君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

新たな親?

父への長電話を、最近していない。

大木くんに何でも話せてしまうからだ。

 

昔はよく電話をしていた。留年して将来が見えなくなっていた時や就職して仕事が楽しいと思えなかった時、そういう話は母にはできないのでわたしはよく父に相談した。今の職業も、父のアドバイスによるところが大きい。長々と、ひどいときは1時間近い長電話をしていた。

妹たちは父とそんなに長く話すことはないそうである。二つ下の妹は普通の女の子みたいに育ったので母の方が話が合うようだ。四つ下の妹は、そもそも家族に相談事をしない。

 

 

でも最近はわたしも電話をかけなくなった。

 

このあいだ、リビングへ向かう廊下を歩きながら、大木くんに話したいことを頭の中でリフレインさせて無邪気な気持ちになっている自分に気付いた。

何だろうこの感覚、と少し考えて、それが幼いころ、親に何かを話すときの気持ちと全く一緒だということに気付く。今日学校でこんなことがあったの、公園でこんなもの見つけたの、って話していた時と同じ。

ただ話したいから話す。絶対に受け止めてもらえるという無意識の信頼を前提に。

なんか、あたらしいお父さんができたみたい。。。

大木くんはわたしの親になったんだろうか。

 

最近はいちゃいちゃ、というわけでもなく大木くんの胸や脚にまとわりついて安心している自分がいる。小さい子供が親に抱っこをねだるように。

なんだか大木くんに育てなおされているような。

というか、金曜日の夜にわたしが疲れて風呂も入らずソファで寝ていると、無言で見降ろしすごい怒っている大木くんは、うちの母以上に母親……。(そんなところで寝るとまた体調崩すでしょ、と怒っている)

 

わたしたちは対等なパートナーではないのか。こんなんでいいのだろうかとも思うが、大木くんも「ママおなかすいたー」とか甘えてくる時もあるのでたぶんある程度お互い様。…と思う。

 

 

大木くんのおかげで親がいらなくなった、わけではないのだが、心理学でいうところの「安全基地」が、実家から大木くんに移ったのだなということを、最近はっきりと感じる。ちょっと薄情かもしれないと思うほどに。

でも、実家よりも強固なのだ。

 

わたしは里帰り出産はしないだろうし、大木くんを置いて実家に帰ることも今後あまりしないだろう。十代の頃は、いつか家族で海外旅行に行けたらと思っていた(お金がなくてできなかったから)。そのときは、姉妹みんなが結婚していたとしても、夫を置いて5人で旅行に行けばいいのだと思っていたけれど、今はそんな気が起こらない。実家よりも大木くんの方が心地いい居場所だから。

 

 

今週のお題「おとうさん」

(お父さんごめんね)

 

 

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土曜日の晩ごはん。

カレイのから揚げ、ジンギスカンのたれの肉じゃが、キュウリとわかめとカニカマの酢の物、トマトと玉ねぎの味噌汁。

カレイとジンギスカンのたれは大木くんの実家から送られてきたもの。ジンたれの肉じゃが、甘くなくいい感じのあっさり感で大変おいしい。調味料がこれひとつで済むので楽だし、我が家の新定番になりそう。

 


土曜日は掃除の日にしている。

大木くんはさっきまでのんびりテレビを見ていてもさっと切り替えて掃除機を取り出すことができる男だ。わたしはそれを見てしかたなく水回りの掃除へ向かう。ソファからずり落ち、這い上がって、貞子のモノマネをしながら大木くんに近づくとダイソンで吸われそうになった。

そんな休日である。