君の木の下

夫婦と子どもふたりの日常備忘録

抱き枕を洗濯

※本当にただ抱き枕を洗濯したという日記です。


日曜は朝早起きして、大木くんと抱き枕を洗濯した。

お風呂場に浅くお湯を張り、2匹の抱き枕を投入。
最初は恐る恐る手で洗っていたのだけど面倒になってガシガシを踏み洗いをすることにした。

わたしの洗いかたを見て
「やくざの拷問とかでこういうのありそう…」
と大木くん。
二人で爆笑しながら洗う。

2つの抱き枕のうち、ウサギ型宇宙人の方はしっかりと綿がつまっているようで洗っても形が変わらなかったのだけど、しろくまくんの方はもちもちの体がすっかりしぼんでしまった。

しろくまくんを抱き抱え、
「先生!息をしてません!」
などとふざけあったりしながら洗い終えた。

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洗濯機で脱水し、二、三日干す。
しろくまくんは少し白さを取り戻したようだ。

宇宙人はかれこれ10年くらい前に下の妹が誕生日でくれたもの、しろくまくんは2年くらい前の誕生日だかクリスマスだかに大木くんがくれたもの。
いつもソファに置いておいて、座るときに抱き抱えたりしている。わたしたちはしろくまくんをペットか子どものように可愛がってよく人形遊びもする笑。


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昨日の晩ごはん。
トマトとナスのチーズ炒めと、炭火焼きとり(大木くんの両親の旅行のお土産)、牡蠣のアヒージョ(こないだの中・四国旅行で買ったもの)、前の日の黒鯛の残りを使ったあら汁。
変な取り合わせだがどれも美味しかった。特にあら汁。こんな安い魚でも、日常のごはんであら汁が出てくるのってちょっと嬉しい。


段々暖かくなってきて、休日は窓を開けて過ごせるのが気持ちいい。
白いレースカーテンが揺れるとどうしてか「二人暮らしだな」と実感する。

子育てはコスパです

大木くんと吉祥寺にメガネの受け取りに行ったついでにランチを食べた。

 

メニューの一番上にあるのがお店の一押しなのだろうけど、1,800円かあ。でもせっかくだから食べてみたいしなあと注文。(大木くんは1,300円のオムライス)


うーん、おいしい。しかし贅沢しすぎだ…と反省。その後は買い物も控えることにした。(ダンディゾンという隠れ家パン屋さんで明日の朝ごはんは買ったけど)

 

でも、わたしたちは今、今後子どもを持ち、そして4人くらいで住める家を購入するつもりでいるからお金がない気がするけれど、もし子どもができなければ一人二千万円とも言われる子育てコストはかからないし、住居も2LDKくらいのものですむわけで、そうなれば毎週これくらいのランチを食べても平気だし、毎年海外旅行へも行ける。(給料が減らされたり年金が崩壊したりしなければ)

それはそれで楽しいだろうなあと夢想した。

 

そんな折、タイムリーにもはてなブログでこんな記事を見た。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

最近の人は合理的な思考をするので、子育てをも「コスパ」や「リスク」で考えてしまっているようだ、でも子育てには合理的思考では測れない価値もあるからコスパだけで考えちゃダメなんじゃないか、という内容だ(と思う、たぶん)。

 

まあそうだろうねえと思いながら読んだのだけれど、驚いたのはブックマークのコメント欄。ネットの世界ではリアルの世間とはちょっと違う偏りがあるし、そもそもこのブログを読んでいる人がリアル世間のうちのある一定層でしかない、ということを勘案してもびっくりするくらい批判的なコメントばかりだった。

 

 

そうかあ、世の中の人はこんなにも「子供を持つのは贅沢」だとか「ただの娯楽」だと感じていて、コスパ悪いのわかってて産むのだからあとは「本人の自己責任でしかない」と思っているのか。

これから子供を持とうかと思っているわたしにはちょっとショックなことだった。

ベビーカーを押して電車に乗ったら舌打ちされる未来が待っているのだなあと。

 

 

わたしも大木くんも、結婚してからは自然に子供を持つことを考えてしまっている。「二人ほしい」と大木くんも言っている。これに対しては何の疑問も持っていないかもしれない。子どもがいたら、乳幼児期はめまぐるしい大変さだろうしお金の心配もしなきゃならないけど、でもまあ人生をトータルで見たら楽しいことが増えるだろうなあと思っている。

