの寝室へやってきて、わたしの横にしゃがんだり寝そべったりして少しおしゃべりをしていく大木くんがなんだかかわいらしい。

今夜くらいから隣で眠れるかな。

六本木アートナイトの備忘録。

土曜日、六本木アートナイトへ行ってきた。一言でいうとすっごいたのしくて「来年も絶対行く!」と思ったので備忘録をしたためる。

六本木アートナイトとは、東京都などが主宰している現代アートのイベント。六本木ヒルズアリーナやその周辺で、夜通し行われる。ちなみに基本的に鑑賞料はただ。

大木くんは2年くらい前に行っている。わたしは今回が初めてだ。
ウキウキして去年の夏ぶりとなるお気に入りの黄色いワンピースを着てでかけた。


六本木に着いたのは夕方5時半前。
とりあえずパフォーマンスを見るためアリーナへ向かう。
お目当てのオレカTXのプログラムは18時半からだというのにすでに長蛇の列。
ひとまず並んで、大木くんに飲み物を買ってきてもらう。
列に並ぶのは好きじゃないけど、こんなにたくさんアートのイベントに人が集まるんだ!ということに感動してなんだか嬉しかった。

時間になり、椅子席へ案内してもらう。始まる前から気になっていた巨人の人形が用意されている。妖精の格好をした女性が躍り出てきて、人形たちが命を吹き込まれるように、演奏が始まった。f:id:kinoshita-kinoshita:20190528134425j:plain
巨人の操り人形たちがチャラパルタというバスク地方の楽器を奏でる。夕方5時の音楽のような、懐かしい音色だ。そこに起き上がりこぼしの管楽器とスノードームの中からブズーキが加わる。
見ても楽しい、音も情熱的でどこか懐かしい。あっという間の40分だった。


そのまま並び直して次のパフォーマンスも見ることに。座敷席に座り開演を待つ。
今度はブラウン管テレビやレジのスキャナーを楽器にしたパフォーマンスだ。
しましま模様のドレスを着たダンサーを男二人がスキャンする様子はかなり謎で怪しく面白かったのだが、この時隣に座っていた赤ちゃんがその小さなぷにぷにの手でずっとわたしの腕をつかみ、時々こちらの顔を覗きこんで笑ったりするものだから、それに舞い上がってしまってパフォーマンスの内容が2割くらいしか入ってこなかった。なんてこったい。かわいすぎる。


…さて、目当てのパフォーマンスを見終わったので展示作品を見て回る。ヒルズの庭園や、ミッドタウンの地下、近隣の公園などをぷらぷらと。
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角文平さんの作品。
誰もが持ってる記憶の片隅を刺激するようなノスタルジックな作品だ。灯りがゆっくり点滅する様は、夜に行うアートナイトならではの演出。
この人の作品は他の芸術祭で見て気に入って、一つくらい買えないかと調べたことがある。数センチくらいの小さなものが何十万もして諦めたが。今回もやっぱり素敵。

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立体音響にあわせてシャボン玉が出てくる仕組みの作品。六本木の夜空にパステルカラーの照明に照らされたシャボン玉が飛んでいく様子はとても幻想的だった。


他にも、紹介しきれないほどいろんな作品を見て回って、イベント会場でクラフトジンを飲んだりしていてらあっという間に深夜になった。

うちに着いたのは夜中の2時半ごろ。
疲れきった帰りのバスの中、大木くんと手をつないで
「来年も絶対行こう」
と約束した。


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日曜日のお昼ごはん。
いつもはふわとろの卵をかけるようにして作るオムライス(その方が簡単でおいしいから)。でも大木くんは固めに焼いた卵の方がお好きなようなので珍しく定番の感じに。
この後ケチャップで「スキ」とか書いて遊びました。

妻の名字を選ぶ

「最近ようやく木ノ下に慣れてきた」

歯医者から帰って、大木くんが言った。

「そっか。職場では大木だもんね」

「そう。なかなか呼ばれる機会がないからさ」

 

そう、大木くんは結婚の時わたしの姓を選んでくれたから、本名は木ノ下なのだ。ただ、今も仕事では旧姓を使っている。

結婚に際し、木ノ下を選んでくれたこと、とても感謝している。

 

わたしは木ノ下という名前にアイデンティティみたいなものも感じていて、結婚で名字が変わってしまうことに対してとても抵抗があった。仮に変わっても、少なくとも仕事では旧姓を使おうと決めていた。(前の職場は旧姓使用を認めていなかったから、そういう意味でも転職したかったほど)

