君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

早退と罪悪感

ここ数日、頭痛が来ては薬で押さえ込む日が続いていた。
その日の朝もぼんやり痛かったが、いつもの緊張型頭痛だろうと思って薬は飲まなかった。
9時頃から段々痛みが強くなってきた。打ち合わせ中もこめかみを押さえないでいられず、終わってすぐ薬を飲んだ。
そのまま仕事を続けたが、難しい文章が全く頭に入らない。これ以上は無理だし無駄だと判断し、医務室で休むことにした。

けれど、うちの会社の医務室は一時間で追い出される。
起こされると頭痛は悪化していて、体を起こすとガンガンとくらくらするような痛みで目も開けられない。
会社は早退することにした。幸い、このあとは会議も来客もない。


時折吐き気が込み上げてきて、涙目で飲み込む。改札前はこの時間でも人が多く騒々しい。それでもテレビ画面の向こうの世界を眺めているかのように、世界が遠かった。音も光も、どこか次元の違うところにあってわたしのところにはなかった。

わたしは弱い人間だ、と罪悪感でいっぱいになる。
みんな体調が悪いときでも働いているのに、どうしてわたしは休んでしまうのだろう。

こうやって頭痛で休んだり早退したり遅刻したりするのは、かれこれ小学生の頃からだから、もう20年以上だ。
わたしは本当に休まなくてはいけないほどしんどいのだろうか、さぼっているのではないか。だってほら、さっきだって職場の人に「体調が悪いので帰ります」と伝えたとき、笑ってたじゃないか、自分。本当に辛いなら笑ったりできないんじゃないのか。
事実、わたしの中で頭痛は安心感とセットになっている。さっきまでいた世界を全部放り出して布団の中に引きこもれるのだから。神様に人生を謝りたくなるような激しい痛みがあるときでさえも、ひとたび痛みが引き出すと、次に現れるのは幸福と安堵なのだ。

きっとみんなも言ってるに違いない。あの人すぐさぼる。


世界が敵に見える。
ちがう、みんなから見てわたしが敵なのだ。