二人とも多少子供に関係する仕事をしていて、子育てが身近なところにあるせいかもしれない。赤ちゃん連れの人たちを見かけると、やっぱりかわいいなあと思うし、自分たちの未来をそこに重ねてみてしまう。

 

もしかしたら、あの記事へ批判的なコメントを書く人の中には、子育てが身近なところにないのかもしれない。地元を離れて暮らす都会の人が、家と仕事の往復と時々大人同士の遊びの予定を入れるだけみたいな生活を送っているとしたら、子どもや子育て家庭と全く触れあわずに生活できてしまうからだ。そうなると子育ての何が楽しいか想像もつかないだろうし、子育ては縁遠いもの、物好きな人だけが娯楽でやるものに思えて「コスパも悪いし自分はやらない」となるのだろう。

なんなら、職場でまさに子育て中の人がいて、肩身狭く働いていたりして「あんな風にはなりたくない」と思っているのかもしれない。

 

わたしは、そんな人たちに対して言いたいことは特にない。

その人たち個人個人に対しては特にない。

人はそれぞれ好きなように生きたらいい。むしろ、わたしだって「女の幸せは結婚して子どもを産むことだよ」なんて言われたら全力で反発する。人の人生に口出しするなと。

 

でも、一日本人として、少子化がこのまま進んで労働者一人あたり高齢者一人を支えなきゃならない時が来るのが単純に怖い。どこかで少子化に歯止めがかかり、超高齢化の流れがせめて少しでも緩やかになってくれないと困る。マジで怖い。将来が不安。

だから、「子供を持つのは贅沢」「産んだ始末は自己責任」という世間の怖い空気がもう少し柔らかくならないとまずいんじゃないのかとは思っている。

 

でもだからってそう考えている人たち一人一人に啓蒙していくのは筋違いで、(わたしだって少子化対策に貢献するために子供が欲しいとかそういうふうにはまったく思わない。)やっぱり少子化に歯止めをかけたいと一番思っているのは国であるはずなのだから、国が子育てにやさしい政策をどんどん打ち出していかなくちゃならないだろうと思う。

子どもが生まれたら1000万円あげるでもいいし男性の産休を義務化するでもいいし。国が子育てのコスパをよくして、リスクを取り除いていくのだ。

子どもを設けることの前段階、結婚に関しても。

未婚率の高さは、若者の収入の不安定化が大きな原因だと聞く。だから、最低賃金を上げるとかしてワーキングプアに陥る人を減らしていけばいいんじゃないのかと思う。

 

そう、結婚も子育ても、結局はコスパだ。

うん。わたしもそういう結論になりました。

わたしも結局、「今すぐにでも子供ほしいけど、転職してまだ1年だから今妊娠したら会社に居場所がなくなるかも…」とリスクのことを考えているし、大木くんと二人合わせれば金銭的にも何とかなる、という計算があるから子どもを考えられる。また、大木くんが家庭や自分のためなら職場で少々白い目で見られようと「残業しないで帰ります」と言えてしまう性格である、というのも大きい。ワンオペ育児確定ならわたしもきっと手を出せない。

 

 

でもだからこそ、子育てのリスクがどんどん下がった世界が実現すればいいなと思っている。

我が家だけが享受できる娯楽じゃなくて、誰しもがもっと気軽に考えられるものになってほしい。

そうなってはじめて、子育てが本当にコスパが悪いかどうか、フラットに考えることができるだろう。議論できるようになるのは、そこからじゃないかな。そういう未来がくればいいな。*1

 

 

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昨日の晩ごはん。

黒鯛が安かったのでオリーブオイルで焼いてみた。その他、小松菜のオイスター炒め、れんこんのきんぴら。れんこんのしょうゆスープ。

 

次回のためのメモ:黒鯛は煮つけの方がおいしい。

 

 

*1:だからといって、子供が欲しいけれどできなかった、という人や、コスパ関係なく子どもはいらないと判断して作らなかった、という人たちが肩身が狭くなる世界になってはいけない。子どもを産み育てた人の方が偉いとかそういうことには絶対にならない。

