君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

アイスランドの空

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アイスランドは天気の変わりやすい国だ。空は山の天気みたいにコロコロ表情を変え、数日先の天気予報はあまり役に立たなかった。

わたしたちが新婚旅行で訪れたときも曇り時々小雨という1日から始まり、空は街に虹を架けて出迎えてくれた。
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すっきり晴れる夜がなくてついにオーロラには出会えなかったものの、代わりに虹にはたくさん出会うことができた。
日本の10年分くらい見たんじゃないかと思う。

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これは取って置きの1枚。氷河とアザラシと虹。

苔の大地を走っていたときなど、太陽にずっとハロがかかっていた。
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毎時間のように天気予報をチェックし、毎日空を見上げていた。
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大木くんとは、また40年後に訪れることを約束している。



今週のお題「空の写真」

クリスチャン・ボルタンスキーと塩田千春

先週の土曜日は夕方から六本木へ出かけ、美術館をはしごしてきた。とても楽しかったので記録を残しておく。f:id:kinoshita-kinoshita:20190719231951j:plain

 

 

 

『クリスチャン・ボルタンスキーLifetime』@国立新美術館

フランスの現代アートの作家、クリスチャン・ボルタンスキーの回顧展が現在行われている。

これは結構前からチェックしていて、大木くんと「行こう」と約束していた。

 http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/boltanski2019/

 

クリスチャン・ボルタンスキーの作品をわたしが初めて見たのは、3年まえの十月、香川の豊島で、瀬戸内国際芸術祭の展示作品としてだった。

榊が自生する神秘的な森の中にたくさんの風鈴が設置されていて、木漏れ日の中で儚げな音がいくつも重なっていた。あの時見た作品の中で最も印象的な忘れられない作品である。

 

そして、わたしはその芸術祭の中で大木くんと知り合った。二人とも芸術祭目当てで香川に来ていて、泊まっていたゲストハウスが同じだったのだ。

その時ともに讃岐うどんを食べ連絡先をゲットしたわたしは、当時住んでいた千葉に帰ってから東京の大木くんに連絡を取り、ランチの約束を取り付けた。その時は昼食を共にする以上のプランはわたしは用意していなかったのだけれど、ごはんを食べているときに大木くんが、「今ちょうど恵比寿でクリスチャン・ボルタンスキーの個展やってるから見に行きませんか」と誘ってくれたのだ。

かくして我々はなんかちゃんとしたデートみたいに美術館へ出かけ、現代アートを一緒に楽しんだ。あれが始まりだったのだ。

と思うと、必然、クリスチャン・ボルタンスキーはわたしの中でいろんな意味で特別な作家となった。だから今回、すごく楽しみにしていた。

 

 

今回はクリスチャン・ボルタンスキーの初期のころからの作品をずらりと眺めることができる。

中盤は、祭壇のような、死を連想させる作品がたくさん並ぶ。一時期は取りつかれたようにこの連作を作っていたようだ。

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来世の入り口。

死んだら大木くんとここで待ち合わせしよう。

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カナダの雪の中に設置された風鈴の作品。観客は映像を見て、現地で鳴り続けているか、もしくは朽ち果てている風鈴に思いをはせる。

大変満足して美術館を出た。

でもあの島で見た作品がやはり忘れられない。やはりアートも「生」が一番だと思う。

 

ラ オリーバ(スペイン料理

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美術館の近くで腹ごしらえ。

カウンターにどんと置かれた生ハム(塊)を店員さんがスライスしてくれるよ。

https://tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13137533/

 

『塩田千春展:魂がふるえる』@森美術館

これはせっかく六本木に行くので、と調べてたまたま見つけた個展だったのだけど、結構有名な方だったようだ。夜9時前についたのに結構にぎわっていた。外国人のお客さんもとても多い。

https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/shiotachiharu/

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のっけから圧倒される。

素材は毛糸のようだが、このように細かく編んであって、まるでヒトの体内にいるかのような感覚になる。床に設置してあるのは小舟の形をした金属製のオブジェ。

小舟、という不安定感と母の胎内のような安心感やエネルギーを同時に感じる。

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こちらは火事の後のようなモノクロの作品。ピアノも、周辺に並べられた椅子も焦げている。強烈に死を連想させる。