しかし、いざ結婚という段になって、「俺が木ノ下になってもいいよ」と事もなげに大木くんは言ったのだ。

今より珍しい名前になってみたいし(木ノ下はブログ上で便宜的に使っているだけの名前で、わたしの本名は本当はかなり珍しいのだ)、「大木」は父親の継父の名字であるため、血筋的には大木でも何でもないからと。

 

最終的には字画で大木になるのがいいか木ノ下になるのがいいか選んでもいいよね、とにかく別にどっちでもいい、というようなことを大木くんは言ったのだった。

 

こりゃ大変ありがたいと思って、こっそり字画を調べると、大木くんが木ノ下になった場合、下の名前も含めた総合的な運勢はどうも悪くなることがわかったのでわたしは言わないことにした。

まあ、本名よりも普段使用する名前の方が運勢には関わるという話もあるし、職場で旧姓を使うんなら大丈夫やろ。とか心の中で言い訳をして。

 

 

相手がわたしの名字になるのだ、ということを職場の同期の男の子(新卒、22歳)に話したところ、「かわいそうだ」と言われたりもした。

「いいよって言ってくれてても心の中では、木ノ下さんが『あなたの名字になりたい』って言ってくれるのを待ってるんじゃないかな。男ってそういうものだよ」と。

東京生まれ、平成生まれの彼からそんな風に言われるとは思っていなかった。世間はそんなにまだ古風な考えを持っているものなのだろうか。

 

そのあと大木くんにこの話をしたところ、「そういう風に思われるんだったら逆に木ノ下にしたくなくなるな。そんな風にはまったく思ってないのに」とのことだったので、その話はそこで終わりにして、わたしはそれ以上ぶり返さないようにした。大木くんの気が変わるきっかけを作らないようにと。

 

 

その後、婚姻届けを出した日に、せめてもの代償を払いたいと思ってわたしは彼に新しい印鑑をプレゼントした。2本。水牛の角とツゲ。併せて2万円弱くらいだったか。

でもその後の各種手続きという手間を払わねばならないのは大木くんなのだ。大木くんは淡々と、はた目にはまったく苦もなさそうに、免許証、パスポート、クレジットカードや銀行口座、スマートフォン、保険等の名義変更を一人で行い、職場でも滞りなく旧姓使用の手続きをしたようだった。

大木くんはこうしたこまごました手続き関係を普段からめんどくさがらずにやるタイプなので大変さはまったく伝わってこなかったが、わたしがやっていたら気絶していたと思う。

 

名義変更した免許証なんかを、大木くんは都度見せてくれた。

それはなんだか昔から木ノ下くんだったような、とてもしっくりくる字面で、わたしは、夫婦というよりか兄妹か親子か、とにかく昔からの家族だったような不思議な感じがしたのを覚えている。

 

 

でも、これでよかったんだろうかと時々思うこともある。

もし2018年時点で夫婦別姓が制度化されていたなら、わたしたち夫婦は別姓を選んだに違いない。(まあ、そうなったらそうなったで、子どもの名字をどうするんだという問題ものちのち発生するのだが)

大木くんは木ノ下になって幸せかしら。

 

ただ、わたしが大木になっていたとしたら、煩雑な手続きにパニックになっていただけでなく、その後何年も「もうわたし、木ノ下じゃないのね」と悶々とし続けただろうから、二人の悶々具合を天秤にかけたら、これでよかったのかな、と思うしかない。

それと、大木くんは時代の最先端になりたい男(妻調べ)なので、夫婦別姓が話題になっている今の時代において、まだ4%という圧倒的少数派な妻氏婚に挑戦するのはそれはそれで面白いと思っているはず、と勝手に解釈している。(とはいっても25組に1組は妻氏婚なんだよなあ。まだまだ少ないけれど、ここ十年だか二十年だかでじわじわ増えてはいるようだ)

 

ちなみに、両親の反応だが、うちの両親は「へえ」で、大木くんの両親も「あら、そうなの」くらいだったと記憶している。わりととどうでもよさそうだった。あまり「家」というものに関心がない親たちなのは助かった。わたしは三姉妹の長女で、大木くんは二人兄弟の次男だったのも、反対が出にくい要因だったかもしれない。

 

 

こうして無事木ノ下の座を守ったわたしだったが、とはいえ簡単には取り返しのつかない手続きをしてしまったという責任感はある。

「木ノ下さんと呼ばれることに慣れてきたよ」と報告してくれた大木くんだけど、その時の感情はどんなものだったのだろう。喜び?諦め?ワクワク?無感動?