母の日に花束を

ネットでポチポチっと注文。

母親のことはそんなに好きでもないし感謝も尊敬もしていないけれど、大事な人ではあると思うので、とりあえず社会人になってからは毎年何かしら送っている。

 

花キューピットで頼むと、「お母さんいつもありがとう」というメッセージカードを選べるので、それをつけてもらうことにする。

自分の口からは出てこないセリフだ。

 

何だろう、毒親というわけではないと思う。

ただ、母が大事にするものをわたしは苦手で、わたしが好きで得意とするものに母は価値を見出してくれないという関係だったので、わたしがいくら得意なことで頑張っても母はさして喜んではくれず、むしろ「そんなことよりあっちをもっと頑張りなさい」と叱られてしまっていた、そんな子供時代の記憶がある。

 

だから、わたしは母の失敗作なのだと、二十代前半くらいのころは思っていた気がする。

母の方もわたしのことはそれほど好きでないのだろう、去年は十数年ぶりの家族旅行にわたしだけ誘われなかったし、実家からはわたしの卒業アルバムだけいつの間にか全部なくなっている。

アルバムについては、別に悪意を持って捨てたとかではなく何かの時にしまいこんでそのまま場所を忘れてしまっただけなのだろうけれど、妹たちのもの比べると、なくしても気にならない、というのが母にとってのわたしかなと思う。


 

別にいいけどね。

わたしにはもう親から独立した生活基盤、経済基盤があって、明日親が死んでも困らない。もう、過去にどんな風に愛されていたかは今の自分の人生に影響しない。そんなところまで来た。

 

 

もし、これから子供ができて、その子がわたしのことをそんな風に思ったとしたら、複雑だろうなあとは思う。自分の人生を子どもが否定してくるようで。

でも、子どもが、自分が育つ中で親とは違う価値観を身に着ける可能性は普通にある。子どもは親の分身ではないと身をもってわたしが知っているわけで、そこを否定するわけにはいかない。

なので、それはそれでその子の成長だと受け止めて見守るしかないのでしょう。

 

けれど、それでも家族は家族。

好きとか嫌いとか、一緒にいたいとかいたくないとかには関わらず何かしらの関係は続く。そう思っている。

それに、たとえ嫌いでも遠く離れていても関係は続く、選べない、というのは、ある種の安心にもつながるように思う。

 

だから、母の日には贈り物を。

 

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母から、届いたとの連絡があった。

妹が今年はお菓子を送るそうなのでわたしは花にしたのだけど、まあこんな風に年に一度実家に彩りを届けることができるのはいいことかなと思っている。


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今日のおやつ。気になるリンゴ。このあいだ両親からもらった青森のお土産である。



今週のお題「母の日」

 

尾道の備忘録。と、親戚との会食、実家

海辺のベンチで適当に朝ごはんを食べ、尾道散策開始。
あまり時間がないのでとりあえずロープウェイに乗り、
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海をながめ、
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(これは川のように見えるが向かいの島との間隔が細いだけで海である)
お寺をお参りして坂道を愛でる。
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本当は、尾道大好きなのでもっとここにいたいのだけど、電車の時間だ。
結婚式に親族を呼べなかったので、うちの母方との食事会をすることになっているのだ。大木くんがおばたちに会うのは今回が初めて。「おれ、立ち居振舞いとか大丈夫かな…」とちょっと不安そう。
わたしたちの旅行は実質的にはここで終わりだ。


会食では島暮らしのパワフルな親戚たちに圧倒され、会うたびに小さくなっていくおばあちゃんにちょっとだけ不安になったりしながら終了。
そのあと、父方の伯父の家へお邪魔し、おなかいっぱいのところにケーキをごちそうになる。
一旦母方の祖母の家へ行って少しくつろぎ、ようやく実家へ。

大木君はきっと疲れただろう。
島暮らしの人たちのあのテンションは、大木くんの親戚にはほとんどないものだったと思うし、逆に父方の伯父一家は正反対でとてもおとなしく、40過ぎのニートもいるおうちだ。
(話はそれるが、このニートのいとこのことを、これまでわたしは単に怠けているのだと思っていたけれど、今回久々にまともに同じ空間で過ごし(と言っても会話はなかった)、無表情でぼんやりと他の人たちの話を聞いているだけの彼の様子を見て、ちがう、怠けているのではない、彼が一般的な組織で働くのは無理なのだと気が付いた。頭は悪くないはずだが、それと人の輪の中で生きるためのセンスは別だ。何とか職に就き、仕事に適応することは無理ではないだろうが、十中八九心を壊すだろう、そんな感じがした)