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天井から吊り下げられたたくさんの旅行鞄。

いくつかの鞄は、モーターを入れてあるらしく、ところどころでコトコトと鞄が揺れている。鞄たちの下に入ってみると、それらの音は足音のように響く。

 

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「天国の入り口にぞろぞろ向かってるみたいだね」とわたしが感想を述べると、

「天国の入り口ってこんなに混んでるの? パスポートにスタンプ押されたりするのかな」と大木くんも返してくれた。

「そう。ビザもチェックされるよ。ビザがなかったら入国できないからね。『ビザがない!違うんです!取得したはずなんです!』とか言って」

「『あなたは地獄行きです』」

茶番を始めるとちゃんと乗ってくれた。

 

鞄の群れは、当然ながら会場の隅で途絶える。彼らはどこに行ってしまうのか。

 

 

 

楽しかったので出口の前から逆走し、もう一度全部見た。

帰りの電車の中でも、わたしはしきりに「楽しかったね」を連発していた。

 

 

大木くんと美術館へ行くのが好きだ。

新しく買ったばかりのワンピース、いつもより濃いめの口紅。そうやっておしゃれしてデートできることもひっくるめて、六本木の美術館は楽しい。

マンションか、戸建てか

わたしたち夫婦は、今年の冬から妊活をすることに決めた。

家族と言えば家。

子どもができたら家を買おうね、と言い合って、駅に置いてあるSUUMOの無料雑誌や中古住宅の折込チラシを眺めては、こんなマンションがいい、住むならこの町がいい、などと夢を語り合って、はや一年。唐突に分譲マンションのモデルルームを見に行くことを決めた。

 

 

大規模新築マンション

というわけでこのあいだの日曜日、朝から近所のマンションのギャラリーへ赴いた。

モデルルームデビューである。

周りの人はみんなガチでわたしたちだけゆるかったら浮いちゃうね、と心配しながらもいそいそと向かう。

 

てっきりすぐ物件を見るのだと思っていたが、小さいブースに通され、そこでくりぃむしちゅー上田みたいな男性の営業マンの方から1時間以上、周辺環境やそのマンションの魅力を説明され、さすがにそろそろ飽きたな…と思う頃にようやく車に乗り込み、そのマンションへと向かうことに。

 

数百戸の大規模マンション。

タワーマンションではなく、低層マンションが広い敷地に数棟並んでいる。早くに完成した棟はもう1年以上前に分譲が始まっているので、すでに多くの人々が暮らし始めている。

中に入ってみて、わたしたちは圧倒された。

無機質のグレーの、全部同じ形をしたベランダ。あれがすべて人の家なのだと思うと、なんだかそこは異空間というか異世界だった。

ミストサウナなど最新設備の整った部屋。敷地内に公園、カフェスペース、ライブラリ。

帰りに駐輪場の横を通ったら、おびただしい数のチャイルドシート付きの自転車。小さい子供のいる家庭が多いことがわかる。

 

ギャラリーの方へ戻り、再びブースに通され支払いの見積もりを作ってもらった。

住宅ローン控除なども合わせると、払えない額でもない、のか? この先も給料が上がるならね。

 

 

ギャラリーを出た瞬間、大木くんが「あんまり住むイメージ持てない」と言った。

さすが大木くん。わたしも同じこと思ってた。

「狭い」「リビング以外の部屋が暗い」「駅徒歩圏内とか言ってたけど、部屋出てからマンションの敷地出るまでにすでに数分かかるから実際駅はめっちゃ遠い」「数百世帯がいっぺんに高齢化するのは怖い」「設備は確かに新しくてきれいだけど、ぶっちゃけただの団地だよね。将来的に今の多摩ニュータウンみたいになるよね」「敷地内にいろいろそろってるっていうのは便利かもしれないけど、閉じ込められてるみたいな閉塞感を感じるよね」