わざわざ報告してくれたから、無感動というわけではないんだろう。ちょっとでもプラスの感情が混ざっていたらいいなと願っている。

大木くんが、木ノ下の名前で、幸せになれるようにする、責任が、わたしにはある。

 

 

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日曜日の晩ごはん。

親知らずを抜いたばかりの大木くんが、白いごはんそのままより何かかけた方が食べやすいというので、シチューにした。お好みにご飯にかけて食べてください。圧力なべで具は柔らかくしてあります。

それから、昨日の残りのカブの葉をごまあえにしたものと、タラモサラダ。

 

次回のためのメモ:圧力なべを使うときはもっと水を減らす。カブの葉は味気ないからそれだけではあんまりおいしくない。


わたし的には失敗ごはんなのに、美味しいと言って完食してくれる大木くんである。

戻らない旅に出たい

「鉄道も捨てがたいけど、一日移動に使うのもなあ」

大木くんは悩んでいる。

 

夏の旅行の計画である。

このあいだの十連休で四国に行ったばかりだけど、また9日間の大きな旅行の計画をわたしたちは立てている。

冬くらいから妊活をするとしたら、もう向こう十年くらい海外旅行なんていけないかもしれない、ということで、スイス・イタリアの旅を企画中。というか、すでにチューリッヒまでの航空券はとりあえず取った。

 

着いてからどうするか、なのだけど、スイスには有名な観光列車があり、そのうちの世界遺産にもなっているベルニナ鉄道に乗りたいのだが、そうするとちょっと旅程を組みづらいのだ。いや、マッターホルンの麓の町ツェルマットから直接いける路線もあるのだが、それが片道8時間もかかるらしく。

 

その鉄道は氷河急行と言って、こちらも観光列車になっていて、風光明媚な場所をランチを食べながらゆっくり移動することができる。

本を読んでいれば世界中どこでも楽しいわたしはこのプランでもいいのだけれど、そうなると他の場所での観光が慌ただしくなるし、丸一日移動でつぶれてしまうということで大木くんは非常に悩んでいるようだ。

 

 

正直、どっちでもいいと思って今回は大木くんにだいたいのプランを任せることにした。

彼と一緒に暮らし始めて一年と少し経つが、ちょっと旅行に行きすぎでわたしはもうおなかいっぱいだ。

転職を機に有給を全部消化して一人で行ったイタリア南部旅行(3週間)、夏には婚姻届けを出すのにわざわざ鎌倉まで行って一泊した。夏の終わりには東北へ花火大会を見に行き、秋にはアイスランドへ9日間新婚旅行へ行き、アクアラインラソンつくばマラソンはそれぞれ千葉・茨城に前泊。正月は大木くんの実家がある北海道を帰省ついでに旅行し、2月には五島つばきマラソンに参加するため3泊4日で長崎県五島列島へ。そしてこのあいだの十連休。

 

…こう書くと本当に多いな。ちょっとお金を使いすぎだ。鎌倉とアイスランドは親戚からもらった多額の結婚祝い金から使っているので自分たちのお財布は傷んでいないとはいえ…。

 

 

旅行は楽しい。

でも、どんな旅行でもどうせ終わればまた旅行前と地続きの日常しか待っていない。他の人も同じなのか知らないけれど、わたしはいつも、帰ってきたとたんに旅行中の感覚がきっぱりと消え去ってしまうのだ。フィルム映画の途中のコマをカットして編集するような感覚。まるで初めからそんなシーンはなかった、みたいな感覚になる。

だから、旅行を頻繁に繰り返すことにそんなに意味はない、とわたしは思っている。

ただ、大木くんは趣味の一つが旅行といってもいいくらい、わたしと知り合う以前から旅行好きだった。(そもそもわたしたちの出会いが旅行先だった。)人生にとって趣味はとても大切なものだとはわたしも思っているから、大木くんはたくさん旅行をすればいいとも思う。

 

だから今回は一緒に行く。行先も行程も大木くんが満足するように組めばいい。きっと30代で最後の大きな旅行になるのだから。

 

ただ、今後は少しペースを落とすか一人で行ってきてもらおう。大木くんはいつも県をまたいで大移動するような行程を好んで組みたがるのだが、わたしはそれに毎回ついていくのはちょっとしんどいし、この先は妊活もしたいから。

わたしは長いお休みでも、カフェで本を読んだり何か書く時間があれば充実する。

そういえばイタリアに行った時も、一番楽しかったのはアルベロベッロですごした3日間だった。町が素敵だったのもあるけれど、宿にこもってじっくりと本を読んだり何か書いたりできたのがうれしかったのだ。

 

 