ところが、実家に帰って体調を崩したのはわたしだった。
夕食前に布団に横になって少し眠る。
そういえば、正月に大木くんの実家へ行ったとき、おなかを壊して布団で休むことになったのは大木くんだったな。
自分の実家へパートナーを連れて帰るというのは、何かと気疲れするものなのかもしれない。


とはいえ久々の実家はリフレッシュできた。
母のシンプルな料理を食べ、ぐっすり眠り、お昼にお好み焼きをおごってもらって新幹線に乗るころには旅の疲れも随分取れた心地で、満足感に満たされていた。


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その日の晩ごはん。さっと作れるものを、ということで親子丼。やさしめの味にしておいた。
なんだかんだと書いてきたけど、やっぱり家が一番かもしれない。
実家に帰ってみて、子どもの頃はここが自分の家だと思っていたけれど、実際は父と母の家にいさせてもらっていただけなのだなと感じた。今は大木くんとの家がわたしの帰る場所。

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次の日(連休最後の日)の晩ごはん。大木くんの誕生日のお祝いで飲んだ赤ワインの残りを全部使ってビーフシチューに。
参考にしたのはこのレシピ。
chefgohan.gnavi.co.jp
牛肉は高いのですじ肉を使って。
大木くんはおいしいおいしいと言ってたくさんおかわりしてくれた。
でも翌日の方が味がまろやかになって何倍もおいしくなっていた。

次回のためのメモ:赤ワインはしっかり煮詰めること。デミ缶を入れた後しばらく煮ること。冷まして味をなじませる時間を取ること。


ゴールデンウィークは本当に楽しかった。
今すぐ尾道に戻りたいくらい。
でも、家が一番いいなとも思える。
隣に座ってごはんを食べたりテレビを眺めながらずーっと大木くんにひっついていられるからな。


今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」

UFOラインとしまなみ海道の備忘録。

今回なぜ四国を旅行先に選んだのか。

それは、四万十川を見てみたいというのもあったけれど、もう一つ、あこがれていた場所があった。

それが、UFOライン。高知県愛媛県の県境を走る道路だ。

去年のカローラスポーツのCMを見て、「ここへ行きたい! 次の旅行はここにしよう!」とずっと言っていたのだ。

 


【カローラ スポーツ】気持ちいい日篇 30秒

 

ついに時は来た。

いざ。UFOラインへ。

 

が、

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道が狭い。

車がすれ違えない。対向車が来るたびちょっとでも広い場所へ進んだり戻ったりしながらギリギリまで端に寄せ、譲ったり譲られたり。ミラーを閉じたり開いたり。

普段ならこんなに車が通る道ではないのだろうが、そこはゴールデンウィーク。登山客など、多くの車とすれ違う。それが何キロも何キロも続くのだ。

大木くんと交代で運転をしたけれど、隣に大木くんがいなければきっとわたしは半泣きで「こんなところ来るんじゃなかった」と全力で後悔していただろう。

 

でも隣に信頼する人がいるとタフなことでもやれちゃう不思議。

そして、ついに、、

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お!

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来た! 来ました! ついに、憧れのあの場所に!

 

ここは少し道路が広く作ってあったので(登山道の入り口になっている様子)、車を止めて登山道を少しだけ登ることに。

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わぁ!