 

二人の意見はだいたい一致した。

「大規模マンションには住みたくないんだなっていうことがわかったのは収穫だったね」

 

子どものころからマンション暮らしの人ならあまり違和感を感じないのかもしれないけれど、我々は二人とも田舎出身だ。ものすごい人口密度の場所で一生暮らす、と思うとちょっと恐怖も感じてしまう。隣の人と壁一枚隔てて、似たような間取り、似たような年収、きっと同世代で、同じような暮らしをするのだ。その隣の人も、その隣の人も、…と考えると、何が起こっているのかよくわからなかった。

今がいいところに住みすぎているというのもある。

駅近で、駅周辺はそれなりに賑わいがあって何でもそろうし、徒歩2分圏内にスーパー、コンビニ、病院などがあって便利で何不自由なく暮らせる。

角部屋だし、隣のマンションがうちより低いおかげで日当たり抜群。ベランダからは富士山も見える。これでしかもこの辺の相場より2,3万円は家賃が安いのだ。なんでか知らないけど。

 

ならここでよくない?

新しい部屋に住みたいという願望は二人ともないわけで。

 

 

 

中古戸建住宅

午後、気を取り直して別の不動産屋さんに電話をした。

チラシに出ている中古住宅、内見できますか?

今日でも大丈夫、というので早速歩いて伺った。

広い応接室に通される。

「やばい。さっきよりもさらにガチな部屋に通されちゃった」

 

少しして、タカアンドトシのタカをもう少し気弱にしたような男性が出てきた。

「実はこの物件、前回より300万円価格を落として出したところ、昨日から問い合わせが多くて、実は昨日もすでに契約された方がいらっしゃるんです。今はその方の審査が通るかを待っているところなんですが」

という。なんでも、有名ハウスメーカーの人気のブランドの家で、この価格で買えることは滅多にないのだという。以前から家を買うつもりでいろいろ勉強している方にはすぐ「買いだ」とわかるようないい物件なんですが、そうですか、今日初めて見るんですか、じゃあ今日の今日でいきなり契約はできないですよね、なんて言いながらもざっくりした見積もりを作成してくれ、さっそく内見に連れて行ってくれた。

 

土地自体は奥まったところにあり、駐車場から玄関まで細長いアプローチがのびる。植栽がきれいに手入れされていて、メルヘンチックでかわいらしい。庭ともいえない小さいスペースにベンチが置いてあって、ここに住んでいた住人がそれなりにここでの暮らしを楽しんでいたことがうかがえる。前の住人は、親と同居することになりこの家を手離すことになったという。

 

築約15年ということで外壁などはぼろくはなっているが(買ってすぐやり替える必要があるそうだ。それには100万くらいはかかるとのこと。前職でそういう案件も見てきたので、まあそんなもんかもね、とは思う)、中はおおむねきれいだった。

まずは2階のリビングに通される。畳敷きのスペースもあり、とても落ち着く空間になっている。リビングの窓は隣家に圧迫されるということもなく、天井も高く、陽が入り明るくて、穏やかに過ごせそうだ。

しかし、1階に降りてみてちょっと違うぞと思う。家と家の隙間が狭い。端的に言うと、1回は日中でも結構暗い。なんというか、寝るだけの場所という感じ。

 

周辺環境もいいし、申し分ない場所ではある。

今朝見た新築マンションに比べて1千万以上も安い。

でも、生きているうちに1回は建て替えが必要かしら、と考えると決して安くはない。中古で買うならもう500万円は押さえたい所。

 

 

そして結論は

その日の夜。

「なんか、いろいろ見れて今日は楽しかったけど、逃げ場がなくなる感じがしてちょっとしんどくなっちゃった」

正直に大木くんに言った。

一生ここに住まなくちゃならないのか、ローン払いきるまで絶対に仕事も辞められないのか、…などと考えるとしんどいことばっかり。

 