今回の旅行も、旅先でこれをしなきゃとか考えずにのんびりできる時間がほしいな。鉄道の移動でも一つの街に連泊するのでもいいから。

あとで大木くんに伝えよう。

 

 

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昨日の晩ごはん。

鮭のホイル焼きとカブの煮物と茶碗蒸し。親知らずを抜いた大木くんのため、噛みやすそうな食事に。魚は本当は白身魚の煮つけにでもしようと思っていたのだけど、大木くんの実家から大量に魚が届いたのでそれを消費することにした。

どれも薄味でちょっと白ご飯が進まなかったな。一品くらいしょっぱくすればよかったかも。

 

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今日のお昼。

緩めにゆでたパスタでナポリタン。ケチャップとお砂糖。簡単にお店の味。たまに食べたくなる。この安い味。

粉チーズをたっぷりかけて食す。

抱き枕を洗濯

※本当にただ抱き枕を洗濯したという日記です。


日曜は朝早起きして、大木くんと抱き枕を洗濯した。

お風呂場に浅くお湯を張り、2匹の抱き枕を投入。
最初は恐る恐る手で洗っていたのだけど面倒になってガシガシを踏み洗いをすることにした。

わたしの洗いかたを見て
「やくざの拷問とかでこういうのありそう…」
と大木くん。
二人で爆笑しながら洗う。

2つの抱き枕のうち、ウサギ型宇宙人の方はしっかりと綿がつまっているようで洗っても形が変わらなかったのだけど、しろくまくんの方はもちもちの体がすっかりしぼんでしまった。

しろくまくんを抱き抱え、
「先生!息をしてません!」
などとふざけあったりしながら洗い終えた。

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洗濯機で脱水し、二、三日干す。
しろくまくんは少し白さを取り戻したようだ。

宇宙人はかれこれ10年くらい前に下の妹が誕生日でくれたもの、しろくまくんは2年くらい前の誕生日だかクリスマスだかに大木くんがくれたもの。
いつもソファに置いておいて、座るときに抱き抱えたりしている。わたしたちはしろくまくんをペットか子どものように可愛がってよく人形遊びもする笑。


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昨日の晩ごはん。
トマトとナスのチーズ炒めと、炭火焼きとり(大木くんの両親の旅行のお土産)、牡蠣のアヒージョ(こないだの中・四国旅行で買ったもの)、前の日の黒鯛の残りを使ったあら汁。
変な取り合わせだがどれも美味しかった。特にあら汁。こんな安い魚でも、日常のごはんであら汁が出てくるのってちょっと嬉しい。


段々暖かくなってきて、休日は窓を開けて過ごせるのが気持ちいい。
白いレースカーテンが揺れるとどうしてか「二人暮らしだな」と実感する。

子育てはコスパです

大木くんと吉祥寺にメガネの受け取りに行ったついでにランチを食べた。

 

メニューの一番上にあるのがお店の一押しなのだろうけど、1,800円かあ。でもせっかくだから食べてみたいしなあと注文。(大木くんは1,300円のオムライス)


うーん、おいしい。しかし贅沢しすぎだ…と反省。その後は買い物も控えることにした。(ダンディゾンという隠れ家パン屋さんで明日の朝ごはんは買ったけど)

 

でも、わたしたちは今、今後子どもを持ち、そして4人くらいで住める家を購入するつもりでいるからお金がない気がするけれど、もし子どもができなければ一人二千万円とも言われる子育てコストはかからないし、住居も2LDKくらいのものですむわけで、そうなれば毎週これくらいのランチを食べても平気だし、毎年海外旅行へも行ける。(給料が減らされたり年金が崩壊したりしなければ)

それはそれで楽しいだろうなあと夢想した。

 

そんな折、タイムリーにもはてなブログでこんな記事を見た。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

最近の人は合理的な思考をするので、子育てをも「コスパ」や「リスク」で考えてしまっているようだ、でも子育てには合理的思考では測れない価値もあるからコスパだけで考えちゃダメなんじゃないか、という内容だ(と思う、たぶん)。

 

まあそうだろうねえと思いながら読んだのだけれど、驚いたのはブックマークのコメント欄。ネットの世界ではリアルの世間とはちょっと違う偏りがあるし、そもそもこのブログを読んでいる人がリアル世間のうちのある一定層でしかない、ということを勘案してもびっくりするくらい批判的なコメントばかりだった。

 

 

そうかあ、世の中の人はこんなにも「子供を持つのは贅沢」だとか「ただの娯楽」だと感じていて、コスパ悪いのわかってて産むのだからあとは「本人の自己責任でしかない」と思っているのか。