 

気持ちの良い景色である。

恐る恐る来たかいがあった。

 

登山道を一番上まで行くことはせず、車へ戻る。

ワクワクして目指してきた場所だったが、気持ちの良い景色はあの一瞬だけで、あとはまた怖々すれ違う道がまたずっと続いた。

 

そんなこんなでようやく今治へ。今治と言ったら造船!ということで造船所を見て(大きい船がたくさんあって興奮した)、

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海を眺めながら鯛めしを食べ、

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さてしまなみ海道へ、と思ったらここでまさかの大渋滞だった。

 

もう少ししたらちょっとはましになるかな、と淡い期待を抱きながら大三島で一旦高速を降りて亀老山の展望台へ。

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そして次は伯方島で降りて沖浦ビーチへ。

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ここは観光地化されていなくて人が少なく、とてもゆったりできた。

 

 

5時ごろ、そろそろ戻るかね、と車に乗ったのだが、この先、二人して顔が真っ青になるくらいの大渋滞が待っていたのだった。

 

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おかげで夕焼けが見れたけれど、予定ではもう尾道についているはずだったのに。

全然動かない。レンタカー屋さん8時までなのにつけそうにない。二人でそわそわ、イライラ。イライライライラ。

 

しまなみ海道は橋の部分を除いてほぼ片側1車線なので、ひとたび渋滞するとこんなことになるようだ。くそう、見通しが甘かった!

こんな時でも大木くんは、時折現れる追い越し車線で後ろからやってきた車を前に入れてあげたりしている。追い越し車線を走ったって、その先も全く動かない渋滞の列が待っているだけであるため、ほとんどの人が列から出ないようにしているのに、ちらほらと、その数百メートルをスキップしようとする人がいるのだ。

「大木くんはなんでわざわざこの車を入れてあげるの」

イライラしてわたしが言うと、

「だってしょうがないじゃん」と言う。

「でもここで無理やり入らないといけないの、追い越し車線に出る時点で予測できたはずじゃん。ずるするような人は自分が並んでた車が来るまで待ってればいいんだよ」

 

この時はわたしの方が絶対正しい、秩序を守れない人にやさしくしてあげる必要なんかないと思ったのだけれど、そのあとまた同じような場面になって、わたしの言ったとおりに無理に前に詰めて追い越し車線をやってきた車をブロックしてくれた大木くんを見て、やっぱりあんなこと言うんじゃなかったと後悔した。

イライラと攻撃的な気持ちになるのは、わたし一人でいい。

ごめんね、大木くん。

 

 

結局、尾道には8時を大幅に過ぎて着いた。レンタカーは明日朝一で返却することになり、とりあえずコインランドリーへ。洗濯機をまわしている間にU2というサイクリスト向けの施設内のレストランで食事をとる(美味しかったが、写真を撮るのを忘れていた)。

洗濯物を回収し、宿についたのは10時を過ぎていた。

 

今日は本当に疲れた。本当に本当に疲れた。

 

次回への教訓:ゴールデンウィークは渋滞予想をきちんと見ましょう。

 

 

今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」

石鎚山の備忘録。

みんなで集まる飲み会のような場で、大木くんはわたしではない女の子といちゃいちゃしている。二人は前々からデートする仲である。わたしが「今後もそういうことするなら家から出てって」と言うと口ごたえするので、「なめてんじゃねーぞコルァ!」と大木くんを折檻する…というところで目が覚めた。
なかなかスリリングな夢であった。


さて、この日の予定は愛媛県にある石鎚山という西日本一高い山の登山だ。
当初山登りの予定はなかったけれど、たまたま取れた宿が国民宿舎石鎚という、登山口にある宿で、これはもうこの山に登るしかないとなった(のはわたしだけで大木くんはさほど楽しみにはしていなかったようだけど)。


我々が今回挑戦するのは「土小屋ルート」。標高差が少なく、今年は雪も積もっていないから、初心者でも十分登れるとのこと。
朝10時半。宿の駐車場に車を止めさせていただき、出発。
のんびりした登山道を進む。
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一面笹でおおわれている。時々ショウジョウバカマアケボノツツジが咲いている。
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ロープウェイからのコースとの合流地点へはするすると進んだ。


一息ついて、この先のコースをふり仰ぐと、
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何か見える。
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なんだあれは。ほぼ垂直な斜面にへばりつくように登る人の列は。
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この鎖を登るらしい。ちょ。おかしくない? え? これ登るの? とビビりながらもここで引き返すわけにはいかない。
とりあえず大木くんに先を行ってもらう。
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土小屋ルートだと、六十数メートル×2回。
岩場がへこんでいて鎖が完全に浮いている箇所などもあり、結構怖い。わたしたちの前には、立ち往生してしまう人もいたが、途中で降りるわけにもいかず、渋滞を起こしながらも進まざるを得ない。

