君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

二十歳の時に持っていなかった幸福を、今すべて持っている

二十歳の誕生日がどんな日だったか、今も覚えている。

 

大学一年生の夏休み中で、その時期は特にサークル活動もなかった。

サークル仲間に事前に誕生日を吹聴したりもしていなかったが、かと言って誰からもおめでとうメールの一つも届かないとは、自分の存在は随分軽いのだと思い知った。

 

初めての一人暮らしで、こんな事態になるとは想定していなかった。

関西の大学に行った友達からは、「仲良くしてるグループで、誰かが誕生日を迎えるたびにパーティーをやる」だとかキラキラした学生生活を聞いていて、わたしもきっとそれが標準的な学生生活なのだと思っていたから、標準を大きく下回るこの事態は惨めでとても受け入れられなかった。

 

なんとか近所に住んでいる同学部の友人をご飯に誘い、その辺のカフェで晩ごはんを食べたが、それほど頻繁に仲良くしている相手でもなかったため、会話はまったく盛り上がらなかった。「今日わたし誕生日なんだ」とは、最後まで言い出せなかった。

 

その年、ラジオで誰かが、「誕生日をたくさんの人に祝っていただきました。誕生日はその一年どれだけ人に愛されたかがわかる日だと思う」などと語っていた。そうか、わたしは誰にも愛されていないのだ、と思った。そのことが、悲しいよりも、恥ずかしくてたまらなかった。

 

学生時代はその恥ずかしさを埋めるために迷走し、ずっと迷子のままだったような気がする。

 

 

そういえば成人式もわたしは行かなかった。

その年の冬休みは海外にボランティアに行っていて、そこから東京に戻ってきたその週末に今度は広島まで行かねばならないというのが億劫だったというのもあるが、中学時代の旧友に会うというのが多分一番億劫だった。

 

成人式は基本的に地域ごとにやるから、中学校単位で集まると聞いていた。しかしその中学校には途中で引っ越してきたから1年ちょっとしか通っていない。かなり遠い高校に進学したため、同じ高校に進学した子も一人もいなかった。

 

高いお金を払って着物をレンタルしてわざわざ着飾って、たいして仲良くもないあの子たちに会う。で?それでどうする?それでどうなる?

と思ったら行く気にはならなかった。その時はそれでいいんだと思った。行ってもしょうがないし。

 

 

式といえば、大学の卒業式も行かなかった。

わたしは留年していたから、わざわざ袴を着て知り合いが誰もいない卒業式に行っても何にもならない。

わたしは、誰にも知られずひっそりと卒業した。

卒業したところで、就きたい仕事に就けるわけでもない。その時はいろんなものがどうでもよくなっていた。

 

 

 

成人式やら卒業式やら、そういうものにわざわざ着飾って集まるのは、何の生産性もない意味のないことだと思っていた。自分では特に気にしていないつもりだった。

けれど、結婚式をするかしないかで話し合ったときに、それを肯定しきれなかった。

 

結婚したのは29歳の時だ。

大木くんは合理的なタイプで、「キノちゃんがやりたいならやるけど、やらなくてもべつにいい」と言った。彼に合わせて合理的に話を進めていくと、結婚式をやる必要性はないという結論に達しそうだった。当然だ。あんなもの金がかかるだけで後に何も残らない。もともと結婚願望があったわけでもなし、式もやりたいわけじゃない。それでいいんだ、と思った。でも何か引っかかった。

 

結局、やりたい、とわたしは言った。全然合理的じゃないと思いつつ。

 

でも結婚式はとても楽しかったのだ。

神社での家族挙式としたから、集まったのはほんの数名。

だが、白無垢で境内を歩くと、居合わせた参拝客がたくさん祝福してくれた。小さな子どもたちが大きな声で「おめでとうございまーす」ってなんどもなんども叫ぶように、手をふってくれた。

その日はずっと、笑顔が止まらなかった。

式の後の食事会は、ミシュラン一つ星のカジュアルなフレンチレストランを貸し切って。

次々と驚きで満ちたおいしい料理が運ばれてきて、話が尽きることがなかった。気さくなウェイターさんと打ち解け、最後にはシェフが自らフロアに来てくれて一緒に写真を撮った。

あのあと年末に大木くんの実家へ帰ると、お義父さんが幸せそうに「あの日は本当に楽しかったなあ」と言っていて、それを聞いてわたしも幸せだった。

誰かと一緒に何かをお祝いすることが、こんなに心に残るものだとは知らなかった。

 

誕生日は、毎年大木くんがお祝いしてくれる。「一年に一回くらいは何かにかこつけて高い料理を食べたいからさ」などと嘯いて、いつも素敵なお店を予約してくれるのだ。

 

 

 

こう振り返ると、二十歳のころ持っていなくて惨めだったもの、いらないと投げやりに言ったけれど本当は心のどこかに引っかかっていたものを、いま全部持っているのだなと思う。

仕事も、就きたくもない仕事に就いた後、結局転職していろんなものが少しずつマシになったしな。

 

 

人生全体の幸・不幸の割合がもし決まっているのだとしたら、二十歳の頃は不幸の方に偏っていたのだろう。その分今は幸福の方にかなり偏っている。そうやって辻褄が合うようにできているのかもしれない。

 

なんて。そんなわけないか。

 

 

 

今週のお題「二十歳」