「まあね、でもそれなら、建て替え前提で中古の家を買うっていう考えは悪くないと思うよ。ローンは早く払いきれるだろうし、もし建て替え費用がたまらなくても、大事にメンテナンスしてれば、ボロボロになってもなんとか生きてるうちくらいは住めるだろうから」

「そうか。それなら家を建て替える楽しみも残るし、お金を払いきれないかも、っていう精神的負担も軽減されるね。でももうちょっと安いところにするべきだよね」

「そうだねえ」

「やっぱり西武線沿線か…」

中央線の便利さ、ブランド力は捨てるべきなのかもしれない。ぶっちゃけ西武線沿線に引っ越しても通勤時間は変わらないし。

「あっちのほうならもっと安いのがいくらでもあるよ。それこそ新築でも今日の家より安く買えるよ」

たしかに、検索すると、出るわ出るわ。片働きでも買えそうでかつ日当たりもよさそうな家が。

 

「でもあっちの方の町よく知らないしな…」

歩いて気軽に行ける場所におしゃれで落ち着くカフェがなさそう。夜大木くんとふらっと飲みに行ける店がなさそう。ショッピングのたびに電車乗り継いで出掛けなきゃならなさそう…。

のんびり暮らせるかもしれないが、ちょっと、しりごみしてしまう。

でもこの町ももともと全然知らなかったけれど住んでみて好きになったのだ。ならとりあえず住んでみればよいのでは?

 

「買うのはいったんやめて、とりあえず西武線沿線の賃貸物件に住み替えてみるっていうのはどう? あっちなら今より家賃抑えられるから貯金も殖やせるし、例えば子どもが小学校に上がるタイミングとかでそれこそ中古の家を買ってもいいし。そのタイミングから買えば中古でももう建て替えずに一生住み続けられるだろうし」

「なるほどね」

それはいいかも、と大木くんも納得して、二人して賃貸物件を検索し始める。

 

いいねいいね、駅徒歩10分以内、3LDK8万円台。

住める。今より安い。余裕だ。

 

で、はたと気づく。

これ、家買う必要なくない?

 

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その日の晩ごはん。

サバのピリ辛香味ソース、なす田楽、ピーマンとシラスのあえ物、ジャガイモの味噌汁。

サバがうまい。またやろう。なすは表面にごま油を塗ってから味噌を塗りオーブンで20分焼いたのだけど、とてもジューシーに出来上がった。またやろ。

 

 

 夢

この日は賃貸物件を内見しまくる夢を見たよ。そりゃそうだな。

 

子どもができたら即買えるように勉強を始めようと思って今回モデルルームデビューをしたが、当分買わないかもしれない。

購入しても賃貸でも、人生全体で住宅にかかる費用はほとんど変わらないなんて話もある。不安の種類が違うだけだ。

今いきなり大きな借金を背負うのと、思いのほか長生きしてしまって老後に家賃が払えなくなる可能性を持ち続けるのと。

 

われわれはもう少し決断を先延ばしにしようと思う。

 

 

とか言いつつ、人生をあれこれ考えるのは楽しいのでたぶん次は住宅展示場に行くけど。

ベランダできみと食事を

土曜日。

ネット注文していた折りたたみ椅子とテーブルが届いた。

わたしが頭痛で寝ている間に、大木くんが設置。

頭痛も治まったので食事の準備を。

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和えるだけのパスタソースの食事でも、外で食べればなんだか特別な気分になる。

普段の食事はいつも横に並んで座ってテレビを見ながらあれやこれや話しているのだけれど、こうやって向かい合わせになって外を眺めながらゆっくりすごすのもいい。

何を話したか全く覚えていないくらいたわいない話で、食後のコーヒーまで淹れてもらってたっぷり1時間以上ベランダで過ごしたと思う。

 

空は曇っていたけれど十分明るく、日の光を浴びているうちにすっかり頭痛も消えていた。

素敵な三連休の幕開けだ。

 

こうやってちょっとずつ生活をよくしていく工夫や行動を、この先も二人で楽しんでいけたらなと思う。

透きとおった孤独

一番好きな歌は?