落ちたら、マジで死ぬ! という恐怖感からか、登り終えたら足ががくがく震えていた。(単に力が入りすぎていたせいもあるけれど)
命綱もない新手のアスレチックのよう。ここは修験道なのでこういうタフなコースが設定されているようだ。

わたしたちは作業用の、手のひら部分がゴムになった手袋をつけていたため割と何とかなった感があるけれど、振り返れば小学校低学年くらいの子どもたちがするすると身軽そうに登っていてしかも素手である。完全に負けた。


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神社のある弥山の山頂について、次に目指すのはあの向かいの山頂。天狗岳
そそり立つ崖がかっこいい。
じつは天狗岳へは本来なら片道15分程度のようだが、この日は人が多くて、その入り口につくまでに50分くらい並んだ。ゴールデンウィークは大変混むようだ。(入口で調整しているので、そこを抜ければそれほどストレスはない)

切り立った崖の上を歩く。
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崖の下をのぞき込む大木くん。
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割と怖いです。ちょっとでも風が強かったり、小雨でも降っていたら無理だったと思う。
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へばりつくようにして進んでなんとか登頂できた。山頂には「天狗岳1982m」というプレートが用意してあって、それを掲げて写真を撮った。なんかすごいことをなし終えた気分だ。


大変スリリングな登山だったけど、「ぎゃーこわいこわい!」と叫びながら登るのが楽しく、そしてそれを大木くんと一緒に達成できたことが本当にうれしく、今回のゴールデンウィークの一番のハイライトになったように思う。

でも、わたしたちは本当にすごいことを成し遂げた気持ちでいるのだけど、わりと素手で登っている小学生くらいの小さい子たちがたくさんいたんだよなあ。
すごいね、彼らは。
そして、なかには2歳くらいの子どもをしょいこに乗せて天狗岳に登頂していたパパもいて、「!?!?!?」って感じだった。



渋滞のせいもあり、宿に着いたのは4時半ごろ。もう少し早く出発すべきだったかもしれない。
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部屋からの夕焼け。
今日はとにかく楽しかった。
心地よい疲労を感じる。



今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」

四万十川と檮原町の備忘録

この日も朝から雨。
どんよりした四万十川見てもなあ、明日にする?などと言いながらもカヌー体験の予約をしているため岩間沈下橋のさらに少し上流へ向かう。

途中、車のすれ違えない場所が結構たくさんあってどきどきしながら黒を運転した。
カヌーから見る四万十川はまあまあ良かったが、なにしろ雨が冷たい。寒がりながら終えることとなった。
そのあと、いくつかの沈下橋を見てまわった。
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晴れてればなあ。四万十川はこれまでとても憧れだった。なんというか、夏休みの象徴、みたいなイメージだった。曇っててもこれだけきれいなのだから、本気モードの四万十川は本当に綺麗なのだろう。悔しい思いを引きずりつつ、この日の宿へ向かう。


今日の宿は、檮原(ゆすはら)町の農家民宿
着いたらこんな状態。
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この一列のごはん全部わたしたち二人で食べていいんだって!すごい!

他の二組のお客さんと囲炉裏を囲んで宿のお母さんもまじえて話をした。こういうところで人とはなすのがとても楽しい。向かいに座っていたのは4,50代の夫婦で、とても気さくな方だった。こういうところで出会う夫婦っていい人たちが多い気がする。なんでだろう。

今回の旅行で思ったけど、夫婦で旅をするってとてもいい。夫婦というのは社会の最小単位で、二人だけで世界が完結しうる。二人てを取り合えばわりと無敵でなんでもできる。とても旅行に適した単位だと思う。


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翌朝、宿の窓から。この辺の家7件で鯉のぼりを数十かもしかしたら数百メートルに渡ってかけている。全部で7000匹くらいいるそうだ。全部100均の鯉のぼりをひとつずつ外して付け替えて作ったのだという。

檮原町には隈研吾の建築物が4つもあって、図書館は素晴らしくて、また、木のプールは他にはない特別なものらしい。昔ながらの石垣の棚田もあったり、夏は川で泳げもする。この宿をとるまでゆすはら、という名前も知らなかったけれど、こういうところでゆっくりすごす1日を作っても良かったなあ。


今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」