これから子供を持とうかと思っているわたしにはちょっとショックなことだった。

ベビーカーを押して電車に乗ったら舌打ちされる未来が待っているのだなあと。

 

 

わたしも大木くんも、結婚してからは自然に子供を持つことを考えてしまっている。「二人ほしい」と大木くんも言っている。これに対しては何の疑問も持っていないかもしれない。子どもがいたら、乳幼児期はめまぐるしい大変さだろうしお金の心配もしなきゃならないけど、でもまあ人生をトータルで見たら楽しいことが増えるだろうなあと思っている。

二人とも多少子供に関係する仕事をしていて、子育てが身近なところにあるせいかもしれない。赤ちゃん連れの人たちを見かけると、やっぱりかわいいなあと思うし、自分たちの未来をそこに重ねてみてしまう。

 

もしかしたら、あの記事へ批判的なコメントを書く人の中には、子育てが身近なところにないのかもしれない。地元を離れて暮らす都会の人が、家と仕事の往復と時々大人同士の遊びの予定を入れるだけみたいな生活を送っているとしたら、子どもや子育て家庭と全く触れあわずに生活できてしまうからだ。そうなると子育ての何が楽しいか想像もつかないだろうし、子育ては縁遠いもの、物好きな人だけが娯楽でやるものに思えて「コスパも悪いし自分はやらない」となるのだろう。

なんなら、職場でまさに子育て中の人がいて、肩身狭く働いていたりして「あんな風にはなりたくない」と思っているのかもしれない。

 

わたしは、そんな人たちに対して言いたいことは特にない。

その人たち個人個人に対しては特にない。

人はそれぞれ好きなように生きたらいい。むしろ、わたしだって「女の幸せは結婚して子どもを産むことだよ」なんて言われたら全力で反発する。人の人生に口出しするなと。

 

でも、一日本人として、少子化がこのまま進んで労働者一人あたり高齢者一人を支えなきゃならない時が来るのが単純に怖い。どこかで少子化に歯止めがかかり、超高齢化の流れがせめて少しでも緩やかになってくれないと困る。マジで怖い。将来が不安。

だから、「子供を持つのは贅沢」「産んだ始末は自己責任」という世間の怖い空気がもう少し柔らかくならないとまずいんじゃないのかとは思っている。

 

でもだからってそう考えている人たち一人一人に啓蒙していくのは筋違いで、(わたしだって少子化対策に貢献するために子供が欲しいとかそういうふうにはまったく思わない。)やっぱり少子化に歯止めをかけたいと一番思っているのは国であるはずなのだから、国が子育てにやさしい政策をどんどん打ち出していかなくちゃならないだろうと思う。

子どもが生まれたら1000万円あげるでもいいし男性の産休を義務化するでもいいし。国が子育てのコスパをよくして、リスクを取り除いていくのだ。

子どもを設けることの前段階、結婚に関しても。

未婚率の高さは、若者の収入の不安定化が大きな原因だと聞く。だから、最低賃金を上げるとかしてワーキングプアに陥る人を減らしていけばいいんじゃないのかと思う。

 

そう、結婚も子育ても、結局はコスパだ。

うん。わたしもそういう結論になりました。

わたしも結局、「今すぐにでも子供ほしいけど、転職してまだ1年だから今妊娠したら会社に居場所がなくなるかも…」とリスクのことを考えているし、大木くんと二人合わせれば金銭的にも何とかなる、という計算があるから子どもを考えられる。また、大木くんが家庭や自分のためなら職場で少々白い目で見られようと「残業しないで帰ります」と言えてしまう性格である、というのも大きい。ワンオペ育児確定ならわたしもきっと手を出せない。

 

 

でもだからこそ、子育てのリスクがどんどん下がった世界が実現すればいいなと思っている。

我が家だけが享受できる娯楽じゃなくて、誰しもがもっと気軽に考えられるものになってほしい。

そうなってはじめて、子育てが本当にコスパが悪いかどうか、フラットに考えることができるだろう。議論できるようになるのは、そこからじゃないかな。そういう未来がくればいいな。*1

 

 

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昨日の晩ごはん。

黒鯛が安かったのでオリーブオイルで焼いてみた。その他、小松菜のオイスター炒め、れんこんのきんぴら。れんこんのしょうゆスープ。

 

次回のためのメモ:黒鯛は煮つけの方がおいしい。

 

 

*1:だからといって、子供が欲しいけれどできなかった、という人や、コスパ関係なく子どもはいらないと判断して作らなかった、という人たちが肩身が狭くなる世界になってはいけない。子どもを産み育てた人の方が偉いとかそういうことには絶対にならない。