と聞かれてもたくさんあって決めきれないが、「一番よく聞いた歌は?」と問われれば答えはすぐ出る。

 

Charaの「ミルク」だ。

 

数年前にiTunesで確認したときにすでに再生回数が千回を超えていたから、youtubeで聴いた回数も含めると、もう二千回くらい聴いているのかもしれない。

気だるげでアンニュイで少し寂しくて、でもどこかやさしいその曲は、何時間でもずっと聴いていられた。そしてずっと聴いていても、孤独な気分がより落ち込むこともなければ、鼓舞されることもなく、そのままの気分を受け入れてくれるような曲なのだ。

 

一番聴いていたのはたぶん留年していたころだと思う。

というかあの頃が一番音楽を聴いていた。

睡眠時間がめちゃくちゃで、布団に横になったまま何時間もラジオを聴き続けたり、深夜というかもはや早朝とも呼べる時間にイヤホンをつけて東京の街を散歩していたりした。住んでいた場所は山手線の内側で、徒歩圏内に駅が3つくらいあって大変便利ではあったけれど、どこへ行っても人が多く、雑音が多過ぎてわたしは音楽なしでは出掛けられなかった。

目が悪いのに裸眼で外に出て、花火みたいに滲むヘッドライトを眺めながら夏の冷たい夜風に当たったのを覚えている。

実家から遠く離れた土地で、友人はもうみんな就職してしまって、アルバイトも長続きしなくて、頼れる人は誰もいなかった。

寂しかった。でも寂しければ寂しいだけ、いろんなものが突き刺さるほどとても奇麗に見えた。

 

 

「ミルク」は、そんなどうしようもない生活を、否定も肯定もしないでただ受け止めてくれるように感じたのかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=6XPT3sqjB8E

 

 

歌詞の「鏡のない世界で」というのは、客観的に自分を見られないこと、自分自身の中に埋没してしまっている様子を表しているのかなと漠然と解釈していたけれど、youtubeのコメントを見ると、いろんな解釈ができるようだ。抽象的な歌詞というか、主語や目的語が抜けていて、聴き手次第でどんな風にも受け取れるようになっている。

 

 

今あらためて聴いてみる。ギターの音が優しくてとてもいい曲だなとは思うけれど、当時ほどのめりこんだりはしない。

今は一日の約半分を過ごす会社があって、うちに帰れば大木くんがいるから、普段の生活の中で「自分自身に埋没する」ことがないのだ。

 

とても幸せなことだけれど、あの透きとおった孤独をときおり懐かしく思ったりもする。

 

 



今週のお題「わたしの好きな歌」

 

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昨日のおやつ。

ららぽーとのバーゲンに参戦した帰り、駅の改札前で売られていたものを大木くんが買ってくれた。宝石みたいに綺麗。何かのご褒美みたいにおいしい。

根津神社大祓

数週間前、根津神社から大祓のお知らせが届いた。
なぜ直接お知らせが届くのかというと、去年ここで結婚式を挙げたからだ。
根津神社的には我々は氏子ということになったらしい。どこかから氏子認定されるのはわたしも大木くんも初めてだったので、わくわくしてしまって、行こう!となった。

6月30日。日曜日。
この半年のけがれを落とすのだ。


お昼過ぎから出かけ、近くをお散歩。白山神社をお参りし、夏目漱石旧居跡で写真撮ったり根津の老舗甘味処芋甚で一休みしたり。


そして夕方5時前に神社に着くと、
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長蛇の列。
こんなに人がいるとは思ってなかった。
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あの楼門の向こうに大きな茅の輪が用意されていて、それをぞろぞろくぐる。
列になって反時計回りにくぐったら、またぞろぞろと今度は時計回りに。
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最後にもう一度くぐったら、正面の唐門の中へ。本殿の前でお参りして御守りをもらっておしまい。
人数が多いものだから1時間以上かかった。

