君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

わたしのからだ

終わらない仕事を片付けると言って土曜日なのに大木くんは仕事へ行くという。

着替えをする大木くんのパンツ一丁の姿をみて、全然鍛えてないくせに程よく引き締まっていて羨ましいなあと思う。男の人って、筋肉が付きやすくて羨ましい。

 

さて、大木くんが家を出て行き、わたしはゆっくりと朝の支度をする。

 

着替えをと思って寝室の姿見の前で寝間着を脱いで、ふと、まじまじと自分のからだをチェックした。

あ、でもわたしもきれいだ。と思う。

 

そりゃ、十代のころのはじけるようなみずみずしさ(そもそもそんなものがあったか思い出せないけど)とかはないし、骨太だし、欲を言えば腹回りと脚がもう少し引き締まっていればなあとか、(美人とは真逆の顔つきをしているので)首から上は勘定に入れてはいけないよなとかはあるけれど、30歳のわたしとして、十分、きれいだと思った。

やわらかい曲線とくびれと、なめらかな肌。

 

もちろん、それは窓からレースカーテン越しに差し込む朝の光がかけたマジックが多分に効いているだけであって、実際の自分の腹回りに目を落とすとそうでもなかったりするんだけど。

それに、同世代の女性と比べてどうなのかもわからない。たぶんきっとみんな似たり寄ったりだろう。

みんなそれなりでしかなく、みんなそれぞれに美しいはずだ。

 

 

残しておければいいのに。と少し思う。

いつかホキ美術館で大木くんと一緒に観た島村信之の裸婦画のように。一番美しい角度で、光で、色で、切り取って、その幻想的な美を絵や写真に閉じ込めておければいいのに。

 

けれど実際にはわたしはモデルになれるほど美しくはないし、他人に裸体をさらすのは嫌だし、大木くんに頼めば写真くらいはとってくれるかもしれないけれど、性的な視線を全く排除したものを創るのはきっと難しいだろうし、生活感丸出しの粗雑なヌード写真なんて情緒の欠片もないものが残ったりしたら、むしろ色んなものが台無しだ。

自分をきれいと思ってあげられる一番の人は、たぶん大木くんですらなく、わたし自身なのだろう。

 

なのでしかたなく、自分で自分のからだを目に焼き付ける。

これがいまのわたしである、と。

 

島村信之画集

島村信之画集

 

 

 

とはいえ脚はもっと引き締めたいので、最近スクワットを始めた。

ランニングの際、普段は日焼け防止や筋肉のサポートもかねて黒いタイツを履いているけれど、一度くらい生足で走ってみたい。

ナイトランイベントなどだとたまにいる、素足の美脚のお姉さんみたいに、今年こそ。

 

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昨日の晩ごはん。

朝大木くんに、「今日のご飯のリクエストある? なければチヂミにするぞ」と脅したのだけど、「特にない」というのでチヂミとプルコギを焼いた。

我ながら美脚には程遠い献立…。