途中、外国人観光客が我々の列を面白そうに眺めていた。ただのわっかをくぐるために何十分も整然と並ぶ日本人。日本人もなんだかんだ宗教の中にいる。
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汚れを落とす行事のようだけど、この半年間なにか悪いことあったかな。日々嫌な思いはするけれど、特筆すべき不幸なこともなく、穏やかだったような気がする。特に隣に大木くんがいる時間は。

最後にお参りするときは、東京に地震が来ないよう祈った。こういうことは神様にしかお願いできないものだから。


二人とも初めての体験でとても楽しかったけど、近所でもないし毎回来るのは難しいかも。
ただ、来年わたしは本厄(!)なので、お祓いとか行きたいなー。


帰りは日暮里から帰ることにして、また少しお散歩。谷根千エリアは素敵な路地がたくさんあって歩いていて飽きない。わたしはこの町が好きだ。
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猫ショップの前に猫。


以前から好きな場所だったし大木くんにいたっては千駄木の住人だったこともあるみたいだが、結婚式を挙げたことで本当にこの町と縁ができたなあという感じがする。また来るよ、何度も。


今週のお題「2019年上半期」

わたしのからだ

終わらない仕事を片付けると言って土曜日なのに大木くんは仕事へ行くという。

着替えをする大木くんのパンツ一丁の姿をみて、全然鍛えてないくせに程よく引き締まっていて羨ましいなあと思う。男の人って、筋肉が付きやすくて羨ましい。

 

さて、大木くんが家を出て行き、わたしはゆっくりと朝の支度をする。

 

着替えをと思って寝室の姿見の前で寝間着を脱いで、ふと、まじまじと自分のからだをチェックした。

あ、でもわたしもきれいだ。と思う。

 

そりゃ、十代のころのはじけるようなみずみずしさ(そもそもそんなものがあったか思い出せないけど)とかはないし、骨太だし、欲を言えば腹回りと脚がもう少し引き締まっていればなあとか、(美人とは真逆の顔つきをしているので)首から上は勘定に入れてはいけないよなとかはあるけれど、30歳のわたしとして、十分、きれいだと思った。

やわらかい曲線とくびれと、なめらかな肌。

 

もちろん、それは窓からレースカーテン越しに差し込む朝の光がかけたマジックが多分に効いているだけであって、実際の自分の腹回りに目を落とすとそうでもなかったりするんだけど。

それに、同世代の女性と比べてどうなのかもわからない。たぶんきっとみんな似たり寄ったりだろう。

みんなそれなりでしかなく、みんなそれぞれに美しいはずだ。

 

 

残しておければいいのに。と少し思う。

いつかホキ美術館で大木くんと一緒に観た島村信之の裸婦画のように。一番美しい角度で、光で、色で、切り取って、その幻想的な美を絵や写真に閉じ込めておければいいのに。

 

けれど実際にはわたしはモデルになれるほど美しくはないし、他人に裸体をさらすのは嫌だし、大木くんに頼めば写真くらいはとってくれるかもしれないけれど、性的な視線を全く排除したものを創るのはきっと難しいだろうし、生活感丸出しの粗雑なヌード写真なんて情緒の欠片もないものが残ったりしたら、むしろ色んなものが台無しだ。

自分をきれいと思ってあげられる一番の人は、たぶん大木くんですらなく、わたし自身なのだろう。

 

なのでしかたなく、自分で自分のからだを目に焼き付ける。

これがいまのわたしである、と。

 

島村信之画集

島村信之画集

 

 

 

とはいえ脚はもっと引き締めたいので、最近スクワットを始めた。

ランニングの際、普段は日焼け防止や筋肉のサポートもかねて黒いタイツを履いているけれど、一度くらい生足で走ってみたい。

ナイトランイベントなどだとたまにいる、素足の美脚のお姉さんみたいに、今年こそ。

 

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昨日の晩ごはん。

朝大木くんに、「今日のご飯のリクエストある? なければチヂミにするぞ」と脅したのだけど、「特にない」というのでチヂミとプルコギを焼いた。

我ながら美脚には程遠い献立…。